ハイネ詩集(22)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その22を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「光りかゞやく星ひとつ/たかい空から落ちてくる」という言葉が印象的なハイネの詩なんですけど、今回のは小学生が書いたんじゃないかというくらい純心でストレートな詩ですよ。現代から遠い作品には、こういう魅力があるんだなと思いました。
 
 
ただハイネはいつもこう、豊かな時間の終わりを描くのが特徴的で、夜が明けることにさえ独特なかなしさを漂わせるんです。
 
 
「そこには青い花が咲く」という詩はダンテの神曲『地獄篇』にも描かれていた、植物と人の物語で、印象深かったです。
 
 
作中に記されている「歌反故うたほご」とはいったい何なのか、むつかしい言葉なのでいつものようにネットの辞書で調べてみたんですけど、これがどの辞書にも載っていない。よくよく調べてみると、どうも反故という意味と関連しているみたいです。
 
 
ほ‐ご【反故・反古】
(1)書画などを書き損じた不用の紙。ほぐ。ほうご。
(2)転じて、役に立たない物事。
(広辞苑より)
 
 
描き損じて役に立たない詩、という意味でハイネは「歌反故」と書いたようです(というか生田春月がそう翻訳しちゃったようです)。そのあとすぐに「ハイデルベルヒの樽のやうに」って書いている。あーっ、このハイネ詩集を、もしかしたら太宰治も読んだのかもしんないなと思いました。太宰治は「ハイデルベルヒ」というイメージを、ことさら美しく小説に書いているんです。で、ちょっと調べてみると、やっぱり太宰治はハイネ詩集を読んだ痕跡があるんです。こちらに太宰治がハイネのことを書いています。太宰治は、今回の詩を読んでいたんだなあと、もうそれは明らかだろうと思いました。
 
 

 
 
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卍(まんじ) 谷崎潤一郎(5)

今日は谷崎潤一郎の「卍 まんじ」その5を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
卍は次回で完結です。光子さんは、恋人の園子さんが、綿貫と結託し始めたことにすぐ気づいた。光子さんは綿貫の子を妊娠をしていなかったらしいんですが、こんどは綿貫に玩具にされたんだと言いはじめるんです。綿貫は子が出来ない男で、それを黙っていろんな女を引っかけているとか、ちょっとこう、妊娠したというハナシとはぜんぜんちがうことを言いはじめている。
 
 
このまえ光子さんは『妊娠したのんかも』と言っていたのに、こんどは妊娠するような恋愛をしていないと、言いはじめた。光子さんはどうも言動があやしいんです。
 
 
この小説は3人の主要登場人物がいるわけで光子・園子・美男子綿貫と、この3人を描いた小説なんですけど、奇妙なことに今いない人の話でものすごく盛りあがるんです。なんとも不思議というか面白い構成ですよ。今登場していない人の話しがどんどん脹らむんです。過去の回想なのか、噂話なのか判らないまま、今回は綿貫の話で持ちきりになる。綿貫は恋人が同時にたくさんいたのに、じつは誰ともセックスをしていない。プラトニック・ラブだという。結婚したとしても、どうも性的な問題があるらしい。両性具有かもしれない、という噂まであった。
 
 
なんだか近松の心中物みたいな心情になりつつ、結婚することを目指している綿貫と光子さん……。これ、地の文章からして、関西弁の口語で、すべてが噂話と噂話で構成されている。なんともみごとな展開だなとか思いました。もはや完全にネタバレになってしまうので、読み終えてない方は読まないほうが良いかと思うんですが、同性愛もじつははじめの頃はまるでウソで、光子さんはいざこざから離れるために、園子を利用しただけだった可能性が高い。作中こう記されています。
 
 
  私との間に同性愛やいう噂立ったのんは実は誰の仕業しわざでもない、光子さん自身がそないいい触らしなさって、匿名とくめいのハガキ投書しなさったのんですねんて。
 
 
  ほんまのこと知れんように、わざと同性愛の噂立てた。まあいうてみたら、私ちゅうもん利用して世間の眼エくらましなさった。
 
 
  私の方があんまり真剣で熱烈でしたさかい、だんだん利用する心持からほんまの愛情に変って行きなさった。
 
 
おそろしいことに、ばくち打ちが逮捕されていった事件さえも、じつはまるっきりの狂言で、警察もやって来なかった、刑事なんか周りに居なかった、そんな事実はなかったのだという。事実だったはずの口伝されたものごとが、じつはただのウソだったという……この展開は凄いです。あの推理小説の四大奇書みたいな、めくるめく展開になってるんですよ。すごい小説だと思いました。愛憎の果てに生じた、だましあいに次ぐだましあいが展開するんです。
 
