彼岸過迄(2)風呂の後(前編)夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(2)風呂の後〈1〜7〉」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
自分は酒が飲めないので、ちょっと気になったんですが、漱石は意外と酒の話しを書かないんですよ。あのいかにも酔っ払いのハナシが出てきそうな「吾輩は猫である」であっても、ほんの7場面くらいしか酒の話しが出てこないですし、猫がビールを飲んで悪いことが起きるシーンまであって、酒の面白さはほとんど描写されない。坊っちゃんにも、酒はほとんど扱っていない。草枕では主人公が酒を飲むシーンがない。その時代の娯楽状況でいえばもっとたくさん出てきて良いんですけど、あんまり出ない。
 
 
調べてみると、「それから」では主人公の代助がよく飲むんです。今回の「彼岸過迄」冒頭では、こんな描写でした。
 
 
  で、今夜は少ししゃくも手伝って、飲みたくもない麦酒ビールをわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁かいかつな気分を自分といざなって見た。けれどもいつまでっても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。
 
 
主人公の敬太郎は酒があんまり飲めない。また作中で、こういう発言があって印象に残りました。
 
 
  不思議ですね。酒を飲まないくせに冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです
  
 
それで、どういうふうに話しがはじまるかというと、昼日中から、銭湯で休息をしまくっている話しなのです。本文こうです。
 
 
  「僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠だるそうに浴槽のふち両肱りょうひじを置いてその上に額をせながら俯伏うっぷしになったまま、
「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。
「何で」
「何ででもないが、僕の方で御休みです」
敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽ゆぶねの側に突伏つっぷしていた。
 
 
カフカの諸作とかドストエフスキーの『分身』にも似た、不思議な文章も記されています。本文こうです。
 
 
  敬太郎けいたろうはこのせながら大した病気にもかからないで、毎日新橋の停車場ステーションへ行く男について、平生から一種の好奇心をっていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿住居ずまいをして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話したためしもないので、敬太郎には一切がエックスである。
 
 
途中でさまざまに、奇妙な作中作であるかのような、挿話が挟み込まれるんです。これがひとつひとつなんだが印象深い。鈴の音を鳴らして山登りをする盲人の話し。門の閉じた深夜の寺にむかって、婚礼の時のような鮮やかな振袖を着て歩いて行った女。蛸たちに囲まれて、大ダコと決闘をしてピストルを連射したら、弾丸がするするすべって外れていった話し……。
 
 
敬太郎は大学を卒業したが仕事が無い。そうしてあらゆる仕事や奇妙な経験をし続けてきた男森本を、変に尊敬している。先達のほうでは冒険が得意なのだが、どうも学が無いから経験を生かすことができないと思っている。
 
 
敬太郎は、先輩にこう聞くんです。「あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか」これについて彼が自分の経験を語ってくれるわけなんですが……。次回に続きます。漱石がもっとも愉快に感じたことは、なんだったのかなと思いました。正岡子規との交友の中になにかありそうです。
 
 

 
 
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彼岸過迄(1)序文 夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄(1)序文」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今日から、「彼岸過迄ひがんすぎまで」という漱石の代表作を読んでゆこうと思います。今回は、その序文です。
 
 
三四郎それから というのが漱石の前期三部作なんですが、この彼岸過迄というのは後期三部作の作品で、なんだか読むのが楽しみです。漱石は、「修善寺の大患」以降、内容の重い文学作品を描くようになったわけで、ぼくはどうも前期の作品「それから」あたりがいちばん好きなんですけど……、後期の作品の中でかなり代表的な作品がこの「彼岸過迄」なので、これはすごい小説なんじゃなかろうかと思いながら、今読みはじめているところです。
 
 
漱石は、大病をしたあとに二ヶ月間ゆっくり休んだのだと記しています。それでようやっと本格的に、この彼岸過迄を書きはじめることにした、ということを読者に対して、率直に記しています。体調や環境が整って、やっとちゃんとした小説を書けるようになってきた。本文にこう書いています。
 
 
  いよいよ事始める緒口いとぐちを開くように事がきまった時は、長い間おさえられたものが伸びる時のたのしみよりは、背中に背負しょわされた義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりもうれしかった。
 
