この頃 宮本百合子

今日は宮本百合子の「この頃」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは、ほんの1ページの習作なんですけど、原始的な迫力を感じさせる掌編です。手練手管の作家からは生じないような、荒々しい文体なんです。宮本百合子のデビュー作発表のさらに数ヶ月前に書かれたものらしいです。
 
 
本文とほとんど関連性が無いんですけど、サルトルの言葉を思いだしました。哲学者が、こういうことを書いたらしいんです。
 
 
  「辱められ、抑えつけられていた彼が、昂然と身を起こし、石のように投げつけられた《ニグロ》という言葉を拾い集める。白人の眼の前で、誇らしげに黒人としての復権を要求する。…この人種主義に反対する人種主義こそ、人種差の撤廃に通じ得る唯一の道である。1948」
 
 
フェミニズム思想到達の寸前とでも言うのか、なんとも言えぬ生々しさが新鮮な掌編小説でした。
 
 

 
 
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(約1頁 / ロード時間約30秒)
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ゴリオ爺さん(5) バルザック

今日はバルザックの「ゴリオ爺さん」その(5)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ヴォートランは、大金を手に入れたばかりの学生ウージェーヌ・ラスチニャックにさまざまな悪知恵を授けるんです。とにかく金持ちを見つけて結婚をしてみろと、けしかける。貧しい者の悪道と、富める人間の悪行を比較してみせる。
 
 
学生ウージェーヌ・ラスチニャックはヴォートランから距離を置いて、こんどはゴリオ爺さんと話し込むんですけど、これがまたひどい状況なんです。ゴリオ爺さんは、娘たちに財産も仕事もすべて何もかも与えきってしまって、もはや何もすることが無い。それで娘たちをまちなかから隠れて見守ることしかできない。じつに哀れな状況なんですが、本文にてゴリオ氏はこう発言しています。
 
 
  「私の人生は、この私は二人の娘のためにあるんです。もし彼女達が楽しげで、彼女達が幸福で、美しく着飾って、彼女達が絨毯の上を歩くのであれば、私がどんな服を着ようが、私がどんな所で寝ようが、どうだっていいことなんです。彼女達が暖かければ私は少しも寒くはないし、彼女達に悩みがなければ私も決して悩みません。私は彼女達が悲しまなければいいのです。貴方が父親になって、子供達が小鳥のようにさえずっているのを見て、貴方も思うことでしょう。こいつらは私から生まれてきたんだ! 貴方はこの小さな子等がそれぞれに貴方の血の一滴一滴を受け継いで美しい花を咲かせているのを感じる、そう、それなんだよ! ………………
 
 
そうして「悲しい時には、彼女達の眼差しが私の血を固まらせてしまう」とゴリオ爺さんは言うんです。ゴリオ爺さんは、悲しさを糧にして、そこから世界に繋がろうとしている。
 
 
ちょっとよく判らなかったのは、フランスの小説では、どうして不倫の恋が家族から歓迎されたり、尊い意味をもったりするんだろうか、ということです。学生ウージェーヌ・ラスチニャックは、ゴリオ爺さんの娘(銀行家の妻)と恋愛が始まりそうだと告げるんですが、父はそれを歓迎しているんですよ。現代日本とだいぶちがいますね。そこのところは、勉強不足でよく判りませんでした。どうも、父としては、たとえ不倫であっても、ほんとうの恋愛をさせてやりたい、ということらしいんです。
 
 

 
 
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(約100頁 / ロード時間約30秒)
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        (横書きはこっち)
 
 
■主要登場人物
・ゴリオじいさん………娘たちを愛するあまり破産した。
・ウージェーヌ・ラスチニャック………うぶで野心家の学生。
・レストー夫人………ウージェーヌが一目惚れした美女で、ゴリオじいさんの実の娘。
・デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン夫人………銀行家の妻で、ゴリオじいさんのもう一人の娘。
・ボーセアン夫人………ウージェーヌの遠い親戚のお金持ち。
・ヴォートラン………謎のお尋ね者。
・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢………主人公たちとおなじメゾンに住む、かつて孤児だった悲しげな目の美少女。母は亡くなり、父とずっと会えぬまま生きてきた。
 
 
(作中[1][2][3]などの数字表記があります。その箇所を解説した訳註はこちらをご覧ください。)





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山羊の歌(7) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その7を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回の詩に記されている「外燈」という文字がどうにも美しかったです。現代の都心の照明は完璧なもので、だからあんまり詩にならない。詩になるのは不完全な世界に対してなんだなと、つくづく思いました。
 
 
13歳の頃に、古本屋でこの詩集を見つけて買っていたらもっと響いただろうなあーと思いました。
 
 

 
 
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(約1頁 / ロード時間約30秒)
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全文はこちら             (全文のヨコ書きはこっち)
 
 




