三四郎 夏目漱石(13)

今日は夏目漱石の「三四郎」その(13)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回で三四郎は完結です。もはやネタバレになってしまうので、これからはじめて読んでゆく予定の方は、紹介文をぜったいに読まないでください。本作はここで全文読めます。ブックマークにでも登録してみてください。
 
 
第十三章はほんの数ページで完結します。わずか3ページたらずです。
 
 
原口さんが美禰子を描いた絵画が、ついに完成した。もはや美禰子からははるかに遠のいてしまった三四郎は、展覧会場で、それをみる。題名は「森の女」で……森というと、ぼくはダンテ『神曲』の冒頭における以下の記述を思いだします。
 
 
われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき
あゝ荒れあらびわけ入りがたきこの林のさま語ることいかに難いかな、恐れを追思にあらたにし
いたみをあたふること死に劣らじ、されどわがかしこに享けしさいはひをあげつらはんため、わがかしこにみし凡ての事を語らん
 
 
三四郎は、このタイトルは、美禰子に相応しくない、と考える。そうして美禰子が告げた、「ストレイ・シープ(迷える子)」という言葉を、くりかえし心のうちでつぶやくのでした。
 
 
 

 
 
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智恵子抄(2) 高村光太郎

今日は高村光太郎の『智恵子抄』その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
智恵子抄は、分けて読んでゆくと、ずいぶん印象が変わるのでちょっと驚いています。今回の「或る夜のこころ」という詩は、はじめの詩とはかなり異なっていて、男が一語一語を太い声で、朗読しているかのような、迫力のある詩です。
 
 
このフレーズが印象に残りました。
 
 
断ちがたく、苦しく、のがれまほしく
又あまく、去りがたく、堪へがたく――

 

 
 
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三四郎 夏目漱石(12)

今日は夏目漱石の「三四郎」その(12)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
三四郎は次回で完結です。与次郎の仕切っている劇中劇が行われるわけですが、どうもピンとこない。劇の中身よりも、観客の様子や、ちょっとした批判がことこまかに描かれていて、100年前のツイッターでも読んでいる気分になりました。いや、ツイッターでは内心までは判然としないわけで、より緻密にこう、当時の人々の感覚が描かれていて、おもしろかったです。
 
 
三四郎は、蘇我入鹿がどうしたという演劇にはちっとも興味を惹かれなかったが、現実に見知った人々が観客席の、その群衆の中にあまたに居ることには大変に興味を持って、これを見ている。やはり現代で言うと、ツイッターでかつて愛読していた現代作家が、日常を日々そこに記しているのを興味深く見るような感じだろうなあ、と思いました。
 
 
物語には非常に感銘を受けるところがあるんだけれども、現実の対人関係に勝てることは無いわけで、気になっているクラスメイトとほんのちょっとでも良い交流ができれば、それは当人にとっては、優れた古典文学よりも濃い記憶になって残る。劇中劇の物足りなさよりも、人との結びつきのほうに意識が集中する、という描写は、おもしろいしかけだなと思いました。
 
 
なにかこう、現実の自分に関係があると思える方が、やはりピンとくるところがあるわけで、むかしロールプレイングゲームが大流行したのも、遊び手がこれを操作することで、遊び手が物語から感覚的に排除されにくい仕様というのが当時新しくて、人々を惹きつけたと言えるわけで、漱石はこう、設定をさまざまに工夫しながら、読み手と物語を結びつけるように描いているように思いました。
 
  
漱石は、シェイクスピアの『劇中劇』のことを考えつつ、この場面を描いていて、物語の内部にハムレットの演劇を持ち込んで、ハムレットの作中作の構造について言及しています。ここから先は、もうかなりのネタバレになるので、そういうのを好まない方はご注意ください。
 
 
この三四郎を読んでいて、どうしても考えるのは、漱石の親友であった正岡子規の家族構成についてなんです。子規は文学に夢中で生涯独身だった。その子規が『病床六尺』を書いてホトトギスを創刊して、漱石に最後の手紙を送って、やがて亡くなった。そのホトトギスで漱石は処女作を発表している。漱石の文学性は確実に子規によって形づくられたわけで、さらに言えば、作中に描かれている、結婚の問題や罪の意識というのも、子規への思いにしか、自分には思えないのです。井上ひさしの「父と暮せば」を想起するんですけれども、自分としては、漱石は正岡子規という気さくな幽霊がはっきりと見えていて、彼と対話をしながら、文学を構築していったように空想するんです。
 
 
美禰子も同じ演劇を見ていた。しかし三四郎はとくに話しかける機会も無く、その会場をあとにすることになった……。この、関わりを持てそうで持てないという状況が、どうにも美しい物語展開に思えました。第一章のいちばんはじめの物語と共鳴しています。
 
 
夜になるとひどく冷え込み、雨が降った。三四郎はその雨の音を聞きながら眠った。翌日、目が覚めると、風邪にやられており、それから美禰子がある男と結婚をする、という話を聞いた。
 
 
終盤で、三四郎は美禰子に逢いにゆく。原文で読んでみてください。
 
 
 女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。
「我はわがとがを知る。わが罪は常にわが前にあり」
 聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。
 
 

 
 