 
漱石は、後期に於いても、書くことが喜びであったのだと判って、なんだかとても嬉しくなりました。ぼくは漱石の小説を読むのがおもしろくてしょうがないところなんですが、後期作品はどうも重々しくてむつかしい。漱石は今回「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。」と書いています。これは楽しんで読めるんじゃないかなと思っているところです。また、漱石はこの序文に、ちょっとした創作論を書いているんです。本文こうです。
 
 
  ……ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気げんきがあって自分以上をよそおうようなものができたりして、読者にすまない結果をもたらすのを恐れるだけである。
 
 
漱石は、素朴に自分らしい作品を書いて、読者に見せたいんだという。漱石は自分の読者はこういう人だろうと、考えている。本文こうです。
 
 
  ……自分の作物さくぶつを読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路ろじのぞいた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率しんそつに呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物をおおやけにし得る自分を幸福と信じている。
 
 

 
 
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こころ(6) 夏目漱石

今日は夏目漱石の「こころ」その6を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この第6回で、漱石の「こころ」は完結です。若き日の先生「私」と、暗い友人Kと、お嬢さん。この3人で同じ家に暮らしはじめる。善意の破綻とでも言うんでしょうか。良かれと思ってやっていったことが破滅へと至ってゆくシーンが描きだされています。
 
 
自分としては、ロンドン時代の漱石がカーライル博物館を訪れたときに記載したゲストブックにおける名前が K だったという記録から、神経症に陥った異邦の漱石がKのモデルなんではないか、と思いつつ読みました。
 
 
昔読んだときに気付かなかったのは、「私」がなぜ友人Kを破滅させてしまったのか、その元凶は善意にあった、という箇所で、この時代の大きい流れに共通した展開のように思えました。はじめは良かれと思ってやっていたことが、重大な局面を迎えると真逆の行為に及ぶようになる、という展開が、なんというのか……。本文には、Kを破滅させてしまったその始まりの箇所を、こう記しています。
 
 
  私は彼を人間らしくする第一の手段として、まず異性のそばに彼をすわらせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼をさらした上、び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。
 
 
漱石ってもしかして、親友の正岡子規に、こういう試みをしたことがあったんでないか、とか無関係なことも連想しつつ物語を読みすすめました。記録に残っている事実としては、子規と漱石はよく2人で一緒に寄席を見にいって、それが漱石の文学観に繋がっているということなんですが。
 
 
だとすれば「お嬢さん」というのは、じつは文学の化身なんではなかろうか。はじめ文学と深い繋がりにあったのは正岡子規で、子規が俳句で大活躍し文芸誌「ホトトギス」を創刊しているころには、漱石はまだ小説を発表したことがなかった。ただ中国文学や西洋文学に詳しいだけだった。
 
 
それがいつのまにか、立場が入れかわるように、漱石こそが近代文学の中心に居るようになったという、こういう事実がえーと、この物語に反映されているんでは無かろうかと、デタラメに空想していました。あるいは樋口一葉をイメージして漱石は「お嬢さん」を書いたのかもしれないとか。
 
 
すくなくとも、物語を読んでいるときに、これが遺書だとはちっとも思えない、色彩豊かな人間関係の描写が続くんです。この序盤の展開はすこぶる朗らかなんです。2人の男が破滅した、という物語を読んでいるとはとても思えない。可憐なお嬢さんをめぐる△関係の中でこう、「私」の内部に嫉妬が生じはじめるシーンがあるんですけど、ここが漱石の初期作品の快活な魅力と同じように、みごとな描写でした。
 
 
このままでは、良くないことになりそうだと言うことで、正直にお嬢さんへの思いをKに打ち明けて誤解の無いようにしておこうと、「私」は考えて、Kを旅に誘う。
 
 
漱石は、禅宗や浄土教に深い興味を抱いていたのですが、今回の小説ではなぜか日蓮を中心に描いています。Kは日蓮にものすごく傾倒している。
 
 
日蓮に興味を持てない「私」に対して、Kは「精神的な向上心が無いのは」イカンぞと、不快の意を示す。これがブーメランになってKを苦しめてしまうんです。他人への否定が自己否定に直結してしまう展開なんです。バカって言った奴がバカなんですーというのの、原典ですねコレ。
 
 
この物語の過程で「人間らしい」という言葉が用いられるのですが、どうにも印象深かったです。詳しくは本文を読んでみてください。
 
 
  「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点しゅったつてんがすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
 
