老子道徳経

今日は《老子道徳経》 Laozi Tao Te Ching を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。これは、へいはちろうさんという方が翻訳したものを借り受け、無料公開させていただいています。html形式でお読みになりたい方は、ぜひへいはちろうさんのサイトをご覧ください。中国語、英語、日本語で読むことが出来ます。

老子は、言わずと知れた中国のもっとも有名な古典のうちの一つです。老子の現代語訳の本は、日本でもたくさん出ていますから、老子に興味のある人はぜひ図書館で借りてみてください。
はじめて老子を読んでみる人には、新井満さんの『老子―自由訳 』をお薦めします。
もっと深く老子を学びたい人は、金谷治さんの『老子』をお薦めします。
まずは以下のリンクから《老子道徳経》を読んでみて、その魅力を知っていただければ幸いです。



http://akarinohon.com/center/rousi.html (総ページ数 約81枚)

横書きバージョンはこちら (総ページ数 約81枚)

縦書き+書き下し文バージョンはこちら(総ページ数 約81枚)




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料理メモ 北大路魯山人

今日は北大路魯山人の《料理メモ》を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。北大路魯山人といえば陶芸の大家として有名なんですが、陶芸界の常識からはかけ離れた作風なんです。普通の陶芸は精密さや技巧の難解さで特別な気配を表現するのですが、魯山人はそうじゃないんです。土を練って加工して焼いて器を作りそれを食器として使ってものを食べる、というそういう一つ一つの行程がはっきりと目に見えてくるような、独特な美を創りだしています。



たとえば「リンゴ」というとリンゴ10%ジュースを思い浮かべる場合と、リンゴの種が生長して木になって何十年か後にリンゴが出来るというのを思い浮かべる場合とでは、リンゴの存在感がまるで違いますよね。魯山人はそういう行程をはっきりと意識させてくれる人です。ほとんどグズグズになった鯛よりも、新鮮な鮎のほうが遙かに美味いってことをふつうに教えてくれる。魯山人は人工的なものをほとんど信じていないんですよ。学歴に関しても梅屋小学校を卒業して、そのまんま丁稚奉公しているわけです。だから型に嵌められて魅力を失っているものを重んじないで済む。あらゆる規制を重んじる陶芸界においても「これは必要」「これは私には不要」ってことをはっきりと独自に判断できる。



魯山人のこのメモには、現代に通じるところと、現代には通じないところとが、はっきりと分けて見えてくると思います。小説や物語の場合は、ついうっかり「現代に通用する感覚」と「現代にはまったく合わない感覚」とを混同して読んでしまいますよね。でも、この随筆の場合は、そういった「情報の要・不要」の判断がつきやすいものになっています。




日本人の特徴というのが、江戸時代や明治時代の衛生管理に現れている、という話しはご存じでしょうか? 同じ時代、フランスでは川に糞尿とかがあふれていてコレラとかが蔓延していた。ところが日本人は礼節や縦社会をすごく重んじるので江戸幕府はそういう下水処理や衛生管理などを整えるのが上手くて、病を防ぐ能力が高かった。その頃から、日本人はお上に従うという感覚を強く刷り込まれていくわけです。それで給食を卒業して自炊がはじまったら、ジュースとアロエとサプリメントしか食べないというようなムチャクチャ危ない食生活になってしまったりする。巨大組織の与えるものを盲信して不健康になってしまう。




魯山人は縦社会とか権力とかいわれているものの中で、これは自分に合わない、というものをちゃんと否定できる、という部分が一番の魅力なんです。リンゴ10%ジュースばかりを飲んでいると栄養が偏って不健康になる。新鮮なリンゴを美味しく食べているとやはり健康になる。魯山人はそういう健康の概念に目覚めさせてくれるような文化人です。






http://akarinohon.com/basic/ryorimemo.html (総ページ数 約10枚)




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クリスマス・カロル チャールズ・ディケンズ

今日はチャールズ・ディケンズの《クリスマス・カロル》を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。夏なのですが、クリスマスの物語を公開してみます。
これは強欲非道な商売を続けてきた男の悔悛を描いた物語です。

ディケンズの《クリスマス・カロル》は
amazonや本屋さんで売っていますから、興味のある方はぜひ文庫版でお読みください。

http://www.amazon.co.jp/クリスマス・カロル-新潮文庫-ディケンズ/dp/4102030085

明かりの本でちょっと《クリスマスカロル》を読んでみて、最後まで読んでみたかったらぜひamazonか本屋さんで買ってください。



http://akarinohon.com/basic/christmas_carol.html (総ページ数 約250枚)




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モルグ街の殺人事件 エドガー・アラン・ポー





今日はエドガー・アラン・ポーの【モルグ街の殺人事件】を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。フランスはパリ、モルグ街で起きた殺人事件を解き明かす名探偵デュパンが活躍する推理小説です。モルグ街というのは架空の街なんですが。
これはなにかの危機を乗り越えるための物語だと思うんです。



