ハイネ詩集(12)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その12を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネは、歌歌いのための詩を数多く書いた詩人なんです。今回、そのことを詩にしている。ハイネは意外と自分のことを詩にしたためるんだなと思いました。直球の詩が多いような気がするんです。
 
 
専門用語の意味をそれぞれちょっと調べてみました。 カンツォーネ ソネット スタンザ
 
 
ところで、テルツォネというのは現代では使われていない専門用語なんですが、調べてみるとこれは、テンツォーネ(tenzone)というイタリア語で、ソネットなどによる韻文による議論、のことらしいです。ダンテがテンツォーネ(tenzone)を書き残している。
 
 
「詩人はとてもつくれない」で結ばれる詩に、とてもユーモアがあって楽しく読んだんですけど、ゲームや映画がつくれる感動と、現実にしか存在しない感動とのちがいをみごとに解き明かしているように思えました。
 
 
やはりハイネも、ゲーテと同じく、ギリシャ神話から詩のヒントを得て描いている。ハイネはゲーテにも、そしてパリでマルクスとも出会っているんです。
 
 
マルクスとハイネは2人とも、自分たちの政治的言論で国から追放されて、パリで自由を求めた。ハイネは詩とパリにその後ずっと生きて、マルクスは革命にひた走って自由の国パリからも出てゆかざるを得なくなった……すごい時代だなあ……と思います。
 
 
むつかしい言葉を調べてみました。
 
 
恕す
 
 

 
 
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陰翳礼讃(11) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」その11を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
100年前あるいは数百年前の能における照明は、どうも今よりもはるかに暗かったらしい。Youtubeで能を調べてみると、現代では舞台のすみずみまで光に包まれていて、陰がいっさい無く、まるで金箔で彩られた日本画のように作られています。本来なら姿が見えないはずの、笛、小鼓、大鼓、太鼓といった囃子の人々の顔にまで仔細に光を当てているんです。
 
 
野外でやる能でもやはり全体に均一に光をあてて、陰翳を除外している。
 
 
よくよく調べてみると、谷崎潤一郎が述べているような、陰翳に包まれた、ほとんど見えない能の舞台というのも、現在にやはりあるんですよ。この 能「鉄輪」 という動画では、なにもかもが陰翳に包まれているんです。シテの顔も、着物と闇に隠されている。囃子の服装も暗く、陰翳に溶け込んだ色彩になっている。
 
 
そもそも能では、登場人物の表情が完全に闇に隠されている。風景も暗闇に隠されている。陰翳に隠される現実世界の夜と、同じ構造がある。
 
 
谷崎潤一郎は、能と歌舞伎と文楽を比較して、こう書いています。
 
 
  大阪の通人に聞いた話に、文楽の人形浄瑠璃では明治になってからも久しくランプを使っていたものだが、その時分の方が今より遙かに餘情に富んでいたと云う。
 
 
谷崎は暗がりに包まれた能の舞台について……「能に附き纏うそう云う暗さと、そこから生ずる美しさとは、今日でこそ舞台の上でしか見られない特殊な陰翳の世界であるが、昔はあれがさほど実生活とかけ離れたものではなかったであろう」と記します。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(11)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その11を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回、蓮の花が登場するんです。日本における蓮のイメージと、なんだか違う感じがする。そういえば印象派のクロード・モネが睡蓮の池を描いている。蓮と睡蓮はちょっとちがうんですけど。ハイネは蓮の花を、月夜が似合う美しい存在として描きだします。それからライン川のことを書いています。
 
 
おまへの顔さへ見てをれば/わたしはうれしい王様のやうに という男独特の感性を描きだした、恋愛の詩がちょっと生々しくておもしろかったです。今回のは、ハイネの魅力が詰まった詩なんです。
 
 

 
 
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フォスフォレッスセンス 太宰治

今日は太宰治の「フォスフォレッスセンス」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ぼくは今回はじめてこれを読みました。随筆のような、小説のような美しい掌編です。フォスフォレッスセンスというのは燐光という意味です。
 
 
前半部分の太宰治の言葉に、うっとりとしました。太宰はこう書き記します。
 
 
  私にはこの世の中の、どこにもいない親友がいる。しかもその親友は生きている。また私には、この世のどこにもいない妻がいる。しかもその妻は、言葉も肉体も持って、生きている。
  私は眼が覚めて、顔を洗いながら、その妻の匂いを身近に感ずる事が出来る。そうして、夜寝る時には、またその妻にえる楽しい期待を持っているのである。
 
 

 
 
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陰翳礼讃(10) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」その10を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
谷崎潤一郎は光と反射と質感、そして和室の空気感について詳細に述べはじめるんです。暗闇でどうしてものが光るのか……。本文こうです。
 
