作家と孤独 中原中也

今日は中原中也の「作家と孤独」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは短い随筆なんですけど、名文だと思います。詩人の随筆ってほんとなんかすごいんですよ。内容以前に文体が美しくて、繰り返し読んでしまいました。作家の顔は、青ざめている……のか、たしかにそうかもしれない、と思いました。
 
 
文章を書きつづけると、人体に物理的な害があるんでは無いかという、疑いをもっているんですけれども、どうなんでしょうか。デスクワークをはじめたころに、ちょっと体がいかれてしまって、これはおそらくそういう姿勢とか長い行為が、人体を衰えさせるんではないかと思ったことがあります。年をとったらますますそうで、運動と体操は、けっこう重大だなとか思っています。ぼくはインテリでも無いのに青ざめていて、それは知性も足りないのに体力も足りないと言うことで、そりゃイカンワと思いながら、散歩とか室内ラジオ体操とかをしています。
 
 
100年前と現代とで、ずいぶん変わったのは、インテリに長命の人が増えた、ということだと思います。芥川龍之介も太宰治も、小林多喜二も宮本百合子も、正岡子規も漱石も、活動の期間がやはりどうにも短いんですよ。ぼくは個人的には、芥川や小林多喜二が長生きしたときの、その作品を本当に読んでみたいです。
 
 
「作家と孤独」は、結びがとくに美しい随筆です。
 
 

 
 
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若菜集(14) 島崎藤村

今日は島崎藤村の「若菜集」その14を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回は、母を悼む詩でした。藤村は、その美しい詩とは裏腹に、家族の不幸に直面した作家で、父と妹との関係がとくに壮絶だったそうです。そうして藤村が若菜集を発表する前の年の、1896年(明治29年)10月に母の縫を亡くしています。
 
 
作者がじつは過酷な家庭環境の中にあったというのが衝撃でした。若菜集は本来、藤村のような人生の中にあった人に向けて描かれたものなのだろう……と思いました。美しい詩はただそこはかとなく、澄み切った自然界が描かれていて、読んでいてただ恍惚とするんですが。
 
 
「姉」と「妹」の言葉が交互に語られてゆく詩が、とくべつに良かったです。
 
 

 
 
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三四郎 夏目漱石(6)

今日は夏目漱石の「三四郎」その(6)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
いかにも大学の授業というのが記されています。漱石は本物の教授というか大学講師だったので、実体験に近いことを書いているわけで、100年前の授業風景が楽しめました。今とそんなに変わらないなという印象でした。
 
 
三四郎の同級生与次郎は、尊敬する広田先生(高校教師)を勝手に評論し、超マイナーな雑誌にその文章を載せる。広田先生は偉大な暗闇であるからしてぜひ大学ではこの人を雇って欲しい、というような馬鹿げたことを主張している。のみならず、広田先生が採用されるように有名無名でいろいろと画策してくれ、とまで依頼される。漱石ってそういえばそういうことがとても上手い人生なんだよなあと思いました。漱石を尊敬しつづけた、後輩の文学者にも多くの手紙を書いたという事実もありますし。
 
 
与次郎はやたら自作を読め読めといってくるのだが、じっさい無理をして読んでみると、読めるには読めたが、いっさい頭の中に残らない。いっぽうで美禰子みねこはふと”stray sheepストレイシープ“とだけ書いた悪魔の絵はがきを送ってきた。この言葉がいつまでも心のうちに残りつづけている。「悪魔と、二匹の羊」の絵はがき。迷える子、というのはどうも美禰子自身のことだけを言ったわけではない。三四郎もたしかに、自分はストレイシープなのだと思う。
 
 
与次郎の珍説には、絢爛豪華な装飾が施されているが、じっさい中身はなんにもない。まるで根拠地のない戦争のようなものだ……、と漱石が書いていて、なんだが漱石がその後の日本の100年間をじっと見ているような気がしました。
 
 
与次郎の多弁には辟易する。美禰子の無口な絵はがきには、快感を感じる三四郎なのであります。美禰子には、イプセン(イブセン)の女のように乱暴なところがある……。
 
 
大学生2人が、ホントにこんなことを言っていたら、じつに笑うなあと言うシーンがありました。こんなのです。原文でどうぞ。
 
 
……
………………
「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」
「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」
 三四郎は即答ができなかった。
「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。
「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。
「知りもしないくせに。知りもしないくせに」
 