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赤い部屋 江戸川乱歩

今日は江戸川乱歩の「赤い部屋」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
このまえ、小酒井不木の恐怖小説を紹介したので、こんどは不木がデビュー時に絶賛した江戸川乱歩を読んでみたいと思います。娯楽小説の金字塔である乱歩の著書が、パブリックドメインになっていて0円で読めるというのはちょっと衝撃です。
 
 
乱歩は退屈に冒された主人公たちを描きだすんです。なんかこう現代では、退屈する人と忙しい人で、両極端だなと思いながら、乱歩の「赤い部屋」を読んでいたんですけど、乱歩のこの記述が異様なほど印象に残りました。本文に、こう記されているんです。
 
 
  「それはもう、お前の退屈していることは、今更いまさら聞かなくてもよく分っているのだ」
 
 
このセリフが、脳内に幾度もリフレインされました。彼らは退屈しのぎに、刺激的な告白をし始めるわけです。それで、物語が本題に入ると……。最近ではマンガでしか見ないような烈しい残酷描写にギョッとしました。
 
 
どうしてこの男は、あまたの人を危めてしまったのか、という謎の発端となった事件を描いているのですが、これがとたんにリアルなんです。こういう経験を、した人は多いはずだという物語なんです。殺人に積極的に関わったと言うよりも、配慮が足りずに、困窮者を見殺しにしてしまったという描写が挺然としていて身に迫るものがあるんです。なんだか、悪を吸いこむ洞穴のような物語でした。いったい誰が、なぜ……という謎を追いつづけた、乱歩のまなざしが冴える短編でした。
 
 

 
 
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ゴリオ爺さん(4) バルザック

今日はバルザックの「ゴリオ爺さん」その(4)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
家族に内情をまったく明かさないまま、貧乏学生ウージェーヌ・ラスチニャックは、母親から大金をもらい受けてしまった。これは……マジでやばいだろうと思うんですけど、ウージェーヌ・ラスチニャックは、自分の行動は正しいと思っている。はたから見ると、それは無謀な挑戦にしか見えない。彼はその資金(現代でいうと150万円〜500万円くらいだと思います)でもって、華々しく社交界にデビューしようという魂胆なんです。母親は、まさか社交界にデビューしたいなんて思ってないでしょうねという手紙を送ってきているのに、です。
 
 
この小説を全文は読まないけど、ちょっと知ってみたいというかたは、ぜひこの第4回目の「ゴリオ爺さん 第二章」冒頭を数ページだけ読んでみてください。ウージェーヌ・ラスチニャックがいかに軽率な若者か、よくよく判ると思います。昔こういう友だち、居たなあー、うわあーと思いながら読んでいました。
 
 
母親が大切にしていた宝石を売り払い苦労して作りだしたお金を送金してもらっておきながら、ウージェーヌ・ラスチニャックは、金さえあればやりたい放題だと思い込んでいる。もう、日本語訳の微妙なズレとあいまって、文章からして、おっかしいんですよ。本文こうです。
 
 
  ……彼は以前よりしっかり歩ける。何をやるにもしっかりした根拠を感じ取れた。…………前日までの卑下して臆病だった彼なら虐めを受けていただろう。一夜明ければ、彼は相手が首相であろうと一撃を与えかねない存在となった。彼の中に途轍もない現象が起こったのだ。彼の望みは何でもかない、彼はでたらめに欲し、彼は陽気で気前がよく開放的だ。つい最近まで翼がなかったこの鳥はついに完全な翼を身につけたのだった。この学生はそれまでは金がなかったので、わずかばかりの楽しみをしゃぶることしか出来なかった…………
 
 
「翼がなかった鳥」に翼が生えるなんて、ムチャクチャですよ。金さえあれば、なんでもかんでも全部できると思い込んでいる。また、こうも書いています。
 
 
  パリは完全に彼の手の内に入った。何もかもが輝き、きらめき燃え上がる人生の一時期! 
 
 
すこぶる間抜けな男……というような描写が続きます。本文、こうなんです。
 
 
  「あー! パリの女達がここに僕がいるのを知っていればなあ!」ラスチニャックはヴォーケ夫人が出してくれる一個一リアルの焼き梨をほおばりながら思った。「今頃は彼女達が僕を愛してくれてるはずなんだが」……
 
 
何を言っているんだと思うんですが、お金の魔力を見事に言い表しているような気がしました。ただ、彼は家族からの愛ある助力に、心から喜んでいるんだろうなあと、思えるわけで、このなんというか、ユーモアからヒューマニズムに転化するようなバルザックの文体に魅了されました。
 
 
大金を手に入れた途端に、謎の人物ヴォートランが鋭く切りこんでくるのが圧巻でした。本文にはヴォートランは「肩に前科の焼印を押されてい」て、「ライオンのように血気盛んで」「糞ったれの地獄」に住んでいる男だと記されているんです。ヴォートランは海賊まがいの人生を歩むことを勧め、こう語ります。
 