 
Kというのは、まだ作家になろうとしないで茫漠としたこころでロンドンの下宿に籠もっていた頃の、選ばなかった未来、選択されなかった未来なんではなかろうかと思いました。シミュラークルとしてのロンドンの漱石が、すなわちKなんではないかと思いました。ロンドンの漱石は、自分の未来をどうするか、どうも決められなかった。ゼロ地点の漱石なんです。そうして完全に孤独だった。漱石ほど友人関係の豊かだった作家は居ないと思うんですが、ロンドンの漱石はそうでは無かった。本文には、こう書いています。
 
 
  ……するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶あいさつをするくらいのものは多少ありましたが……
 
 
漱石がロンドンに居た頃に子規と交わした手紙のことを、正直に綴った、漱石の随筆はこれです。漱石の「こころ」と同時に読むと、正岡子規の文学活動をつぐように小説を描き続けた漱石の文学観が伝わってくると思いました。
 
 
漱石は『吾輩は猫である』をはじめとした自分の作品を「地下に」いる正岡子規に「捧げる。」と明記している。漱石は「遠くから余の事を心配するといけないから、亡友に安心をさせる為め」ひょうひょうとした小説を書いた。「子規は今どこにどうして居るか知らない。」「子規がいきて居たら『猫』を読んで何と云うか知らぬ」漱石はこういうことを思いながら、小説を書きつづけたので、ありました。
 
 
Kと「私」とお嬢さんの恋愛は、さまざまな行き違いが起きて、いよいよ弁明のしようのない事態に発展する。Kから見れば、無二の親友のとんでもない裏切りの、略奪婚にしか見えない状況が現出してしまう。だが、「私」からすればはじめからお嬢さんと結婚をしたいという認識があったわけで、Kへの報告が大幅に遅れただけなのであります……。「私」は親友Kを裏切ったのだという明記もあります。本文こうです。
 
 
  Kが理想と現実の間に彷徨ほうこうしてふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ひとうちで彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼のきょに付け込んだのです。
 
  私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言いちごんでKの前に横たわる恋の行手ゆくてふさごうとしたのです。
 
 
「私」はけっきょく、Kよりも先に、お嬢さんと結婚したい旨を、彼女の母に伝える。Kを完璧に裏切ったのだという事実に思い至ったときの描写を、漱石はこう書きます。本文こうです。

 
  もしKと私がたった二人曠野こうやの真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
 
 
この荒野バージョン、めっちゃ気になる、読んでみたい! と思いました。いきなり裏切った者同士の2人が、荒野に2人っきりで放り出されていたら、いったいなにがどう展開したのか。たぶんトルストイの「復活」終章みたいにダイナミックな物語になると思うんです。「こころ」ではそうではなくて、Kの人生が閉じてしまう。本文こうです。
 
 
  その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目ひとめ見るやいなや、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ぼうだちにすくみました。それが疾風しっぷうのごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策しまったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄ものすごく照らしました。そうして私はがたがたふるえ出したのです。
 
 
  Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんにびなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生へいぜいの私を出し抜いてふらふらと懺悔ざんげの口を開かしたのです。
 
  お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらいくつろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴いってきうるおいを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
 
 
漱石の「門」13章でも記されていたのですが、漱石は「影」という言葉をとりわけ美しく使うんです。漱石の、影という描写の箇所だけを追っても、それだけで詩として成立しているというか、この言葉の扱いが印象深いんです。
 
 
  卒業して半年もたないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度めでたいといわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影がいていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
 
 
漱石は、正岡子規と同じように、「修善寺の大患」以降は、死期の訪れを覚悟しつつ、創作に没頭したんだなと思える文章がありました。終盤での妻への気遣いの描写は、そのような事情によって記されたのではないかと、思いました。
 
 

 
 
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こころ(5) 夏目漱石

今日は夏目漱石の「こころ」その5を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ここから先生自身が語り手になります。あれっと、おもったんですが、主人公の青年は、先生に逢うためにものすごく重大な旅に出たはずなのに、汽車の中で先生からの長い手紙を読んでみると、もう先生と話すことは出来ないことが明らかになっている。いや、むしろもう逢えないと判ったので、その逢えない現場に行くことにしたことが、明記されています。考えてみれば、逢えるんだったら父の臨終よりも重大なことだと言えると思うんですよ。でも先生がもう居ない東京にほんの短い時間滞在しても、ぜんぜん意味が無いように思えるんです。
 
