ウィネッカの冬 中谷宇吉郎

今日は中谷宇吉郎の「ウィネッカの冬」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは雪の研究者で「雪は天から送られた手紙である」という言葉で有名な、物理学者中谷宇吉郎なかや うきちろうの随筆です。
 
 
雪と氷を研究する米国の施設について書いているんです。ウィネッカというのはウィネトカ(Winnetka)のことです。カナダのすぐ側のミシガン湖のほとりの街で、なぜか氷と雪についての研究をしている。どうして雪の無い町でこれを研究しているかというと、北極圏の鉱山でいかに雪を制するかということを、アラスカの氷河などを研究所に持ちこんで調査や実験をするための施設なのだそうで、ずいぶん遠い国のことを研究している。壮大な研究所で、まるで映画みたいなことを、60年以上も前にアメリカはやっていて、それでハリウッド映画はあんなに派手なんだなと思いました。現実が派手だから映画も派手になる……。
 
 
クリスマスから新年にかけての日米の様子を活写しているんですが、なんだか明るいエッセーですてきでした。
 
 

 
 
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(約10頁 / ロード時間約30秒)
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ゴリオ爺さん(10) バルザック

今日はバルザックの「ゴリオ爺さん」その(10)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ゴリオ爺さんはあと二回で完結です。
 
 
ニュシンゲン夫人は恋人と、ほんのしばらくのあいだ別れる時の不安を、このように言うんです。
 
 
  「あたしはとても臆病だし迷信を信じるたちなの。だからあたしの幸運は何か途轍もない破滅によって報いを受けるのではないかというあたしの予感に名前をつけて下さらないかしら」
 
 
いよいよ愛の城のような恋人たちの隠れ家へと、2人そろって引っ越す準備が整った、その引越の数時間前の出来事なんです。ここから、雪崩打つように不倫の恋が破綻してゆく……のかどうか。非常に緊張感のある展開で、重要な問題が、つぎつぎに立ち現れます。
 
 
学生ウージェーヌ・ラスチニャックは、旧居の荷物をほとんど積み込み終えていて、がらんどうになった自室にたたずんでいる。そこには、危うく大悪人のヴォートランから借金をするために準備してしまって、すんでのところでこの難を逃れた、その著名入りの真っ白な手形が残っていた。
 
 
恋人ニュシンゲンが彼らのメゾンを訪れ、この引越劇の全てを取りもってくれたゴリオ爺さんと、破滅について語りはじめる……。彼女の夫は大きな仕事を失敗し、いま危険な事業に乗り出す寸前の状態で、火の車のようになって、あらゆる資産が燃え尽きようとしている。学生ウージェーヌ・ラスチニャックは、恋人の破滅について、ぐうぜん耳にしてしまう。
 
 
父ゴリオは、娘ニュシンゲンと夫との財産を分離させねばならないと考えている。本文、こうです。
 
 
  「だが、やつのやってることは一種のペテンだろ?」 / 「まあそうね! そうよ、お父さん」彼女はそう言って椅子の上に身を投げ出すようにして涙ぐんだ。「私はそのことを認めたくなかったの。何故なら、あんな性質の男と私を結婚させたことで、貴方を悲しませたくなかったのよ!
 
 
また、ニュシンゲンは離婚したい夫のことを、こうも述べます。
 
 
  ……「いいえお父さん、彼を処罰する法律はないわ。一言でも彼の言い回しを聞いてみて。遠回しな言い方はしないで、彼は言い立てるのよ。『それじゃ、総て失われて、貴女は一文無しだ。貴女は破産だ。というのは、私は共犯者として貴女以外の誰も選ぶことが出来ないからだ。それが嫌なら、貴女は私の事業の運営を私に任せて欲しい』
 
 
離婚寸前の、地獄のような家庭の事情が明らかにされているんです……。漱石の描きだした『それから』の終幕にも共鳴するような、緊迫感のある展開なんです。夫は、妻が不倫をしていることを知っていて、それを黙認している。本文こうです。ヒロインのニュシンゲンの発言です。
 
 
  ……彼は私から私の良心を買ったの、そしてその代償として、私に好きなようにウージェーヌの女として過ごすことを許してくれてるのよ。『わたしはお前が間違いを犯すのを許している。だから私が可哀想な人達を破綻させる罪を犯すのを放っておいてくれ!』
 
