ばけものばなし 岸田劉生

今日は岸田劉生の「ばけものばなし」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは画家の岸田劉生が、妖怪について語っています。表紙の絵は岸田劉生の絵では無くて、室町時代の絵師が描いた「百鬼夜行絵巻」の一枚です。それから五頁目に妖怪の絵が表示されますが、これは岸田劉生が描いたものです。
 
 
妖怪好きな人は幽霊のことをあんまり語らないんですが、ぼくはどうも幽霊の話も興味があって、京都の幽霊飴の話がなにかすごく好きというか何度も思い出します。亡くなった母親が生きている赤ん坊を育てようとする話で、この落語のような話になにか惹きつけられます。生前の記憶というのは当然残ってゆくわけで、過去の人が今の人を育てることは、実際にありえると思います。畑の耕し方を教えた人とか、危険地帯を知らせる地図を作った人とか、過去の人の本を読んで感化されるというのも、それも幽霊飴と共通している部分がある、と思えます。
 
 
岸田劉生が、孔子の「怪力乱神を語らず」をひもとき「尋常でないもの」や「強い力をもつもの」や「乱暴なもの」や「超常のもの」をやたらと語ることは良くないことで、妖怪や幽霊を好むのはそれは弱い気持ちがあるからなんだと断りをいれているのですが、そこから先の話がおもしろいです。幽霊には足がないけれど、妖怪には足があるのだ、ということを述べていてですね。幽霊は自分の感覚が作り出す幻だが、妖怪は自分ではないモノ(雷鳴やタヌキや荒海や見知らぬ人など)がきっかけになって生じているのだ、と記されていてなるほどと思いました。幽霊は自分が抱いた幻ですから顔とか手とかしか迫ってこなくて、足が見えない。ところがのっぺらぼうとか、ぶんぷく茶釜のたぬきとか、自分の外側にあるものがわっと近づいてくるのが妖怪。だから妖怪には足がある。
 
 
丹波の鬼の話も興味深いです。神道文化を調べていると、収穫祭とか例大祭とか、働いている人をさらに活気づけるという仕組みがあるんですが、鬼もそれに通ずるところがあり、人を活発にする「気」を放っていると。さすが歴史的な画家の随筆で、鬼の描写の存在感がすごいです。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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