什器破壊業事件 海野十三

今日は海野十三の「什器破壊業事件」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この「什器破壊業事件」は、リレー小説「風間光枝探偵日記」シリーズのなかのひとつの短編小説です。そのため最初の数行だけ読みにくいんですけど、この作品だけを読んでもまったく問題無く読める物語です。今回は、探偵の風間光枝かざまみつえが主人公の、架空の物語で、明らかに子ども向けの空想小説なんですけど、科学技術の描写があったりしておもしろいです。入口を通ると身長を自動で測って極薄のモニターに表示する装置だとか、そういえば現代のコンビニには防犯目的で、入口に身長が分かるシールが貼られていて防犯カメラで判別できるようにしてる、よなと思いました。
 
 
50年以上前に空想されていたことが、今ではごくふつうに、町中のいたるところで実用化されてるんだなあーと、思います。
 
 
これはじっさいの1939年とは完全に違う、近未来的な世界が描かれているんですけど、でもこの時代にこういうことをみんなで考えて楽しんでいたのは事実で、こういう娯楽があったんだなあとつくづく思いました。
 
 
成金の屋敷に、女探偵が小間使いに化けて潜入するんです。主人公は、事情をまったく知らされずに、危険な仕事をやらされる。真相は現場で少しずつ解明されてゆく。当時は、殺人事件の報道禁止といった世相があったんです。海野十三はそういうことを知りつつ物語に反映させて書いたのだろうか、と思いました。
 
 
死んでしまった男が発見した事実を、探偵たちはなんとか掘り起こそうとしていた。1939年に、国家によって隠蔽されたかずかずの事件と、海野十三の提示する謎は、どこか結びついているのではないか、と空想しました。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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夢十夜 夏目漱石(5)

今日は夏目漱石の「夢十夜」その5を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
夢の中の武士は、すこぶる幻視的な存在で、不思議とみんな背が高い。武士の描写というよりも、古事記か万葉集に出て来る、神話のような時間が描きだされています。
 
 
後半はなんだか、ケルト民話や、ギリシャ神話のように美しい描写なんです。ものすごい迫力でした。
 
 

 
 
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山羊の歌(19) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その19を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
遠藤周作原作の映画『沈黙』を見にいったんですけど、その中に「沼」という言葉が出て来るんです。原作には、沼という言葉が12回記されている……。
 
 
中原中也も、今回の詩で「沼」と書いている。作家は、古き詩人の詩の言葉を暗記していて憶えていて、それで沼と書いたのか。それとも、まったく偶然に同じ言葉が、みごとに配置されたのか。なんだか文学作品同士が静謐な共鳴を成しているように思いました。
 
 
中原中也は、こう記します。
 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気しやうきの中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。
 
 
続きは本文をご覧ください。
 
 

 
 
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この初冬 宮本百合子

今日は宮本百合子の「この初冬」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これはごく短い随筆です。宮本百合子がこれを書いた時期に何をしていたかというのを調べたのですが、「獄中への手紙」というのを12年かけて書いているんです。獄中への手紙が、どういうものだったかを、明確に記している文章がwikipediaに掲載されているので引用します。
 
 
  百合子は獄中の顕治を獄外から支えたが、自らもたびたび検挙され、1936年には懲役2年・執行猶予4年の判決を受けた。その後も検挙や執筆禁止などを繰り返し経験し、体調を害する事もあったが、粘り強く文学活動を続けた。顕治は1944年に無期懲役の判決を受け、網走刑務所で服役することになったが、日本の敗戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が国内全政治犯の即時釈放を指令した事で、1945年10月に顕治も12年ぶりに出獄した。夫とかわした約900通の書簡はのちに二人の選択をへて、百合子の没後『十二年の手紙』として刊行された。
 
 
「獄中への手紙」を、こんど自分も読んでみたいと思います。夫が投獄されてから4年以上が経っている時期に、宮本百合子は、おもに幼子と教育に関する文章をいくつか執筆しています。
 
 
このころの新聞を探しだして読んでみたんですけど、驚くべき内容なんです。ぼくは新聞とかNHKとかが普通に好きなんですけど、1939年の第二次大戦の始まるころの、戦時中の新聞はもう目まいがするような構成なんです。すべてのページが戦争翼賛に費やされているんです。軍への批判が縮小するのはやむを得ないにしても、論説や表現の、多様性くらいはあっても良いはずなのに、あらゆるページが、帝国の戦争を翼賛している。幼児用ミルクや、花嫁衣装や、お醤油の広告にまで、戦争を美化する図画や枕詞が貼りついている。ウソでしょう、と言いたくなるような紙面構成なんです。ジョージオーウェルの「1984」に描かれた悪夢は、戦争への一極化をあまりにも極端に表現したもので、現実はそこまで完全には傾かないんだろうと思ってたんですけど、1939年の大手新聞社の文章はもう、オーウェルの1984を越えて一極化している。現実のほうが極端だったのか、と驚いたんです。
 