 
ニュシンゲンは逃げだそうとしている。学生ウージェーヌ・ラスチニャックは恋人として、彼女にどのように関係してゆくのか。
 
 
破滅と家族愛とはげしい怒りについて、描きだされるんですが、この言葉の連鎖を読んでいて、フランス革命の裏側に隠された、闇の部分が立ち現れているように思いました。
 
 
ドラクロワの絵画『民衆を導く自由の女神』の、女と少年の足もとにいる、身をよこたえて沈黙した者たちのほう。フランス革命の只中で居なくなった者たち。この倒れていったほうの人びとに連なる物語が、バルザックによって、革命後の社会の中に描きだされているんじゃないのか、と思いました。この小説の主人公であるゴリオ爺さんも、家族へあらゆる愛をもたらしながら、やがて死の床へつくのだと、最終章のはじめに宣言をされているんです。ゴリオ爺さんは、もうそのことを悟っている。本文こうです。
 
 
  ああ! 私はまさに本当の親父だよ。どういうふざけた貴族野郎が私の娘達を虐めていいって言うんだ。畜生! 私は自分でも何をやらかすか分からんぞ。私は虎のように凶暴だ、私はこいつ等二人の男を食い殺してやりたい。ああ、子供達! お前達の人生はどうなるんだ? 確かなのは、私の死だ。私がもういなくなったら、お前達は一体どうなるんだ? 父親たる者は自分の子供がいる限りは生き延びなければならん。畜生、お前達の世界は何てひどい具合になってるんだ! 
 
 
悲劇をすべて討ち滅ぼすように、娘への愛が描きだされているのが、胸を打つんです。バルザックはこう書きしるすんです。「私はお前の苦労を取り上げてやりたい、お前の代わりに苦しみたいんだ。」 / 「私には財産はない、ナジー。もう、もう何も、もう何もない! これで世界は終わりだ。」 / 「世界はもう崩壊だ、間違いない。逃げ出すんだ、前もって避難するんだ!」
 
 
ゴリオ爺さんは、娘への愛のために、いままさに死に向かいつつあると感じている。絶えざる愛情があるから、まるで一人のキリストのように、死に行きつかざるを得ない。身を粉にして娘に愛を注いできて、もう倒れるより他無くなってしまった。ここで学生ウージェーヌ・ラスチニャックは、どうしてもガマンできずに、彼らの悲劇の中へ立ち入ってゆき、自分が借金を背負うと宣言して、真っ白な手形を差し出すんです。老人はついにこの騒動の最中に、感極まって倒れてしまった。ゴリオ爺さんは、フランス革命時のように鉄砲で倒れたわけでは無いんです。娘たちへの絶えざる奉仕と愛の中で終局に向かおうとしている。
 
  

 
 
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■主要登場人物
・ゴリオじいさん………娘たちを愛するあまり破産した。
・ウージェーヌ・ラスチニャック………うぶで野心家の学生。
・レストー夫人………ウージェーヌが一目惚れした美女で、ゴリオじいさんの実の娘。
・デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン夫人………銀行家の妻で、ゴリオじいさんのもう一人の娘。ラスチニャックと恋愛。
・ボーセアン夫人………ウージェーヌの遠い親戚のお金持ち。
・ヴォートラン………謎のお尋ね者。
・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢………主人公たちとおなじマンションに住む、かつて孤児だった悲しげな目の美少女。母は亡くなり、父とずっと会えぬまま生きてきた。
 
 
(作中[1][2][3]などの数字表記があります。その箇所を解説した訳註はこちらをご覧ください。)





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山羊の歌(12) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その12を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
天候への感情を軸にして、情感の対比と、概念の入れ替えという技法が冴える詩なんです。
 
 
少年と少女が入れかわるという物語のように、風と私がふつうに入れかわっている、というのが……詩だ、と思いました。
 
  
  あゝ おまへはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云ふ
 
 

 
 
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クリスマスの贈物 竹久夢二

今日は竹久夢二の「クリスマスの贈物」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
画家の竹久夢二が、幼子の独特なこだわりや、愛らしい話しぶりを描きだしています。5歳か6歳くらいに読み聞かせる童話として、書いたんだと思います。この童話、オチが好きなんです。
 
 
竹久夢二は、どのくらいじっさいの子どもと近いところでこれを書いたんだろう……と思いました。かなり近くに居ないと書けないような、生っぽい子どもの声の、描写だと思います。書き手と書かれるものとの距離というのが気になりました。記憶やイメージの鮮明な人はしかし、遠い人もあざやかに描きだしたりするんですけど。
 
