十年の思い出 宮本百合子

 
 今日は宮本百合子の「十年の思い出」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
 これはごく短い随筆です。1926年に書かれたものです。戦前から戦中、戦後というものがどういうものだったのか、ぼくはいちおう年表でそれがどう展開したかは調べることが出来るのですが、実際にその時代に暮らした人の手記は、ほとんど知りません。何冊かは読みましたが、それが一般にはどういう世相だったのかはやはり判らないのです。
 
 
 この時代の文学と歴史の年表をいくつか紹介してみます。

1923年9月1日 関東大震災
1923年9月16日 甘粕事件で、伊藤野枝大杉栄が亡くなられる
1923年12月27日 虎ノ門事件
1924年4月20日 宮沢 賢治が『春と 修羅』を出版
1925年3月12日 孫文が亡くなられる
1925年4月22日 治安維持法公布
1926年12月25日 大正天皇崩御
 
 
 関東大震災から戦争そして敗戦という中、変化の激しい時代に、文学者はどのように活動していたのかを少しだけメモしておこうと思います。かなり限定的な内容なので、ネット上に書く意義は無いのかも知れませんが、自分で忘れないためにメモをしておこうと思います。
 
 
 中野重治氏(1902~1979)は、震災の3年後である1926年、宮本百合子が「十年の思い出」という随筆を書いたちょうどその頃に、当時24歳で「夜明け前のさよなら」という詩を書き記し、そして74歳になって当時のことを振り返ってこう書いておられます。
 
 
 (戦後)三年議員に当選して西も東もわからぬ仕事にたずさわったりしたが、そのあいだに少しずつわかってきたことは、自分たちの過去が弱点に充ちたものだったらしいということだった。ひとことでそれをいえば実際上の私の無知ということだったろう。実際上の無知というのは言葉どおりのことでもある。世間のことを知らぬこと、労働者、農民などと言ったり書いたりしていてもその実情を知らぬことがそこにあった。
 
(略)

 またいったい、一九二六年、七年のころ、党と言えば普通に労働農民党を指していたこと、「三.一五」のあとやっと日本共産党が知られてきたが、その現れ方には下ごしらえの不十分な点があったのではなかったかと思われるところがあった。そうして、それを自分でしらべる便宜、むしろ気力が私自身に欠けていた。
 (人間的無知のこと/わが生涯と文学/中野重治
 
 
 中野重治氏は自身の挫折と言うことについて「そこでもここでも何かにぶつかって私のほうが引っこんでしまってきた」と述べ、そういった本人の行き詰まりがなぜ起きたかというとそれは自分で歴史の中身が判っていなかったからだ、と判断しておられ「歴史的無知といってもいい。しかし歴史は明らかにされていなかったのだから、この無知は私たち自身わが手でしらべなかったという事実だったろう」と考えていて、そういう社会の状態が実際にどうだったのか、ということを知ろうという態度において「歴史のいわば肉体が求められてくるものと私は思う」と述べてこの話しを締めくくっています。
 
 
 つまり、歴史年表だとか数字だとかではなくて、その時代に生きる人びとの心情と全体像と、それから一人の人のその労苦とは実際どうなっているのか、を理解せねば、と中野さんは述べておられます。それで、実際に当時の中野重治氏がどのような言論活動をしていたのかを調べてみたのですが、24歳とか26歳頃に中野重治氏が書いたものを読んでみると、二十代中盤でもう詩と現代史と政治批判と言うことを完全に体得して居るなあ、というのが判るんですよ。読むだけですごく難解なことをしている、と思うのだから、実際にこういうオリジナルの創作物を書くとなるともう、想像の何十倍も難しいはずだ、と思うような創作をやっておられます。
 
 
 時代が過ぎて高度経済成長期になってゆくと「中野重治氏と言えば共産主義者だから読んでもしょうがない」というような変なレッテルを張られてしまって世間一般ではあまり読まれなくなった作家らしいのですが、詩人としての活動を追うだけでも、ずいぶん充実した気持ちになれます。中野重治の「雨の降る品川駅」を紹介してみます。
 
 
雨の降る品川駅   中野重治
 
 
辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する
李よ さようなら
もひとりの李よ さようなら
君らは君らの父母の国に帰る
君らの国の河は 寒い冬に凍る
君らの叛逆する心は 別れの一瞬に凍る

海は 夕暮れの中に海鳴りの声を高める
鳩は 海に濡れて車庫の屋根から舞い降りる
君らは 雨に濡れて 君らを逐う日本天皇を思い出す
君らは 雨に濡れて 髭、眼鏡、猫背の彼 を思い出す

降りしぶく雨のなかに 緑のシグナルは上がる
降りしぶく雨のなかに 君らの瞳は尖る
雨は 敷石にそそぎ 暗い海面に落ちかかる
雨は 君らのあつい頬に消える

君らの黒い影は改札口 をよぎる
君らの白いもすそは歩廊の闇にひるがえる
シグナルは色を変える
君らは乗り込む
君は出発する
君らは去る

さようなら 金
さようなら 辛
さようなら 李
さようなら 女の李

全文はこちら
 
 
 詩を読み飛ばしてしまうと、いったいそこに何が書いてあるのか見えてこないのですが、注意深く読むと、そこに天皇陛下の背後に潜んでいたファシズムへの批判が書き記されています。詩の11行目をもう一度読んでみてください。これへの決別ということが、実際の中野重治氏の未来とぴったりと一致しており、こののち、執筆禁止の処分を受けたり、戦争が激化すると特高に逮捕されて「転向」させられます。最後には新藤兼人監督のように戦地へ送られる一歩手前の状態となり、命からがら敗戦を迎えられています。中野重治氏にとって、この危機を生きる時代に、詩の言葉としてもっとも重んじたのが「さようなら」という言葉です。
 
 
 1926年に発表された中野重治氏の「夜明け前のさよなら」を紹介します。
 
 
僕らは仕事をせねばならぬ
そのために相談をせねばならぬ
しかるに僕らが相談をすると
おまわりが来て眼や鼻をたたく
そこで僕らは二階をかえた
路地や抜け裏を考慮して
ここに六人の青年が眠つている
下にはひと組の夫婦と一人の赤ん坊とが眠つている
僕は六人の青年の経歴を知らぬ
彼らが僕と仲間であることだけを知つている
僕は下の夫婦の名まえを知らぬ
ただ彼らが二階を喜んで貸してくれたことだけを知つている
夜明けは間もない
僕らはまた引つ越すだろう
かばんをかかえて
僕らは綿密な打合せをするだろう
着々と仕事を運ぶだろう
あすの夜僕らは別の貸ぶとんに眠るだろう
夜明けは間もない
この四畳半よ
コードに吊るされたおしめよ
すすけた裸の電球よ
セルロイドのおもちやよ
貸ぶとんよ
蚤よ
僕は君らにさよならをいう
花を咲かせるために
僕らの花
下の夫婦の花
下の赤ん坊の花
それらの花を一時にはげしく咲かせるために
 
詩集はこちら
 
 
 
これが書かれたちょうど同じ年に、宮本百合子は「文芸のような無限の仕事をするものにとって、十年という月日は決して長いものではありません、考えように依ってはほんの僅かな一瞬間に過ぎない」と記しながら、読書の思い出とともによみがえる、十年間の記憶をたどっています。なんだか穏やかな随筆です。
 
 


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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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