 
  時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃え上るように耀やいているのを発見して、こんなに暗い所でどうしてこれだけの光線を集めることが出来たのかと、不思議に思う。それで私には昔の人が黄金を佛の像に塗ったり、貴人の起居する部屋の四壁へ張ったりした意味が、始めて頷けるのである。
 
 
金色は暗がりに包まれた和室にあって光を集めて「その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。」と書くんです。くらやみの室内を照らしだすからこそ黄金が貴ばれたのだ、と言うんです。
 
 
陰翳礼賛を全文は読まないけれど、ちょっと内容を知ってみたい方は、今回の10番目の随筆をぜひちょっと読んでみてください。
 
 

 
 
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(約5頁 / ロード時間約30秒)
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ハイネ詩集(10)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その10を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
  星ははるかの大空に
  何千年もうごかずに
  
 
で始まる詩がとても印象に残りました。ハイネは遠い地を夢みる詩人で、古里から異国へ旅だっていった、移住の詩人なんです。ハイネは、星と星が「ゆたかな、うつくしい言葉をはなし」あっていると詩に描くんです。その秘密はどの学者も知らない、と記します。
 
 
遠いところを描く詩人で、ハイネは自分の詩が日本語に翻訳されて遠い地で読まれていることを喜んだそうです。この翻訳家たちによって、あの宮沢賢治もハイネ詩集を愛読したんです。遠方に思いを馳せる詩人なんだと思いました。
 
 

 
 
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民藝の性質 柳宗悦

今日は柳宗悦の「民藝の性質」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
谷崎潤一郎の、美に関する随筆を読んでいるところなので、ほかでどのように美が論じられているかを今、ちょっと調べてるところなんです。民芸を中心に美学を専攻した柳宗悦はまず、美術の領域に於いて、個人と自由の重大さを説きます。
 
 
そしてこの個性と自由を重んじる美術家の成立から先、「美術と工芸」とに分離され、美術家と職人とに乖離していった状況を書き、そこから、アーツ&クラフトの語源について記しながら、この「美術家と職人」はそもそも近しい領域に居たものであることを示します。
 
 
美術家の発展は、個人主義や自由や非実用性を色濃くしてゆくところにあった。柳宗悦は、どうもそういう、個性と自由と非実用性だけが、美の基準では無いはずだ、と言うんです。たしかに現代でも、美術家として長く活動するためには、個性と自由と非実用性は有効な特徴だと思うんですが、しかしそれとはちがう美というのも当然ある。
 
 
現代で言うと、映画制作には個人主義や自由と無関係な集団行動が重大で、しかし作品自体は自由を拡げるものが多い。世界遺産の寺院建築にはあきらかに美があるんだけど、これも個性や自由とはあまり関係無い。
 
 
美術家としてひとり立ちするには、どうしても「個性と自由と非実用性」が大事になると思うんですけど、どうもそれが美術の中心じゃ無いぞと。柳宗悦は、こう記します。
 
 
  個人的性質は何も唯一の美の基礎とはならないのです。
 
 
それで、美術家が「個性と自由と非実用性」を重んじすぎたために、伝統の破壊や退廃を目指すものが増えすぎて、わけが判らない業界になってしまった。そういう一過性の流行に、みんな満足できなくなってしまった。もともとの美術は、もっと人間の生活に寄りそうものだった。それで柳宗悦は、これを「美と生活」が「離婚」しちゃった、と言うんです。言い得て妙だと思いました。本文こうです。
 
 
  美術の観念は美を実用性から隔離させました。このことは美と生活との離婚を意味しました。そうして一般の民衆と美との間柄を疎遠なものにしました。しかし中世紀以前のものを省みますと、かつては実用から深い美が生れたことを示してくれます。それらの時代の絵画も彫刻も音楽も皆宗教的実用性から発したものでした。純粋に美を追う美術ではなく、生活に最も必要なものばかりでした。それは人間の生活そのものを深め温める日々の伴侶でした。
 
 
それで、生活や実用性に密着した工芸や民芸に、おもしろさや美があるんだよと、柳宗悦は述べるんです。この文章が印象に残りました。
 
 
  民藝は民衆のために民衆の手で作られる日々の用具なのです。いわば生活と切っても離れぬ存在なのです。かかるものは普通の品であり、数も多く価も安い…………その質素な謙虚な性質の価値は見直されていいのです。
 
 
文学者や思想家の言葉よりも、日々の言葉、というものを連想しました。「質素なもの謙遜なもの無心なもの」そういうところに美が宿るんだ、と柳は言うんです。終盤の数行はそこまでの論説から乖離していて無理があるような気がするんですが、民芸の素朴さと美、そこに焦点を当てた柳宗悦のまなざしが興味深かったです。
 
 

 
 
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