 
それで、真相はどうもこうだった。本文こうです。
 
 
  自分の一生は綿貫のお蔭で滅茶々々にしられた。もう行末に何の望みも光明もない、生涯うもで暮らすばっかりやいいなさって、自分は死んでもあんな男と結婚せエへん、どうぞ助ける思てあの男と手エ切れるようにしてくれへんか、何ぞええ工夫あったらせて頂戴いいなさる……
 
 
綿貫はひたすらに暗躍をしていて、ついに園子さんの夫にまで不気味な契約書を見せて、状況が混乱しつづけている。ただ、綿貫は子に恵まれないながらも光子さんと結婚をしたいだけのようにも思える。それとももっとより悪質な何かがあるのかは、まだ不明なんです。事件の気配がいよいよ色濃くなってきた。次回で完結です。
 
 

 
 
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路傍の草 寺田寅彦

今日は寺田寅彦の「路傍の草」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この随筆四年前に読んだんですけど、もういちど読んでみました。良い考えが浮かぶのはどういうときか、というのを寺田寅彦が論じています。おもしろい随筆なんです。三上さんじょうという言葉があって、辞書によれば『三上』とは『文章を考えるのに最も都合がよいという三つの場面。馬に乗っているとき、寝床に入っているとき、便所に入っているとき。』(大辞泉より)を意味する言葉なんです。寺田寅彦は、「いい考え」についてこう語っています。
 
 
  三上の三上たるゆえんを考えてみる。まずこの三つの境地はいずれも肉体的には不自由な拘束された余儀ない境地である事に気がつく。この三上にる間はわれわれは他の仕事をしたくてもできない。しかしまた一方から見ると非常に自由な解放されたありがたい境地である。なんとならばこれらの場合にわれわれは外からいろいろの用事を持ちかけられる心配から免れている。肉体が束縛されているかわりに精神が解放されている。
 
 
寺田寅彦は、仕事をしたくても出来ない時にこそ、良い考えが浮かぶんだというんですが、じゃあ逆に『仕事をしたくない心境なのに、仕事人っぽいことが出来ちゃう環境』こそが悪い考えが起きる契機で、iポン片手に行われているヘイト活動の基本的な仕組みはこうなっているのかもしれない……。
 
 
随筆に『外からいろいろの用事を持ちかけられる心配から免れている』ことが、良い考えの源泉になると記されていて、これって新しい時代の評論家も、子育てについて語るときに、近いことを言ってた、と思いました。
 
 
寺田寅彦は、古い言葉をうまいこと意訳して、現代人なら電車にのっていて何もすることが無い時とかに、優れた考えが、きっと浮かぶよと述べています。それから植物の生態と擬似科学に陥る心理について記しています。本文と関係無いんですけど、青春きっぷで四国を旅しているときに、電車の中で読書するのはほんとうに気分が良いんですよ。寺田寅彦はこう書きます。
 

 ……満員電車の内は存外瞑想に適している。机の前や実験室では浮かばないようないいアイディアが電車の内でひょっくり浮き上がる場合をしばしば経験する。



 
 
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ハイネ詩集(21)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その21を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「おまへの眼からは真珠のやうな涙の雫が落ちて来る」という一行が印象的な、今回のハイネの詩なんですけど、なつかしい、という感情だけでずいぶん心を動かされる、そういう詩なんです。孤独とさみしさについて、ハイネが美しく描くんです。
 
 
もしかすると賢治の表現する、あの独特な「さみしさ」は、ハイネ詩集と通底しているのかもしれないなあ……と思いました。
 
 
賢治がこの詩集について引用をしているので、これらの詩を読んでいたことだけは確かなんですが、ハイネについてどう思っていたのかは謎なんです。ハイネはこう記します。
 
 
 その子は寂しい小さな部屋の
 窓にもたれて立つてゐる
 眼には涙を一ぱいためて
 夜の暗をぢつとながめてゐる
 
 
 