 
クリスマスらしい童話でした。
 
 

 
 
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ゴリオ爺さん(9) バルザック

今日はバルザックの「ゴリオ爺さん」その(9)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「ゴリオ爺さん」は第12回で完結です。ヴォートランとゴリオ爺さんの2人からの誘いがあって、学生ウージェーヌ・ラスチニャックは激しく揺れ動いていたわけなんですけど、やはりヴォートランは不死身という名の徒刑囚だった。これが警官たちから正体を暴かれる瞬間の描写がすごかったですよ。
 
 
警察のスパイをさせられたミショノー嬢から、毒のごときクスリを飲まされて、ヴォートランは倒れてしまった。しかしまさに不死身という名前だけあってすぐに死の縁から蘇生をした。
 
 
陽気な男ヴォートランという仮の姿から、残忍な脱獄囚への豹変のシーンがすさまじかったです。魔術的な業火が彼の身体を一瞬包んだかのように、中から赤髪の男が現れるんです。
 
 
さらに、人格や言葉使いまでガラッと変化する。それを表現する語り手の文章がじつに秀逸でした。ライトノベルとかジュブナイル小説における、ファンタジー的描写の祖先は、ゲーテの「ファウスト」や、バルザックの「ゴリオ爺さん」なのかもしれないなと、思いました。現代の幻想的小説の、原典として揺るぎがたい存在なのではないかと思いました。
 
 
不死身のジャック・コランまたの名をヴォートランを言い表す文章が迫力があって良いんですよ。抜き出すとその迫力が伝わらないかと思うんですが、本文はこうです。
 
 
  一瞬にしてコランは地獄の詩となり、そこには人間らしい感情が溢れ出していた。ただし後悔の念は一切含まれていなかった。彼の眼差しは常に闘いを好みながら失墜した大天使のそれだった。
 
 
不死身のジャック・コラン(ヴォートラン)は、毒のごときクスリをもった隣人や、警察に密告したスパイに対して、恐ろしいことばをなげかける。こういうセリフです。「私は一週間後の今日にでも、あんたの首を鋸で挽くことだって出来る。だが私はあんたを許してやる、クリスチャンだからな。」さらに逮捕劇に至らせた黒幕に対してこう告げる「憲兵隊総がかりでやつを守ろうとしても、十五日以内にやつは墓の中だ。」ふたたび脱獄して、敵を始末すると宣言したんです。逮捕寸前の男とは思えない不気味さなんです。
 
 
コラン(ヴォートラン)は、自分がなにを狙っているかを告げる。ヴォートランは「反社会的人間が味わう深い幻滅感を打ち破ろうと闘っている」「丁度ジャン・ジャック・ルソーが言ったようにだ、そして私は彼の弟子であることを誇りに思っている」と言うんですよ。
 
 
ジャン・ジャック・ルソーですよ! ヴォートランのモデルとなった男は、ルソーなのかもしれない。そして、ヴォートランは、もっとも気に入った青年ウージェーヌ・ラスチニャックに別れのあいさつをして、鎖に繋がれて舞台を去るので、ありました。
 
 
学生ウージェーヌ・ラスチニャックは、危うくこの不死身の徒刑囚に全ての人生を捧げるところだった。ぎりぎりのところで、彼はゴリオ爺さんの勧める人生を選んでいた。ゴリオ氏は、資産家の男と結婚して自由を失った娘ニュシンゲンと学生ウージェーヌ・ラスチニャックを結びつけるために、美しい家を準備していた。
 
 
さらには、借金まみれの娘ニュシンゲンと、貧しい家から来た学生ウージェーヌ・ラスチニャックという2人ために、潤沢な資産と住み家まで与えたのです……ってこれ親公認なんですけど、どう考えも不倫なんですよ。大丈夫なんでしょうか。
 
 
しかし娘のニュシンゲンは、ウージェーヌ・ラスチニャックとの恋愛が成立し、愛の隠れ家を手に入れて歓喜している。ゴリオ爺さんはこの準備のために、あらゆる資産を売り払って、彼らに自由を与えた。語り手は、このおじいさんのことを、一人のキリストであると、無償の愛をあたえ、ただひとり犠牲となったキリストの苦悶の顔を湛えた老人なんだと書きしるすんです。
 