 

 
 
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発明小僧 海野十三

今日は海野十三の「発明小僧」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは、ちょっと短めの本なんですが、児童向きの辞書みたいになっていて、ちょっと面白いんです。いろんなアイテムについて記されています。古い文学作品は、自然界との関係性を濃密に描きだしているところに最大の魅力があるとおもうんですが、やはりいちばんの欠点は、現代の本と比べていちじるしくユーモアに欠けるという点だと思うんですけど、これはかなりそこが、良いんですよ。子どもの頃の、ガチャガチャとか本やおもちゃの付録とかについてくるような、じつに怪しげなアイテムについて、海野十三が書いています。
 
 
後半には、戦時中の翼賛体勢と軍事力の増産について書いているのがちょっといかにも残念なんですが、地面を凍らせて大量の漏水を地下に閉じ込めることが可能だと考えた現代科学者と、ほとんど同じようにあり得ないことを、この発明小僧が創案していて、驚きました。50年くらいむかしは「小説なんか読んでいたら悪い人間になる……」と、良く言われていたそうですが、もしかするとこの海野十三がそういう風潮を図らずも造成したんではなかろうかと妄想しました。こんなひどいオモチャを、海野十三の本を読んだ半世紀前の子どもたちが自作していて、いろんな悪さをしていたんでは、なかろうかと思いました。泥をはねて人様の服を汚すような自動車に、ペンキをぶちまける、子どものための爆弾。その作り方などが記されています。このアイディア、コンビニの防犯ボールとして現代でも使われているなあ……、と思いました。
 
 
小学校の低学年の頃に、違法駐車している自動車を雑草だけで破壊するための、禁断の技、というのが流行っていて、これで車を爆発させる夢想をしていた、というアホな出来事を思いだしました……。じっさいには爆音がするだけで、ちょっと車の調子が悪くなるだけなんですけど。
 
 
今後はもう少し、海野十三の本を読んでゆこうと思いました。
 
 

 
 
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若菜集(13) 島崎藤村

今日は島崎藤村の「若菜集」その13を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
山精やまびこという詩がとても美しくて、こういうものが読みたかったんだと思いました。これは、中野逍遙をいたむ詩でもあるわけなのですが、ところが人がほとんどまったく登場しない情景だけで構成されているのが、じつに不思議でした。
 
 
むかし「誰も知らない」という映画の題名を聞いて、これは特別な言葉だと思ったのですが、藤村の詩にも、この空集合のような場の示し方があって、幻想的だと思いました。
 
 
「山精」と「木精」という詩が、交互にくりかえし記されています。人が登場せず、ただ機織りの機を織る音だけは幽かに聞こえる。しかし自然界の描写は明らかに、未踏の地ではなく、人々の気配がする穏やかな風景が描かれている。霧深い山奥の、人のいとなみを想像させる詩でした。
 
 

 
 
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三四郎 夏目漱石(5)

今日は夏目漱石の「三四郎」その(5)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
三四郎は、2人の女性と知り合いになります。漱石は「吾輩は猫である」で、異性の描写にかなり失敗をしていた気がするんですが、「草枕」やこの三四郎では、じつに面白く描いています。第一章の冒頭では、旅先の宿での、男女の不思議な宿泊が描かれていて、主人公が東京についてからは、里美美禰子・野々村よし子との関係が描かれています。
 
 
よし子は絵画をやっている。美禰子は英語を習うのが好きだ。100年前から、都会には優雅な若者が居たんだなあ、と思うんですが、美禰子はじつは両親が居ない。美禰子はどういう収入源を持っているのか、ぼくはまだよく理解していません。とりあえず将来的には結婚をする予定でいるんでしょうか。美禰子がいろんな男とよく話すのは、それはやはり新しい関係が必要だからなんだろうなあ……と思いました。
 
 
おもしろいのが、美禰子に両親が居ないことを、よし子はじつに当然のことだと思っている。美禰子は両親の庇護の元に生きているわけでは無くて、若いのに一人で生きているようなもので、もっと自由な女のようなんです。この章を読んでいて、東京の自由さというか、この幻想というのはもう、100年も前から存在していたんだなと、驚きました。
 
 
100年前に若い女が、東京でどう一人暮らしをしていたのか? ちょっとそこのところを知りたいんですけど、漱石は若者を幻想的というかあっさりと描いているので、あまりこう、日銭に困ってどうとか、貧乏で飯が食えないとかいうことは書かないのでありました。
 
