浦島太郎 楠山正雄

 
今日は楠山正雄の「浦島太郎」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは、誰もが知っている物語だと思います。読んでみても、新しさは……無い! むしろそこが良い! と思いますがどうでしょうか。馴染みのある物語って、もういちど読んでもここちよいと思うんですがどうでしょう。ふたたび100歳まで生きられた新藤兼人映画監督のことを書きますが、新藤監督は98歳で最後の映画「一枚のハガキ」を撮り終えたのちの会見で、こう述べておられました。「映画を撮っているうちに、98歳になりました」
 
 
浦島太郎は、最後、いつのまにか老人になっていた自分を発見します。新藤兼人監督の語った老いとはまったく異なるのですが、この童話の明らかに独特な点は、最後の「老いた自分を発見する」という箇所だと思うのです。楠山正雄はそれについて、独自の解釈を書き記しているように思いました。
 
 
また新藤兼人監督は、エッセー集でこう記しています。「老いは残酷な牙を突きつけて迫ってくるが、精神だけはほこりまみれになりたくない。精神は肉体に逆行して生きている。とにかく自分なりに生きなきゃいけない」(100歳の流儀/新藤兼人
 
 
出来ないことがたくさんあるということをなんども随筆に書いていて、いくらでもやりたいことがあった監督は、心はいつも青春のただ中にある、と記しています。浦島太郎は最後若い気持ちのまま老人の姿になった自分を発見します。ここがもっとも不可思議なシーンとして私たちの心情に焼き付いていますが、これはもしかして、現実にもあり得ることなのではないかと思います。歩くのも食べるのも眠るのも若々しい100歳の方もいらっしゃってそういう方は人の3倍は生きたという心持ちになるのではと思いますし、心はみずみずしいが体はベッドから出られないという事情を持った方の書いた名作も数多く残されています。やはり、現実にこれと近しいことがある童話であるからこそ、今でも読み継がれて長生きしているのではないかと思えます。
 
 
この物語は、ぼくはむかし簡略化された絵本で読んで覚えていたのですが、楠山正雄の童話の場合、浦島に残された選択肢がもう一つあるのだ、ということに気がつきました。それは、招かれた新しい暮らしの場に、ずっと住むことを決める、という選択肢です。
 
 
新藤兼人監督はエネルギーあふれる働き手として生きながら、自分よりも20歳も若い仕事仲間が老衰で亡くなるのを見とどけたのち100歳の誕生日を迎えられ、故郷の広島で開かれた100歳を祝う映画祭が2012年の3月31日から5月27日まで行われている最中、すべての催しの日程が幕を閉じるその日までずっと生きて、新しい脚本や、新しい随筆の仕事をしておられました。
 
 


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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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