ご存じの方も多いとは思いますが、これはいわゆる“世界初”の探偵小説なんです。
日本で言えば“世界初”の恋愛長編小説【源氏物語】のように、過去に例がなかったものを作りだしたもので、ポーはいわゆる創始者・開拓者という存在なんです。アニメで言えばウォルト・ディズニーで、パーソナルコンピューターで言えばスティーブ・ジョブズのように、それまで存在していなかった分野をはじめから作りあげた人です。




それで、何もないところからなんらかの分野を新たに作りあげるというのはどういう用意周到さが必要なのか、というのがこの小説を読むとかなり明確になるんじゃないかと思います。探偵小説という分野が無い時代に、それを創った。探偵の犯人当て物語というのは現代ではアニメとかで普通に存在していてもう魅力が薄れてしまった分野になっているのですが、それが無い時代に、探偵と謎と意外な真相という設定を生み出すには、そうとうの力がいることが判ると思います。ポーはこの小説によって、従来と違う世界を打ち立てた。あり得ないことはないのに、現実化することは不可能な事件のことを描いてみせた。まったくの混沌の状況から、落ち着いた日常へと向かう道のりを描いて見せた。それまではざわめきが周囲を包み隠していたのに、別の世界観を提示することによって、世界のとらえ方が更新される。





何かが明らかに更新される瞬間ってあると思うんです。
金のかんむりを壊さずに、中身が本物の金であるか、それとも金以外であるのかを調べなさい、と王様に言われて、アルキメデスは考える。重さは量れるけど、体積は複雑すぎてはかれない。複雑なものをどうやって理解すればいいのか? 考えても判らないので風呂に入る。風呂にはいると水がザバーッとあふれる。
あふれだした水滴は、なんの水だ? と思う。
「ユリイカ!(わかった)」
と叫んで世界が更新される。




ある思想家が述べていたのですが、文学や詩の言葉というものは、当人や人々を書いた内容へと導いてゆくものなので、一度書いたものを丁寧に書き直し、自身らの未来をより良い方向へと捉え直してみることが大切であるのだそうです。そういうときに、名著や古典というものがほんとうに役立ってくるんじゃないか、と考えています。







こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
http://akarinohon.com/basic/morgue.html (約110頁 / ロード時間約30秒)









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檸檬 梶井基次郎

今日は梶井基次郎の檸檬を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
この本は単に僕が好きな本です。ただただ好きなので公開してみます。学生時代にこれをけっこう何度も読みました。檸檬(れもん)を手にして、こいつさえあれば、気難しげなほにゃららなんか木っ端微塵だ、と空想する。檸檬のあの色が、世界をなぜか救済する。美が世界を救済する、と述べたのはドストエフスキーですが、当時の僕にとっての美は、梶井基次郎の檸檬の中にありました。





http://akarinohon.com/basic/lemon.html




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子規の画 夏目漱石


今日は夏目漱石の手記、『子規の画』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
漱石が正岡子規のことを書いている、短い随筆です。




夏目漱石のことを調べてみると、漱石はやっぱり学生時代の正岡子規との交流がいちばん楽しかったようです。正岡子規が居なかったら、そもそも夏目漱石は誕生していないわけで、「漱石」という名前はもともとは正岡子規が使おうとしていた作家名で、夏目漱石がその名前を子規からもらうことにした。「漱石」という名前の由来は「石に枕し流れに漱ぐ」という無為自然の暮らしのことを表現した「枕石漱流」から来ています。それをある人が「漱石枕流」と言ってしまって、それじゃあ「流れに枕して、石で顔を洗う」になっちゃうじゃないかと指摘された時に、意地をはって「いや漱石で良いんだ! 漱石のほうがぜんぜん良い!」と負け惜しみを言い続けたという古事(珍事?)から来ている名前です。




正岡子規が亡くなってしまった後に、夏目金之助は、夏目漱石として作家の道を歩む決意をしたわけなんです。僕にはそういう人生が変わるような親友というのはまったく居ないですから、ただただ憧れます。というか、そういうれっきとした付き合いが出来る人のほうが珍しく貴重な存在なんだと思います。




子規が作っておいた道のりを辿って、漱石は小説家になった。やっぱり漱石は、子規がほんとうにやりたかったことを、自らで体現して見せようとしたんじゃないかなと思うんです。夏目漱石のユーモアというのは、寄席の世界観だと思うんです。その寄席には若い頃の正岡子規と一緒に通っています。漱石がユーモア小説を書くのはそのへんの楽しい記憶が深く関わっていそうです。




漱石が正岡子規との十年前の記憶について書いているこの文章は、とても淡々としていて、けれども冷徹ではない、という落ち着いたものです。
漱石はこの随筆で、正岡子規の文学はなににつけ「巧」であって「たくみだった」と述べています。もっと「拙」で「へたで良いから、のびのびと」していてほしかったなあ、と書いています。







こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
http://akarinohon.com/basic/shikino_e.html

(約5頁 / ロード時間約30秒)
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