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少女 渡辺温

今日は渡辺温の「少女」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは推理作家の、ごく一般的な掌編小説なんですが、どうにも不思議な話です。ほんの10ページほどの作品です。井深君は、ある少女のことが好きなんですが、それとはまったく無関係に、町中で、別の少女に出逢う。その2人目の少女が、どうしたわけか、びっくりするほど恋人とそっくりな顔をしている。
 
 
片思いをしている少女に、うりふたつな不良少女が町中で、なぜかひどい目にあっている。恋人にそっくりな少女が、不良なふるまいをしたということで、いじめられている。それで井深君は……。続きは本文をご覧ください。
 
 
じつに奇妙な展開をするんですが、現実にこれは、ありえる話だというオチがあって、すこぶる気に入りました。これは、とくにトリックのしかけが存在していない短編小説なんですが、推理作家ってこういう認識の不可思議を、書くんだなあと、感服しました。推理というと、殺人と推理の組み合わせが王道なわけなんですが、恋愛と推理って、ものっすごい相性が良いみたいです。知らなかったです。
 
 

 
 
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三四郎 夏目漱石(11)

今日は夏目漱石の「三四郎」その(11)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
与次郎は、演劇のきっぷを大学生に売り歩いているんだけれども、それがじつにいいかげんな方法で、金が無いと言う相手には、ただで配ってしまう。

 
この小説は、どうも関係をつくれない、ということが広田先生と大学、それから三四郎と美禰子との間で生じている。与次郎の師匠の広田先生が大学で採用されるよう、いろいろ裏でやっていたことが、小さな新聞に悪く書かれてどうも、水の泡になった。ところが、とうの広田先生はまったくそんなことを気にもしておらず、あいかわらずの昼行灯で居る。広田先生が、与次郎を評価するセリフが、じつに的確でおもしろかったです。原文はこうです。
 
 
  ………………
  ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね
 
 
広田先生は、いつまでも昼行灯でいたい。それでこういうことを言います。
 
 
  存在を無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない
 
 
わからんでは無い理屈だなあーと思いました。それから広田先生は、夢の話をする。と言っても、夢と希望のほうの夢では無くて、真夜中にベッドの中で見る夢のほうです。じぶんはどのようにして独り身であるのかを、幼い少女の記憶と絡めて、広田先生は幻想的に語ります。ダンテの描いたベアトリーチェを、彷彿とさせるかのような描写でした。
 
  

 
 
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智恵子抄(1) 高村光太郎

今日は高村光太郎の『智恵子抄』その1を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、島崎藤村の若菜集を読み終えたので、今回から、高村光太郎の『智恵子抄』を約50回にわたってひとつひとつ読んでゆきたいと思います。
 
 
いちばんはじめの詩は「人に」という作品です。抒情ゆたかで、現代ではめったに書かれることの無い、ちょっと古いものだと思ったのですが、途中で、転調するように言葉が弾んでいる箇所があって、そこが印象に残りました。
 
 
作中の「チシアンの画いた絵」というのは、これはじつは「ティツィアーノ」の絵画のことなんです。
 
 
高村光太郎は、ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の『聖母被昇天』という作品について連想しながら、この詩を描いています。

 


 
 
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三四郎 夏目漱石(10)

今日は夏目漱石の「三四郎」その(10)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この三四郎という物語では、予想外に広田先生が良く出てきます。話の主軸は三四郎と女たちの関係のところがこう、中心になっているんですけれども、それとは関係無い広田先生というのがちょくちょく顔を出す。広田先生は、そもそも三四郎と無関係な人だった。
 
 
三四郎は大学に通っていて、広田先生は三四郎が一回もお世話になったことが無い高校の先生をしている。漱石のおもしろさ、というのはこの、組織の上から下へと言う縦軸とはちがうところに、着眼するところなんだなあと、改めて思いました。
 
 
ふつう、ちょっと物語を作ってみようと思ったら、通常ならぜったいに「主役と恋人」とか、「父と子」とか「主役に教える先生」とか、こう、直接関係あるほうをメインに持ってきてしまうと思うんですよ。ところが、漱石は、処女作からこう、まったく関係のない勢力、というのを主軸に持ってくる。なんせ処女作が、通りすがりのような猫が主役でしたし。
 
 
世界的に有名な古典文学であっても、たとえばゲーテの詩集を読んでいても、基本的には、主役と恋人とか、主役と母とか、あるいは映画とかで良くある「主役と敵」とか、そういう目に見える関係を重大視して居ると思うんですけど、漱石はどうも違うんですよ。関係のないところから、関係のなさそうなところへと渡り歩いている。そこがなんとも不思議でおもしろいです。
 
 
漱石は作中で、こう書いています。原文でどうぞ。

  中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。

  すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
  「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。
 
 
ところが、漱石の書いた物語の、重大なところでは、この他人の悲劇というのが、読者にぐわっと迫ってくる。けれども他の文学作品と比べると、どこかこう、乾いた印象を残すのも事実で、これがまた漱石の絶妙な距離感で、いちばんの魅力なんだろうと思いました。
 
 
三四郎はナイーブになって、学校を卒業したらもはや自分の気楽な生き方は無くなってしまうかのような妄想をしてみる。大学の頃に、三四郎を読んだらもっとおもしろかったのになあー、と思いながら読んでいました。
 
 
10章の序盤で、幼子の葬儀と、知人の女について考察するシーンがあるんですけれども、圧倒されました。
 
 

 
 
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