 
たしかに、ゴリオ爺さんの求めていることはほんの1つだけなんです。それは、ただときおり、娘が逢いに来るだけで良いと言うんです。本文こうです。
 
 
「……少し立ち寄ればいいんだ。約束しておくれ、ちょっと!」「はい、お父様」「もう一度言っておくれ」「はい、私の優しいお父様」
 
 
すべてを与え尽くしたゴリオ爺さんのただ一つの願いは、幸福な姿で、ときおり会いにきてくれというだけのことなんです。おじいさんと青年とで、ニュシンゲン夫人を、争うように愛しあっているという、ありえない三角関係が驚きでした。
おじいさんの娘への究極的な溺愛と、不倫ではあるが青年らしいみずみずしさにあふれるウージェーヌ・ラスチニャックの愛とがぶつかりあって、意味不明になっている。
 
 
おじいさんの愛は徹底的なもので、娘の足に口づけをして爪先まで愛していて偏執的でさえある。しかし長年の献身もあって、不動の愛でもある。この愛に青年ウージェーヌ・ラスチニャックは圧倒されている。
 
 
この小説の舞台メゾンヴォーケは、さまざまな登場人物が去りゆき、ついにほとんどもぬけの殻のようになって、物語はいよいよ最終章に突入するんです。
 
 

 
 
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■主要登場人物
・ゴリオじいさん………娘たちを愛するあまり破産した。
・ウージェーヌ・ラスチニャック………うぶで野心家の学生。
・レストー夫人………ウージェーヌが一目惚れした美女で、ゴリオじいさんの実の娘。
・デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン夫人………銀行家の妻で、ゴリオじいさんのもう一人の娘。ラスチニャックと恋愛。
・ボーセアン夫人………ウージェーヌの遠い親戚のお金持ち。
・ヴォートラン………謎のお尋ね者。
・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢………主人公たちとおなじマンションに住む、かつて孤児だった悲しげな目の美少女。母は亡くなり、父とずっと会えぬまま生きてきた。
 
 
(作中[1][2][3]などの数字表記があります。その箇所を解説した訳註はこちらをご覧ください。)





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山羊の歌(11) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その11を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回は「冬の雨の夜」という詩なんですが、雨にうたれて凍える思いをしたという記憶が甦る作品です。
 
 
あのー、詩はどう受けとっても良い、と詩人が言っているのを聞いたことがあるんですけど、それにしても、なぜこの陰惨な情景の詩を読んで、理由不明にこう落ちつくというか懐かしい感情を抱くというのは、これは……中原中也は想定していたことなんだろうかと、しばらく考えていました。ただ中原中也は、書くことによってさらに沈み込んだわけでは無くて、治癒の要素のある詩作でもあったのではないかと思いながら読んでいました。
 
 

 
 
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梯梧の花 山之口貘

今日は山之口貘の「梯梧の花」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
沖縄出身の詩人、山之口貘が母とのいちばんはじめの思い出を語っています。
 
 
ぼくの幼い頃の記憶は、もう3歳か4歳か判らないんですが、夏に水遊びをして、ズボンとパンツがビシャビシャになってしまって、母にパンツを脱がされたまんま、半裸で電車に載せられたのがすごく恥ずかしかった、というのが二番目に古い記憶なんですけど……。家族の中でおぼえているのがなぜかぼくだけなんです。山之口貘の、はじめての思い出はもっと詩的ですよ。おっぱいと赤い花のことを書いています。
 
 
作中に出てくる仏桑花(アカバナ)というのは、こういう花です。梯梧でいごの花は、これです。
 
 
沖縄と本州との印象的な違いは、植物のところにまず現れている、というのは、じっさいに行ってみて自分も感じました。まるで植物たちと生きているような、幼い男の子の生きる世界が鮮やかに描きだされている随筆です。おっぱいの描写や木登りの記憶などなど……まるで植物のように生きている、人間の感覚だ、と思いながら読みました。
 
 
自然界を見失って生きてる気がしていた自分には、随筆の終盤が印象深かったです。どうして50年も前の随筆が、現代の新聞記事と密接に繋がっているのかと、なにか謎めいているような、タイムカプセルを開けたような不思議を感じました。文末を読み終えて、すぐまた文頭の自然界描写を読み直してしまいました。歌や詩じゃ無いですけど、前半 中盤 後半 と読んで、もういっかい前半を読むと、まさに詩として成立している気がしました。リフレインしたくなる随筆です。
 
 

 
 
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