 
 
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卍(まんじ) 谷崎潤一郎(4)

今日は谷崎潤一郎の「卍 まんじ」その4を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、綿貫の子を妊娠をし、産まない選択をした光子さんだったんですが、その堕胎の方法に誤りがあって、光子さんは病に陥った。……ということだったんですが、どうもこれが狂言であって、ウソであると。ウソで恋人園子さんの気を引いて、はなしが二転三転して、いったいなにが事実だったのかどうも判らないし、なによりも、光子さんはどういうまごころがあるのか、もはや五里霧中である。
 
 
園子さんと光子さんの壊れてきた恋愛を描写しているわけで、こういう状況というのはなんというかじつにリアルで、読者に響いてくるなと思いました。二人は一時的に仲直りして、梅田から奈良へデートをする。
 
 
園子さんとのデート遊びと、綿貫との結婚を、光子さんは両方とも得たいと考えている。両立は出来ると考えている。女二人での密会デートに相応しい場所を探しつづけて、以前事件が起きた、宿屋に籠もることになった。園子と光子と、美男子綿貫3人で会ったりもしている。△関係がもつれにもつれているところなんです。
 
 
密会を夫にごまかすために、光子さんは妊娠中で手伝いが必要だというようなことになっていたりする。ウソが雪だるま式に脹らんで行ってる最中なんです。ウソだらけで混乱をしてしまって、恋敵同士だったはずの、美男子綿貫と(お姉さんと呼ばれている主人公の)園子さんは、2人で美女光子さんの謎について語りあうんです。本文こうです。
 
 
  「いったいお姉さんは、僕とお姉さんと孰方どっちが余計愛されてる思います。…………ほんまに僕を愛してるのんなら……結婚してくれたらええやありませんか。」(※……は省略)
 
 
さらには、妊娠劇というのがじつはウソだったんではないのかとまで疑らざるを得ず、主人公の園子さんはこう考える。「そしたらやっぱり光子さんはほんまに妊娠してはるのんやろか」まるで推理小説のように、事実が行方不明になっていて、わけがわからない。真相はいったいどうなんだろう、と思いつつ読んでいます。
 
 
恋人である光子さんが妊娠したかどうか、園子にも綿貫にも判らない。恋人が2人も居るのに、彼女の真相がわからない。すごい状況ですよ。光子さんは「妊娠した」と言っていたり「妊娠していない」と言っていたりする。どちらかでウソを言っているわけなんですけど、ウソをつく動機が多すぎるので、もはや事実が行方不明になっている。
 
 
ようするに園子も綿貫も2人とも、光子さんとの将来設計が出来ていなくて、貧乏人だとか同性愛だとか、触れてほしくない所が多すぎて、いちばん見えているはずの事実さえ見えなくなっていると。事実どころか、心もつかみきれなくなっている。恋愛だけに専念していたのに、なぜか心も行方不明になっている。
 
 
園子さんとしては、やっぱり綿貫が頼り無さすぎるので、こういういざこざになったんだと考える。ついに出血さわぎでさえ、なにかしかのトリックだったのではないかという疑いまで起きる。まるきり恋愛推理小説みたいになっている。恋愛の推理小説っていままで読んだことなかったです。
 
 
女性同士が恋愛をして、結婚をして、親戚や病院を通して妊娠の計画をして、子どもが産まれて女二人で子育てをするというのはかなり自然なこう、事態だと思うんですけど、100年前の社会だとこれはもう無理だなと思いました。ただ結婚生活は無理であっても、恋愛は出来るとここの登場人物たちは考えている。本文こうです。
 
 
  同性の愛やったらどんな男と結婚したかて、続けて行かれる。夫が何人変ったかてちょっとも影響せえへん、そしたらお姉さんと光ちゃんの愛は夫婦の愛よりも永久不変やいうて……
 
 
ほかにもこう書いています。
 
 
  ……なんにも嫉妬することあれへん。ぜんたいあんな綺麗な人たった一人で愛そいうのんが間違うてる。
 
 
思わず、なるほどそういう人間関係もあるのかと、真に受けてしまいそうになりました。美男子綿貫は、園子と契約書まで交わしあって、三人で協力しあって、光子と恋愛を積み重ねてゆこうと考えている。
 
