魂を刳る美 北大路魯山人

今日は北大路魯山人の「魂をえぐる美」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
谷崎潤一郎の陰翳礼賛を読んでいるところで、他の作家がどう美について記しているか、ちょっと探してみました。これは、もっとも言葉を必要としない陶芸……その作り手である北大路魯山人の随筆なんです。魯山人の原文はこうなんです。
 
 
  陶器だけで美はわからぬ。あらゆるものの美を知って、それを通して陶器の美もわかる。そして本当にわかるということは、本当にそのものに惚れることである。
 
 
すてきな内容だなあと思って読んでたんですけど、気になったので、内容を変えて読んでみたんです。取り替えっこをしても、やっぱりちゃんと読めるんですよ。こういう改編文になりました。
 
 
  一人の作家だけでは、文学はわからぬ。あらゆる文学を知って、それを通してその小説の美しさもわかる。そして本当にわかるということは、本当にそのものに惚れることである。
 
 
こんな文章を書いてみたいもんだと思いました。魯山人は陶芸と美についてだけ、この随筆に記しているんです。でもなんだか、他のことをも論じているような気がしました。
 
 
魯山人は、優れたものばかりを扱う店では、誰でも良いものを選べると言うんです。まさにそうだなと思ったんです。ゲーテとか漱石とか、極めて優れたものは、ちゃんと時間さえあれば、誰が読んでも素晴らしさを発見できると思うんです。でも駄文につぐ駄文の集合の中からほんとうに良いものを発見するには優れた眼が必要になって、それができるのはまさに正真正銘の詩人か評論家だけだと思うんです。
 
 
こういう魯山人の言葉もありました。
 
 
  鍋島、柿右衛門には工芸美術的なよさはあるが、精神力には欠けている。そこへ行くと古九谷には道楽気があって、芸術味が含まれている。無我夢中になってやった仕事には魂が入っている。
 
 
随筆のオチがまた素晴らしかったです。
 
 

 
 
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陰翳礼讃(2) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回、陰翳礼賛という随筆のもっとも印象的な場面が描かれています。寺院の、母屋から厠に向かう、清潔で薄暗い廊下の美が描きだされています。ちょっと気になったことがあって調べてみると、谷崎潤一郎は美という言葉をここで記していないんです。この随筆は日本の美を描きだしている、ということで間違いないと思うんですが、美という言葉は前半部分ではほとんど用いていない。そういう言語の使い方がもう、美しいなあと思います。後半で内容がより奥深くなってきてからはじめて「美観」や「美の要素」ということを明記しているんです。
 
 
日本の近代文学から現代文学へと移行する過程で生じたことは、小説が、美や楽しさを中心的に追求するものへと変化した、ってことなんじゃないかなと、思ってたんですけど、谷崎潤一郎は近代文学から現代文学への道を創ったんではなかろうか、と思いました。
 
 
それから、谷崎潤一郎は、漱石文学への思慕を描きだしています。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(2)

今日は生田春月訳の「ハイネ詩集」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネのことを調べてみると、ドイツからフランスへ向かった詩人だということが明らかになるんですけど、詩を読んでいても、これはドイツ文学と言うよりも、フランスっぽいぞと言う感じがしてくる気がしました。ドイツというと、ニーチェとかトーマスマンとか……。
 
 
はじめの詩は、ハイネがドイツの大学時代の20代に記されたもので、甘い恋を描きだしています。恋人との戯れと、それから悪魔たち、という描写が新鮮でした。ハイネは新しい詩人というわけでは無いんですが、現代にも日本近代詩人にも無い感覚を表現していて、読んでいてうっとりしました。夢魔に恋人を奪われるという暗黒童話のようなところを詩に描きだしているんです。やっぱり生田春月は、初期の詩でいちばん良いのを冒頭に持ってきたのかなと思いました。
 
 
ピエロのように鮮やかな衣装を着た、サーカスの曲芸師のような小男というのが、とても印象深かったです。
 
 
 むかしわたしは夢みた、はげしい恋を
 きれいな捲毛を、ミルテじゆを、木犀草を
 苦い言葉の出て来る甘い唇を
 悲しい歌の悲しい曲調メロデイ
 ……



 
 
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万葉歌のイチシ 牧野富太郎

今日は牧野富太郎の「万葉歌のイチシ」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
牧野富太郎は、植物学者なんですが、万葉集に書き記された、イチシという植物の謎をこの随筆に書いています。壱師、というのが消えてしまった言葉で、どのくらい消えているかというと、岩波国語辞典にも新明解国語辞典にも明鏡国語辞典にも、wikipediaにもデジタル大辞泉にもマイペディアにもデイリーコンサイス国語辞典にも漢字源にも記されていない言葉です。
 
 
で、自分でもいろいろ調べてみたんですが、広辞苑にはこの消えた言葉「イチシ」の解説が載っていました。こう記されています。
 
 
  いちし【壱師】 ギシギシの古名。また、エゴノキ、クサイチゴなどとも。万葉集11「路のべの―の花のいちしろく」 [岩波書店 広辞苑 第五版]より
 
 
言語の専門家によれば、ギシギシの古名らしいです。ただ、植物学者の牧野富太郎は、どうもそうじゃない、と書くんです。
 
 
タケニグサのように思えるが、どうも彼岸花らしいと。
 
 
山の畑のあぜ道に、鮮やかに咲く彼岸花って、ぼくも見たことあるんですけど、あれこそ「灼然いちじろく」に相応しいだろう、と言うんです。
 
 
ところで、この「灼然いちじろく」という言葉、調べてみると、三省堂 大辞林によれば「灼然しゃくぜん」 ① 輝くさま。 ② あきらかなさま。明確なさま。判然。という意味なんですが、灼然いちしろにふさわしい花が、なんの花なのかよく判らず釈然しゃくぜんとしない……。
 