 
  「いいか、よく聞くんだ! 不幸せで惨めな哀れな娘の心はそこを愛で満たすことに飢え切ったスポンジのようなものなんだ。乾き切ったスポンジは僅かな感情をそこに落とすだけで、すぐさま膨れ上がるのさ。孤独と絶望に沈んでいる若い女に言い寄るんだ、しかもその娘はいかにも貧しげなんだが、やがて財産が手に入ることに気付いていない! 馬鹿なこった! それはストレート・フラッシュを手の内に持ってるってこと、宝くじの当たり番号を知ってるってこと、インサイダー情報を知っていて株に投機するってことだ。あんたは基礎杭の上に壊れようもない結婚を打ち立てるんだ。……」
 
 
ヴォートランは、同じマンションの住人であるヴィクトリーヌ嬢と恋愛をするように、学生ウージェーヌ・ラスチニャックにしきりに勧めるので、ありました。
 
 

 
 
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(約100頁 / ロード時間約30秒)
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        (横書きはこっち)
 
 
■主要登場人物
・ゴリオじいさん………娘たちを愛するあまり破産した。
・ウージェーヌ・ラスチニャック………うぶで野心家の学生。
・レストー夫人………ウージェーヌが一目惚れした美女で、ゴリオじいさんの実の娘。
・デルフィーヌ………銀行家の妻で、ゴリオじいさんのもう一人の娘。
・ボーセアン夫人………ウージェーヌの遠い親戚のお金持ち。
・ヴォートラン………謎のお尋ね者。
・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢………主人公たちとおなじマンションに住む、かつて孤児だった悲しげな目の美少女。母は亡くなり、父とずっと会えぬまま生きてきた。
 
 
(作中[1][2][3]などの数字表記があります。その箇所を解説した訳註はこちらをご覧ください。)





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山羊の歌(6) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その6を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
中原中也は、暗い状況にありながら、暗いことそのものを詩に描きだしているんですけど、どうもなんだか安らかであるというか、落ちついていて、豊かな情景が描きだされている。
 
 
これは自分の読み方が甘いんじゃ無くて、じっさいに情感豊かな詩を描きだしているんだと思うんです。危機に対して目をそむけるとよけい危ない、と言えると思うんですけど、中原中也はちょうどその対極にあるような気がします。詩人は苦をじっと捉えながら、苦に悩まされていないように思いました。
 
 
むつかしい言葉の意味は、リンク先をご覧ください。
 
しかはあれ
 
さやぎてありぬ(さやぐ)
 
 

 
 
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はだかの王さま アンデルセン

今日はアンデルセンの「はだかの王さま」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは、2年前くらいにすでに紹介したもんなんですが、もっかい掲載します。じつに奇妙なパレードがとりおこなわれるストーリーで、なんとも言えず、好きな童話です。今の時代に見たら、まあこの王さまはなんて楽しい人なんだろうと思いました。
 
 
ぼくは宮沢賢治が『どんぐりと山猫』で取り扱った、裁判の寓話がとても気になっていて、どんぐりたちが、背くらべや、言い争いをし続けていて、いつまでたっても終わらず、ずっと騒動を続けて誰がいちばんえらいのかを決めたがっている中で、そこでは主人公は、物語上すんなりと、いちばんえらいのはこうだと言うんです。
 
 
  「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
 
 
それで言い争いは終わって、すっかり元どおりのどんぐりたちと森の世界が戻る。子どもの頃に、この物語を知って、そうか、別にえらくなろうとしなくて良いじゃん、と思って、のび太くんみたいに生きてみるという方針もあるなと思って楽しくなったのをよく覚えているんですけど、自分一人の悩みは解決したけど、じゃあ現実の権力の場面で、こういうことになったら、世界全体が壊れてしまう。
 
 
宮沢賢治が言おうとしたのは、そういう権力者じゃ、無かったはずだと思って、賢治がここで述べている、「まるでなっていない」というのは、今大問題になっている人々とやっぱりかなり真逆なんだろうなとか、彼らは甚大な資産を集められるだけの知力と組織力があって、戦略はゼロでも戦術に長けているし、こういう危険なものをえらいとは、想定していないはずだろうと思って、けっきょく「自分たちの無知を思い知ることができて、ただあのどんぐりたちのように、しんとしてしまった人たち」のことを賢治は寓話で表現しているんじゃなかろうかとか、解釈をしつつ再読しました。
 
 
アンデルセンの「はだかの王さま」は、こんな人が現実にいたら、きっととんでもなく変なことになってしまいそうなんですけど、物語で読むと、何ともいえず愛らしいというか、いつまでもこう、見ていられる世界なんです。不思議な寓話だなあ、と思いながら再読しました。
 
 

 
 
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