 
まんじを全文は読まないけど、内容をちょっとのぞいてみたい方は、こちらの3ページだけを読んでみてください。
 
 
このあとに出てくる契約書の内容がヤバくて、三人で恋愛を続けるために、一人の恋愛が終わってしまったら、もう一方も同時に恋愛を辞めると言うんです。さらには二人目の子どもも園子としては辞めてほしいと契約書に書かせた。そんなバカなという感じです。
 
 
ただ、恋愛における骨肉の争いが無くなるというところには意義がある。園子はこれに同意して署名した。血判まで捺した。うわー、というところで次回に続きます。
 
 

 
 
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老ハイデルベルヒ 太宰治

今日は太宰治の「老ハイデルベルヒ」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
題名の『アルトハイデルベルヒ』というのは、古き(良き)ハイデルベルクという意味で、これはドイツのマイアーフェルスターの演劇から引用したものです。古き良き都市ハイデルベルクになぞらえて、伊豆半島は三島の魅力を、太宰治は描きだしています。
 
 
学生時代に、太宰治は、友人佐吉さんのいる伊豆半島の三島が大好きになったわけで、その8年前の町と祭りと、貧しい人びとの様子を描いているのが、この『老ハイデルベルヒ』という作品です。
 
 
なんだか、バルザックの『ゴリオ爺さん』に描かれる、散財をしつくして一文無しになるラスティニャック青年のような、若き日の作家自身の姿を描きだす、太宰治なんです。太宰治はよく、過去の自身をモデルにして小説を書いています。若い太宰とすこし歳をとった太宰とが2人居る感じを描くのが、なんだか印象に残るんです。2人の太宰治が活写されている。
 
 
この『老ハイデルベルヒ』は、1940(昭和15)年3月に出されたもので、このころに『駆込み訴へ』や『走れメロス』などの名作を出しています。
 
 
作中に「八年間」と書いているので1932年ごろの三島を書いているはずなんですが、太宰治の正確な年表を調べてみるとこれは、1934(昭和9)年の25歳の夏の思い出を、描いています。略年譜には『夏、静岡県三島市の坂部武郎方に約一ヶ月滞在、「ロマネスク」を執筆。』と書いているので、この頃のことを今回書いていることは間違いないです。
 
 
太宰治にとって、三島はとても思い出深い町なんです。作中こう書いています。
 
 
  私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言っても過言でない程、三島は私に重大でありました。
 
 
太宰治はどこまで現実の模写をして、どこから先が小説の幻想なのか判らないような書き方をするんですけど、1934年と1940年との落差を描いている……というようにも読める。太宰は何よりも、佐吉さんという人が好きで、その明るい生き方を活写しているわけで、それが1940年の三島にはもう居ない。佐吉さんとの思い出が、この物語に活写されている。太宰治はこの小説の序文で「人間は誰しも、思ひ出のハイデルベルヒを持つてゐる。」と書き記しています。
 
 
祭りの日を描きだした場面が印象深いです。本文こうです。
 
 
  お祭の当日は朝からよく晴れていて私が顔を洗いに井戸端へ出たら、佐吉さんの妹さんは頭の手拭いを取って、おめでとうございます、と私に挨拶いたしました。ああ、おめでとう、と私も不自然でなくお祝いの言葉を返す事が出来ました。
 
 
ここから10数行の描写がじつに美しかったです。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(20)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その20を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
最近Apple Musicにはまっていて。100万人くらい居るミュージシャンの中で、チャーリープースの甘い歌声だけが異様に気に入ってしまって、もうこの”How Long”ばっかりをくり返しくり返し聴いているんですけど。


 
今日の詩は、こういう甘い感じがして良いなあと思いました。ハイネの詩はいろんな意味で甘いと思うんです。チャーリープースの歌声くらい甘い。こういうのです。
 
 
 もしもわたしが燕なら、かはいゝ人よ
 おまへのところへ飛んで行かう
 そしておまへの窓ぎはに
 わたしの寝床をつくらう
 
 ……

 もしもわたしが夜鶯うぐひすなら、かはいゝ人よ
 おまへのところへ飛んで行かう
 そしてみどりの菩提樹で
 夜つぴて歌つて聞かさうに
 
 

 
 
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