 
灼然しゃくぜんなのに釈然しゃくぜんとしない、というのはじつに意外な事態だなと思いました。
 
 
自分でも調べてみて、やっぱり牧野富太郎の言うとおり、【壱師いちし】は、彼岸花の可能性が高い、と思いました。
 
 
ところで、wikipediaによれば、棚田などで彼岸花が咲きほこる理由は、どうも田畑の穀物を守るための害獣対策として、根に毒を持つこの花を、農家の方々が、田んぼの畔に植えているから……なんだそうです。牧野富太郎とwikipediaを同時に読むと、曰く言いがたく面白いんですよ。
 
 

 
 
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陰翳礼讃(1) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回から10回くらいに分けて、谷崎潤一郎の随筆を読んでゆこうと思います。谷崎は日本の美について記しています。電気や電灯が一般の家に入り始めた時代に、どういう生活美があったかというのを書いています。
 
 
池と庭と縁側と障子と畳がぜんぶシームレスに繋がっているのが、そもそもの旧来の和室の、風通しの良い構成なんですけど、今の旅館でこれはあり得ないですね。開けっ放しでは蚊も入ってくるし。
 
 
和室に電気製品をどう置くかという問題は、見た目上は現代のほうがもう解決してしまっていて、クーラーもコードも全部天井裏や壁の中に入ってしまっていて、どこにも隙が無い和室が、今はあるなあとか思いながら読んでいました。でも構造はぜんぜんちがう。現代のはガラスの密室になっている。
 
 
谷崎潤一郎は、紙障子が好きなんですけど、嵐や冷気の問題でどうしても不便で、外側にガラス窓を設えて二重にするしか無く、これがなにか別ものだと言うんです。谷崎潤一郎は、鎧戸は使っていたんだろうかと思いました。
 
 
なんだか「トポロジー的には、トーラスはどれだけ伸縮してもいい。有名な例は、ドーナツとコーヒーカップは同相である、というものである」というまったく関係無い話しを思いだしました。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(1)

今日は生田春月訳の「ハイネ詩集」その1を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今日から、ハイネ詩集を読んでゆきたいと思います。今回は、詩集の冒頭にある、翻訳者生田春月の前書きです。ハイネは、ゲーテやリルケのように有名な詩人ではなくって、日本ではとくに、ここ30年くらい、大手出版社から詩集が出ていないようなんですが、ハイネの祖国やまた日本でも、長らく読みつがれて来た詩人なんです。
 
 
じつは宮沢賢治も、ハイネ詩集を愛読していたんです。キツネが恋人の樺の木に、このハイネ詩集を貸して、木は夜になるとこのハイネ詩集を愛読した……というシーンが印象的な童話があるんです。
 
 
調べてみたんですが、どうもハイネはひとことでは言いあらわせない詩人で、いろんなことが起きているんです。祖国ドイツを政治的な問題で追放されたり、いっぽうでドイツという祖国への愛を歌った詩が数多に残されていたり、世界文学者としてフランスを愛していたり、詩人としての名を抹消されたり、逆に祖国にハイネ大学という、詩人の名が刻まれた大学があったりするんです。ハイネは、恋愛詩をおもに書いたそうです。これから約80回くらいかけて、この詩を読んでゆこうと思います。
 
 
生田春月は、この詩集を1919年(大正8年)に発表しています。賢治が物語の中でハイネ詩集について書きあらわすのが1923年(※推定だそうです)で発表されたのが賢治が亡くなった翌年の1934年。はたして生田春月訳のこの詩集を、賢治が愛読していたのかどうかは、僕が調べた範囲では謎なんです。
 
 

 
 
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メールストロムの旋渦 エドガー・アラン・ポー

今日はエドガー・アラン・ポーの「メールストロムの旋渦せんか」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ポーはこういう文章を冒頭に置くんです。
 
 
  自然における神の道は、摂理におけると同様に、われら人間の道と異なっている。また、われらの造る模型は、広大深玄であって測り知れない神のわざにはとうていかなわない。まったく神の業はデモクリタスの井戸よりも深い。 / ジョオゼフ・グランヴィル
 
 
これが記憶に残りました。ポーはこの自然界のことを考えつつ、どういうように物語を展開させるかというと、「ノルウェーの海岸 / ロフォーデン地方」つまりロフォーテン諸島のことなんですが、その海で起きる巨大な渦巻の”メイルストロム”について書いています。 
 
 
メールストロムの旋渦せんかこのすぐ側を通りぬけて、命がけで漁をしてきた老翁が、ある事件について語るんです。いつもはすんでのところでこの渦に飲みこまれずに、魚を釣って帰ることができたのに、その日は突然やって来た台風に全てをもってゆかれてしまった。ここから先の描写が凄まじかったです。くわしくは本文をご覧ください。
 
 

 
 
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