 
迷子になっている幼子が居ると、都会の人々はどうするか、ということこまかな描写はありました。みんな交番に「迷子がいるぞ」と言いにゆくのでした。三四郎は、美禰子となぜか人混みの中で仲間とはぐれて、二人っきりになってしまう。美禰子は草はらの上で休みながら、自分たちは迷子だ、という。
 
 
デジャビュを猛烈に感じる、良いシーンでした。どうしてデジャビュを感じるのかと言えば、おそらく、自分が子どもの頃に愛読した本や、映画やマンガやそういった物語で、きっとそれらの作者がこの三四郎をかつて愛読しておって、自然と作るものがこの漱石の描写をなぞっていて、そこに共通項が出来ていて、すごい既視感を感じたのだろうと思いました。あるいは漱石が、若者の普遍的な体験を描写しているのかもしれないです。
 
 
美禰子が迷える子ストレイ・シープと告げる。このシーンすこぶる良いんですよ。学生の頃に見た奇妙な映画の原典は、きっとここにあるに違いないと思いました。
 
 

 
 
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図書館法と出版界 中井正一

今日は中井正一の「図書館法と出版界」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ぼくはフリーコンテンツというか無料文化というのが大好きで、wikipediaに投稿をつづける知識人たちだとか、ワードプレスの秀逸なプログラマーたちとか、あるいは紅葉を見るためにカメラを持って散歩してみるとか、あとCM込みのテレビ・ラジオやyoutubeとか、それから図書館などいろいろあって、とにかく昔からこの無料ものという世界が好きです。
 
 
今日はなんというもんでも無いんですが、現代の図書館について説明してみます。当たり前なことしか書かないのですが、興味のある方は読んでみてください。
 
 
まず、自分の家の近くに、図書館があるかどうかを調べます。そんなの知っているという場合でも意外と、となり町の図書館がすっごく使えるとか、学校やバイト先の近くに図書館がある、という事実を知らなかったりするかと思います。ぼくの場合は、高校のすぐ真横に図書館があることを卒業するまで知らなかったんです。当時これを知っていたら、もっと若い頃から本を読んだ気がします。なので、もうすでに知っていると思っていても、改めてちょっと調べてみてください。
 
 
グーグルで「図書館 東京 新宿」とか「図書館 沖縄県那覇市安里」というように入力し、自分の住んでいる町の名前で、検索します。
 
 
基本的なことすぎて恐縮ですが、グーグルで検索するときは、単語を2つか3つあわせて「1文字アキ」で検索すると、知りたい情報に辿りつきやすいです。「図書館」と検索するんでなしに「図書館 ○○市○○町」とか「図書館 上野 開館時間」というように複数の単語で検索します。
 
 
それで、ぼくが図書館にはまったのは、蔵書検索というのが使いやすかったからなんです。たとえば大阪市で言うとこれです。全国の蔵書を調べるにはこちらの「カーリル」が便利です。図書館の施設内にはほぼ必ず、本を検索をするための端末があります。判らない場合は図書館員に聞いてみてください。
 
 
哲学を独習してみたいと言うときに、本屋に行ってもなかなか良い本が発見できない。しかしインターネット上のwikipediaなどを通して知った情報を頼りに、図書館の蔵書検索で本を調べて借りてみると、これがじつにおもしろかったんです。蔵書検索はオススメです。いきなり本屋では、はずれをひいてしまいやすい、と思います。図書館を使えば、インターネットで知った初歩的な情報を元に、より内容の濃い読書体験が出来ると思います。
 
 
以上です。
 
 
それで本題なんですが、「図書館法と出版界」というのは、図書館を創る運動をやっておった中井正一のごくごく短い随筆です。
 
 
中井正一は「図書館法と出版界」にて、こう書いています。戦後にアメリカは、日本の図書館を整備することに強い関心を示した。戦後日本の図書館の予算は、当初かなり小規模であった。七千の公民館を図書館化するためには、それ相応の資金を必要とした……。とうじ、図書館が設立されれば、良書の流布が速やかになって、それなりの収益も見込める、と中井正一は60年以上前に、書いています。現代に於ける図書館の重要性は、困惑するような情報の混沌から抜け出して、好きな領域に近づきやすくなる……という点にあるのかなあと思いました。
 
 

 
 
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