レ・ミゼラブル(12) ユーゴー

 
今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第二部 コゼット』
『第四編 ゴルボー屋敷』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、モンフェルメイュでの水汲みをしていたこの物語の2番目の主人公コゼットが、テナルディエという悪い男にこき使われていたのでした。テナルディエ夫人がコゼットをこき使う姿はあたかも鬼婆のようであった、と記されています。児童は、これを酷使してはならないのであります。子どもを困らせ、それを改めないような大人はイカンのであります。
 
 
テナルディエというのは、作者ユーゴーによれば、悪しき男なのであります。支配的な世の善に抵抗する意思を持つような、迫力のある悪人では無いんです。狡猾で、嫉妬深く、罪を人になすりつけてばかりの、たちの悪いやつなのでありました。鬼のような夫人と、テナルディエとに二重の責め苦を受けるコゼットは、常に怯えながら仕事をやりおおすのでした。コゼットは水汲みや掃除洗濯など、暮らしのすべてをつかさどる仕事をしているのです。ユーゴーはこの架空の登場人物コゼットに対して、こう記します。
 
 

    あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた。

 
 
 「あわれ」という言葉には「共感する」という意味が込められてあって、それは「悲しい女」と述べる時と明確な違いがあるそうなのです。辞書を調べてみると、広辞苑には「あわれ」がこう記されています。
 

3.心に愛着を感ずるさま。いとしく思うさま。
源氏物語(空蝉)「この人の何心なく若やかなるけはひも、あはれなれば」
源氏物語(帚木)「下臈に侍りし時、あはれと思ふ人侍りき」

6.気の毒なさま。かわいそう。
源氏物語桐壺「命婦は、まだ大殿ごもらせ給はざりけるをあはれに見奉る」

7.悲しいさま。はかないさま。さびしいさま。
源氏物語桐壺「かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし」

 
 
また、《感動、愛情、人情、情趣、悲哀》を意味したり、《ものに感動して発する声》であったり、《ああなんとかして。ぜひとも》という意味で使われることもあります。レ・ミゼラブルとはまったく別のことを書きますが、さいきん、「もののあはれ」ってなんなのか少し調べてみたので、メモしておきます。「かなし」と「あはれ」には大きな違いがある。本居宣長は「もののあはれ」というのが、日本文学の要点である、と述べています。「もののあはれ」というのは、折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁のことです。「ああっ」と思う瞬間のこと。
 
本居宣長を研究した学者の大野晋氏の「源氏物語のもののあはれ」にはこう記されています。

アハレといえば、「気色」にせよ「けはひ」にせよ「さま」にせよ、その対象が現に存在している。場合によっては、対象は道端の行き倒れの人でもある。それを外から見ている。そこに生じてくる気持ちである。そして、対象を目で見ているだけではなく、基本的に対象に心の底の共感を抱いている。



 
和辻哲郎はこう書いていますよ。

「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ。…「物のあはれ」とは、それ自身に、限りなく純化され浄化されよとする傾向を持った、無限性の感情である。すなわち我々のうちにあって我々を根源に帰らせようとする根源自身の働きの一つである。


とても神秘的な表現ですね。永遠の根源への「思慕」のことを、「もののあはれ」と言う。
 
 
文学者や思想家によれば、この「あはれ」と「かなし」の違いを感ずることで、文学理解が深まる可能性がある、と指摘されています。
 
 
ぼくがまず理解したのは「かなし」というのは大きなへだたりがある歎きのことで、「あはれ」というのは対象との距離が近くて、思慕の念や共鳴というのが起きている。
 
 
「あはれ」と「かなし」の違いは、現代語にも伝承されていて「悲しい」というのは、そのつらい出来事に対してもはや何もしてやれることが無い時に言う。「逢えなくて悲しい」と思うのは、それは対象と距離が出来てしまっていることからくる歎きです。大きな距離が出来てしまって「かなし」と感ずる。いっぽうで、幼い子が苦しんでいるのを見て、ぼくたちはそれを「あわれ」だと感じる可能性がある。それは、その幼子に対して、何かしてやれることがあるはずだと心の奥底で感じているから、思いが共鳴して「あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた」という記述になるのです。
 
 
つらかろう、と思う時に、自分の過去や未来と照らしあわせて、自分の苦と響き合って、「あはれ」という記述になるのです。ですから、《第二部 第三編 死者への約束の履行》において、この作者のユーゴーや、翻訳者の豊島与志雄は、この架空の登場人物コゼットに対して、愛しく思ったり、なんとかしてやりたい、状況を変えてやろうと思いながら「あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた」という文章を書き記しているんです。
 
 
このレ・ミゼラブルは、「あはれ」や「かなし」といった苦の描写と、明るく知性的なおもむきを伝える「をかし」の両方がバランス良く物語に編み込まれていっているように思います。
 
 


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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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