 
先生も本文でこう記しています。「あなたの大事なお父さんの病気をそっち退けにして、何であなたがうちけられるものですか。」
 
 
青年は先生に逢いたいわけです。先生からの長い手紙を、汽車の中で読んでみると、逢えないことがすでに明らかな手紙だったわけで、手遅れな状況を書いている。あまり誰も気にして読まないと思うんですけど、これなんかすごく妙だなと思いました。
 
 
妙と言えば、夏目漱石と正岡子規の関係もすこぶる妙ですよ。現代人から見れば、漱石こそが文学の中心に居るわけですけど、生前の正岡子規は、漱石の小説を1回たりとも読んだことが無い。子規が亡くなったというので、その弔いの意味も込めて漱石は、子規の創刊した文芸誌「ホトトギス」に処女作の猫の小説を書いて載せて、読者を賑わせて、子規の「ホトトギス」という文芸誌の存在をのちへと繋げた。でも正岡子規はそういう未来になることを、知らんわけです。親友が著名な作家になることを、期待はしていたかもしれないですけど。
 
 
汽車に乗っている青年の状況はすこぶる妙なんですけど、漱石の文学人生と深く共鳴しているように思えるんです。
 
 
この先生の長い遺書を読んでいる状況が、前回の最終ページ(中巻 最終ページ)に記されています。本文、こうです。
 
 
  父ははっきり「有難う」といった。父の精神は存外朦朧もうろうとしていなかった。
  私はまた病室を退しりぞいて自分の部屋に帰った。そこで時計を見ながら、汽車の発着表を調べた。私は突然立って帯を締め直して、たもとの中へ先生の手紙を投げ込んだ。それから勝手口から表へ出た。私は夢中で医者の家へけ込んだ。私は医者から父がもう三日さんちつだろうか、そこのところを判然はっきり聞こうとした。注射でも何でもして、保たしてくれと頼もうとした。医者は生憎あいにく留守であった。私にはじっとして彼の帰るのを待ち受ける時間がなかった。心のきもなかった。私はすぐくるま停車場ステーションへ急がせた。
  私は停車場の壁へ紙片かみぎれてがって、その上から鉛筆で母と兄あてで手紙を書いた。手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いでうちへ届けるように車夫しゃふに頼んだ。そうして思い切ったいきおいで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、またたもとから先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。
 
 
青年は、もう東京に辿りつくつもりで居ますよ。しかし辿りついても……どうにもならないですよ。父の臨終に立ち会うためにふたたび田舎へ戻らねばならないですし、母を裏切るわけにもいかないですし、東京に入っちゃったら、二重の苦悩を背負うことになる。自分だったら途中で引き返しますよ。
 
 
こりゃもう他人の自分にはどうにもならないというんで、東京に行くのを辞めて、汽車をいったん降りて田舎に帰ります。漱石はしかし、そういうところは明記せずに、というかそれでも東京に行くのがこの青年の心情なのかもしれないです。それで漱石は、こんどは先生がどうして挫折したのか、それをどんどん書き記すんです。
 
 
先生も変なんです。もう気力もなにもかも無くなって、すべてを終わらせることにした人が、こんなに細部まで気を配った周到な手紙を書くわけが無い。よく、漱石は現実社会とは異なる、小説らしい小説空間を描きだした作家だと言われますが、ほんとにこんな用意周到な長文の手紙を、絶望した人間が書くわけが無いですよ。とくに今回、漱石は虚構である小説を、事実っぽく書くのはあえて避けています。ありえない構造が3つくらい折り重なっています。そこがなんでしょうか、読んでいて、えーと、源氏物語とか万葉集みたいなこう、余裕のある文学に感じられます。
 
 
単に薄っぺらでデタラメなインチキ話とまったく違って、なにかがこう印象深いと感じさせるのは、漱石はそもそも、矛盾した人間性を描きだそうとして、ややこしい状況の人物たちを描いているわけで、状況を検討するとけっこう筋が通っていないわけなんですが、そこを言葉でしっかり捉えているというか、悲しい人の内奥に言葉が存在していないのにたいして、悲劇を創造する劇作家は、その悲しい事態を表現しうる言葉を持っている。言葉が無いところのための言葉が描きだされている。
 
 
それで、文章と実際とのあいだに、何重かのレイヤーが張り巡らされることになっているように思うんです。ある構造を表現するために、背景レイヤーと人物レイヤーと社会的事件のレイヤーと、いくつもの階層の表示が必要になってくる。そこが顕著になるのが、この文章だと思いました。本文こうです。
 
 
  私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目まじめだから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
 
 
「あなただけに」という、この文を書いているのは、漱石です。漱石の読者は一人では無くてものすごくたくさん居ます。「あなただけに、私の過去を物語りたい」と考えているのは漱石では無くて、架空の人物「先生」です。人生そのものから生きた教訓を得たい、ということは、短文とか文章のみから教訓を得るのでは無くて、現実に居る人間の事実から学びたいということです。文章そのものの持つ単純な意味と、その文全体が指し示している意味が、ものすごく階層分けされて、多重のレイヤー構造になって駆動している。
 
 
いっぽうで、この文章は、漱石自身の手紙そのものにも近い、平易な文章とも解釈出来るな、という、スムーズに書き記された箇所もあるんです。本文こうです。
 
 
  暗いものをじっと見詰めて、その中からあなたの参考になるものをおつかみなさい。
 
 
これは漱石が、漱石の読者に、そのまんまの意味で書いているようにも思えます。物語を駆動させるための多重レイヤー化された箇所もあれば、漱石の現実の手紙とさして変わらないような一文もあって、それが美しく混じりあっているのが、漱石の文学なのではないかと思いました。
 
 
小説の構造は、作者→架空の語り手→架空の世界→想像上の読者像→現実の読者と、3階層か5階層くらいから成り立っていると思うんですが、今回の「こころ」では、この「語り手」と「想像上の読者像」ががっちりと人格づけられていて、ここが印象深いように思いました。「私」や「あなた」という記述に肉体が備わっているのが、独自で強固な物語になっているように思います。
 
 
この文章が印象に残りました。
 
 
  私はたった一人山へ行って、父母の墓の前にひざまずきました。なかば哀悼あいとうの意味、半は感謝の心持で跪いたのです。そうして私の未来の幸福が、この冷たい石の下に横たわる彼らの手にまだ握られてでもいるような気分で、私の運命を守るべく彼らに祈りました。あなたは笑うかもしれない。私も笑われても仕方がないと思います。しかし私はそうした人間だったのです。
 
 
「先生」は、両親の家を上手く継げないどころか、財産も受け取れない状況に陥り、二度と故郷に帰らない決心で、すべてのものを手放して、東京だけで生きることに決め、そのため奇妙な下宿に住むことになった、その過去について手紙で詳細に記すのでした。
 
 
ひどい不幸というのがあって、そこからなんとか這いだして、その後遺症のような不都合として、プライベート空間がガッチリ守られているような、満足のゆく住み家に住むことなど、できない。そのため男2人の友人同士そして若い女1人、この3人の危機的な△関係を形成することになる……。現代でもかならず起きそうな状況を、漱石は描きだしたんだなあと思いました。
 
 
物語はこのように展開します。本文こうです。
 
 
  私は未亡人びぼうじんに会って来意らいいを告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支さしつかえないという挨拶あいさつ即坐そくざに与えてくれました。
 
  …………
  ……時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上にそそいでいたのです。おれは物をぬすまない巾着切きんちゃくきりみたようなものだ、私はこう考えて、自分がいやになる事さえあったのです。
あなたはさだめて変に思うでしょう。その私がそこのおじょうさんをどうしてく余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花いけばなを、どうしてうれしがってながめる余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというよりほかに仕方がないのです。
 
 
ヒロインの呼び名が少しずつ変化して、それと同時にお互いが打ち解けてゆくんですけど、この繊細な呼び名の変転に、なんだか魅了されました。
 
 
それで、不吉な友人Kが登場するわけなんですけど、kは坊さんの家からやってきた学生なんですが、なぜKと書いたのか。Kは何者なのか、調べていたんですけど、同時代に活躍した文学者にカフカが居て、カフカはいつもKという名前を使ったんです。カフカの作品を漱石は絶対に読んでいないわけですけど、そういう表記法を、漱石が西洋文学や西洋文化を見ているときに、どうも学んだというか、Kという文字を気に入ったようなんです。というのも、ある西洋の文学者の小さな博物館のようなところを夏目漱石が訪れたとき、ゲストブックに K と記入していったという記録が残っているんです。Kって漱石とまったく似ていないんですけど、ただ名前はじつは、漱石の本名の K からどうもとったようなんですよ。こころの K は漱石とあらゆる意味で似ていないです。でも、名前は漱石の英国滞在中のプライベートの名前 K と同じなんです。漱石はイギリスで絶望して学校に行かなくなったわけで、そのときの名前は夏目漱石では無く、ただKだった。そのKと「私」とが同じ下宿に住みはじめた……。本文こうです。
 
 
  Kと私も二人で同じにいました。山で生捕いけどられた動物が、おりの中で抱き合いながら、外をにらめるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人をおそれました。それでいて六畳のの中では、天下を睥睨へいげいするような事をいっていたのです。
 
 

 
 
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こころ(4) 夏目漱石

今日は夏目漱石の「こころ」その4を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
父の体調が崩れて、主人公の「私」はふる里から離れがたくなってきた。この描写が、漱石の作品の中でもとりわけ丁寧に描きだされているんです。「猫」の中盤みたいに話しがとっちらかっておらず、「草枕」みたいに美麗で饒舌で絵画的という描き方でもないし、「それから」のように思弁的な記述も無い。純粋に父と子の物語だけを、書いている。
 
 
小津安二郎の映画みたいに、整然とした描写なんです。しかし流して書いているわけでも無くって、細部まで確実に描きだしていて、迫力があるんです。
 
 
だけれどもやっぱり漱石というのか、父の臨終に立ち会う息子、というだけでまったく終わらずに、東京に行って今すぐに逢って話したい「先生」という存在が一方にある。年上の男が一人だけ居るんで無しに、二極ある。「母」が子どもに、こういう発言をしています。
 
 
  「そりゃわかり切った話だね。今にもむずかしいという大病人をほうちらかしておいて、誰が勝手に東京へなんか行けるものかね」
 
  「実はお父さんの生きておいでのうちに、お前の口がきまったらさぞ安心なさるだろうと思うんだがね。この様子じゃ、とても間に合わないかも知れないけれども、それにしても、まだああやって口もたしかなら気も慥かなんだから、ああしてお出のうちに喜ばして上げるように親孝行をおしな」
  憐れな私は親孝行のできない境遇にいた。私はついに一行の手紙も先生に出さなかった。
 
 
父はずっと寝床に臥せるようになり、寝ながら新聞を読むことしか出来なくなったわけですが、そこで乃木の自尽の事件を知ることになる。
 
 
それから、父の危篤と時を同じくして、東京の「先生」が奇妙な電報を打ってくる。ちょっと東京に出て来て話しをしないか、という内容で、運悪くどうしても、親戚のところを抜けだすことが出来ない。
 
 
この場面が印象に残りました。
 
 
  子供の時分から仲の好かったさくさんという今では一ばかり隔たった所に住んでいる人が見舞に来た時、父は「ああ作さんか」といって、どんよりした眼を作さんの方に向けた。
「作さんよく来てくれた。作さんは丈夫でうらやましいね。おれはもう駄目だめだ」
「そんな事はないよ。お前なんか子供は二人とも大学を卒業するし、少しぐらい病気になったって、申し分はないんだ。おれをご覧よ。かかあには死なれるしさ、子供はなしさ。ただこうして生きているだけの事だよ。達者だって何の楽しみもないじゃないか」
 
 
ここに来て、漱石が小説や随筆や手紙のことをどう考えているのか、その重大なヒントになるような記述がありました。「先生」の手紙の第一文目です。本文こうです。
 
 
  「あなたから過去を問いただされた時、答える事のできなかった勇気のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。しかしその自由はあなたの上京を待っているうちにはまた失われてしまう世間的の自由に過ぎないのであります。したがって、それを利用できる時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の経験として教えて上げる機会を永久にいっするようになります。そうすると、あの時あれほど堅く約束した言葉がまるでうそになります。私はやむを得ず、口でいうべきところを、筆で申し上げる事にしました」
 
 
漱石は、臨終に立ち会えなかった正岡子規のことを思いながら、親友のことを考えて、この「こころ」を書いたのだろうか、と思いました。あるいは友人の二葉亭四迷のことを思いだしながら書いたのかもしれないです。「自由が来たから話す。しかしその自由はまた永久に失われなければならない」という発言は、哲学者ウィトゲンシュタインの哲学論考と近い考え方のように思いました。ウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」の終章にて、こう述べているんです。
 
 
  私の命題が役立つには、私の言うことを理解した人が、これらの命題を通ってその上に立ち、乗り越えて、ついにはこれらの命題が無意味であったと認識する必要がある。いわばハシゴを登りきったあとに、そのハシゴを投げ捨てなければならない。
 
 
主人公「私」は、今際の際の父よりも、東京の先生のほうを重大視して、汽車に乗るんですが、これ、読んでいるとどうも、父への裏切りとは言いがたいように思うんです。というのも、父は就職が決まることを大切にしている。先生に頼んで就職先を用意してもらえるはずだという幻想を、父は持っている。息子の「私」は、先生に職を用意する力は無いことを既に知っている。知っては居るんですが、先生からなにか重大なことを学べるはずだと言うことで青年「私」はここ数年、生きてきたわけで、最終的には、「私」は先生のほうへ走ってゆくので、ありました……。
 
 

 
 
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こころ(3) 夏目漱石

今日は夏目漱石の「こころ」その3を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
全6回にわたって漱石の「こころ」を読んでいます。物語はいよいよ中間地点に到達するわけなんですが、ここで、父の病と、明治天皇の病がオーバーラップして描かれます。
 
 
青年の「私」にとって父は、避けがたい相手で、有無を言わさぬ存在であって、それと無関係に生きることはむつかしい。なので村人を集めて「私」の卒業祝いをやる、となると、そんな大仰な集会はしたくないと言いたくても、父に従うしかない。父、抜きに考えることがどうもむつかしい。
 
 
当時の明治天皇もどうもそういう大きな存在で、いやよりいっそうデカイ存在なわけで、wikipediaを読むと、なんだかすごい時代だと思いました。「明治天皇」とはいったいなにか、百科事典を読んでみると、その全体が詳細に記されていますので、漱石の「こころ」と同時に読むと、興味深かったです。
 
 
「こころ」では、この明治天皇が崩御したということで、父と子の祝いの席があっさり取り消しになる。これは1989年のころの天皇崩御もそうだったし、おそらく今後もそうなんだと思います。関係無いんですけど、1991年に漱石の「こころ」の出版がちょっとしたブームになったような気がするんですよ。このころに、集英社や和泉書院から「こころ」が発売されている。
 
 
ちょっとこの漱石が描いた時代をおさらいしてみると、1912年(明治45年)の7月30日に明治天皇が崩御している。その年の9月に乃木希典が殉死している。その2年後に、漱石は、崩御と病と老死と殉死と自尽についてこの小説「こころ」で描いている。
 
 
天皇と青年「私」と、いったいなんの関係があるのか、まったく無いのではないか、と思ったら、じつは卒業式に、陛下が来ていたという描写がさらっと記されているんですよ。これ、けっこう驚く描写だなと思いました。本文こうです。
 
 
  私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸ぎょうこうになった陛下をおもい出したりした。
 
 
現代では、避難所をひとつひとつ訪れるのが憲法に記された「象徴」としての天皇の仕事として繰り返し新聞記事になっているなと、思いました。
 
 
主人公の「青年」は、東京の暮らしがなつかしく、友人や「先生」に、手紙を書き送るので、ありました。
 
 
現状、主要な登場人物がどういう状態か、判りやすい箇所があったので引用します。本文こうです。
 
 
「その先生は何をしているのかい」と父が聞いた。
「何にもしていないんです」と私が答えた。
 私はとくの昔から先生の何もしていないという事を父にも母にも告げたつもりでいた。そうして父はたしかにそれを記憶しているはずであった。
「何もしていないというのは、またどういう訳かね。お前がそれほど尊敬するくらいな人なら何かやっていそうなものだがね」
 
 
ここから先の、父と子の交流の描写が、とくに事件は起こらないんですけど、印象深いんです。ごく普通にある、ほとんど誰もが経験するはずの、田舎の悲劇というか……生老病死を描きだしています。漱石はそもそも、こういうのを中心的に書くために、大問題を比喩的に表現してみたのではあるまいかと思いました。
 
 

 
 
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こころ(2) 夏目漱石

今日は夏目漱石の「こころ」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
全6回にわたって漱石の「こころ」を読んでいます。先生の妻の、話しぶりが印象に残るんです。それでちょっと調べてみたんですけど、先生の呼び名が奇妙なんです。まず名前が無いんです。どこを探しても、「先生」の名字も名前も判然としない。百科事典のwikipediaにも書いていません。それで妻が夫を何と呼ぶかというと「主人」という呼び方をしない・・・です。主従の関係には無いので、主人という言葉をほとんど使わない、とも読めるかと思います。漱石は、主人という言葉を、「客と主人」というように店主のような存在を名指す時に使っています。
 
 
それで、どう呼んでいるかというと、おもに「あの人」とか、または主語を用いずに夫のことを語ります。そして若き青年は彼のことを「先生」と呼んでいる。べつに学校の先生はしていない男を先生、と呼ぶんです。源氏物語もじつは、名前が固定されていなくて、呼び名が変転し、本名がよく判らないように記されているんですが、漱石も「名前がない」という物語をよく描くんです。明確に名指す行為ってたとえば新聞とか、客観的な事実が報じられるときに名が明確に筆記されると思うんです。


名前がある人と、名指せない存在のちがいってなんなんだろうかと思ってたんですけど、たとえば親密じゃ無い相手でも名前がない相手はけっこう居ると思うんですよ。個人的に嫌いな相手や興味を持てない相手にも名前がとくに無かったりする。でも近い存在とか好きな相手でもなぜか名前が生じないこととか、名がころころ変転する場合もよくあるはずで、客観的にはとらえがたい領域に居る人物が、こう、源氏物語とか漱石が描きだす「名の無い存在」になっているんだと思うんです。
 
 
「それから」では、主人公代助が、名づけにくい暮らしをしている。今回の先生も、じつにあいまいな存在として語られつづけます。先生は、いったいどういう人なのか、その妻と、彼を慕う青年が論じ合う箇所があります。原文こうです。
 
 
「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」
「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」
「どんなだったんですか」
「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」
「それがどうして急に変化なすったんですか」
「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」
 
 
妻によれば、先生がなぜ変わってしまったのか「私にはどう考えても、考えようがないんですもの。」と言うんです。次の一文がすこぶる印象に残ったんです。妻が、先生のことを考えてこう言うんです。原文こうです。
 
 
  ……
  しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくってたまらないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」
 
 
思うんですが、漱石は、正岡子規が亡くなるまでは、小説家になる行為をとっていなかったですよ。それまでは英語の研究をしていたんです。正岡子規が亡くなったので、その彼がやっていた文芸誌に小説を書きはじめた。正岡子規が一生文学をやるという姿を漱石に見せたので、漱石はそれを追うことにしたとも、思うんです。
 
 
主人公の「私」は、正月になると、父の健康状態をうかがいに故郷へ帰り、暇つぶしに親子で将棋を打ったりします。それから東京に帰って卒業論文を書いたりしている。なるほど、漱石はおそらく学校を卒業する年齢の読者に向けて書いたんだろうなと思いました。
 
 
物語中のちょっとした挿話に、夜に寝ていて気付かぬうちに亡くなっていた男のことが語られます。身内どころか本人も気づかないような、苦しみの薄い自然死のことがほんの少し記されている。主人公はその話しをまるで気にしないんですが、なんだか妙に気になりました。
 
 
漱石は、他の文学とどうちがって、どこが独自かということを論じている評を読んだことがあるんですが、そこでは漱石は何よりも、裏切りについて描いた作家だ、というのがあって記憶に残ったんですが、たしかにこの物語ではそれが中心的に描かれていると思いました。本文では、青年の財産分与問題について、先生はこう述べています。「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
 
 
「人間がいざという間際に、誰でも悪人になる」と、先生は言うんです。なぜそうなるのか。この問題について、青年が問いつづけていると、先生は、真面目に問うのなら自分の過去の体験をはっきり教えようと、宣言します。それでいちばん長い、先生の最後の手紙が登場するわけなんですが…………。次回につづきます。
 
 
この時代の「国」という言葉が好きだ、と思いました。漱石はふる里のことを、国と書くんです。原文はこうです。
 
 
  私はかばんを買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇おどかすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切いっさい土産みやげものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡りょうけんわからないというよりも、その言葉が一種の滑稽こっけいとして訴えたのである。
  私は暇乞いとまごいをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。
 
 

 
 
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