 
当時の新聞に比べると、戦前戦中の文学者の言葉は多岐にわたるものごとを描きだしているのが魅力だと思いました。宮本百合子の「この初冬」は、ちょっとした日常を描いた随筆で、重大なことが書いてあるわけでは無いんですが、やっぱり時代のおもしろさというのを感じました。自動車の運転と自家用飛行機の運転が、ほとんどまったく同じような特別な存在として、同列に描かれているのが、すっごく不思議な感じでした。宮本百合子は未来志向で文章を書いていて、SFっぽい記述になっている気がしました。
 
 
菊畑や米屋の話しが書かれているのですが、以下の文章が、当時の緊張した時代性を描きだしているように思いました。
 
 
  米のことが皆の心配の種になって、来月から七分搗と云われていた時、この米屋の前を通ると夜十二時頃でも煌々と電燈の光を狭い往来に溢らせていた。モーターが唸って、小僧は真白けになって疲れた動作で黙りこくって働いていた。ズックの袋に入れて札をつけた白米が店の奥に山とつまれた。馬力で米俵が運ばれて来たりした。東京市内だけでも一日に何軒とかの割合で米屋が倒れて行く。そういう話がある折であったから通りすがりに見るこの米屋の大活況は何となし感じに来るものがあるのであった。そこは朝夕郊外からの勤人が夥しく通る往来でもあったから、そういう男の人たちはどんな感情でこの米屋の店の有様を見て通るのだろうか。そんなことも思った。…………
 
 

 
 
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夢十夜 夏目漱石(4)

今日は夏目漱石の「夢十夜」その4を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ぼくは作品の中心とはまったく関係無いことが妙に気になりはじめるタイプなんですけど、「こんな夢を見た」という枕詞が、今回の第四夜から消えています。こんかい、肝心要なところが、スポンと抜けてる夢なんです。消える感じ。スポッと抜けおちる感じです。
 
 
自分の中で夢の中のベスト1は落下したり浮かんだりする夢で、第2位はなぜか逃げているのに動けないとか走ってるのに床がするする手応えが無くって進まないとかのスロー化する夢かもしんないんですけど、第3位くらいにやっぱり、オチが無いとか、肝心なものが出てこないとか、この空洞の感じなのかもしれないと思いました。
 
 

 
 
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山羊の歌(18) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その18を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この詩の終わりのところが鮮明な印象を残すんですけど、前半部分で風景を丁寧に描きだしてから、後半でアクロバティックな詩の転回がある。おわりの一文に、説明不可能な説得力があって、これが詩だ……と思いました。
 
 
茨木のり子という詩人の『倚りかからず』という詩を思い出しました。(リンク先で3分の1だけ読めます……)
 
 

 
 
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絶対矛盾的自己同一 西田幾多郎

今日は西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
西田幾多郎は、おもに戦前に活躍した難解な哲学者で、ぼくは難しくてまだよく読めていないんですが、この作品は、第二次大戦が起きる少し前に発表されたもので、プラトンの定義した「瞬間」という時の論考から思索を始め……もう、しょっぱなからむつかしいんですけど、こう書いています。 
 
 
  現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。
 
  現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
 
 
ちょっと何を書いているのか、自分には今ひとつ理解できないんですが……。ここから先は本文以外、西田哲学の正解とは無関係な、たんなる自分の考え方なんですが、モノがはっきり機能する時、たとえばウズラの卵が、ウズラの卵として存在するには、卵の殻が壊れてヒナが誕生するか、私たちが食べて美味しいと思うか、そういう移行を経ないかぎり、それそのものの存在の意味が生じていない、ということなんでしょうか。
 
 
判った範囲で興味深かった箇所は、こういう文章でした。
 
 
  かかる世界は作られたものから作るものへと動き行く世界でなければならない。
 
 
自分の意志で生まれてきたわけではなく、環境をあてがわれたり、助力を得て作られてきた人物が、やがて成長して、自分の意思で組織を選んだり、環境を作ったりする、作るものへと変化してゆくということを想起しました。
 
 
西田幾多郎はモノや存在はみな「有即無ということができる」と書くんです。またこうも書いています。
 
  
  現在の矛盾的自己同一として過去と未来とが対立し、時というものが成立するのである。しかしてそれが矛盾的自己同一なるが故に、時は過去から未来へ、作られたものから作るものへと、無限に動いて行くのである。
 
 
過去は作られたもんだけど、未来は作ることができると。作るというのは、モノとモノの関係性を変化させてある機能を持たせること、つまり大工が家を建てる時に生じているものだと、述べています。
 
 
この箇所が面白かったですよ。 
 
 
  我々の自己というものも、歴史的社会的世界においてのポイエシスによって知られるのであろう。歴史的社会的世界というのは、作られたものから作るものへという世界でなければならない。社会的ということなくして、作られたものから作るものへということはない、ポイエシスということはない。
 
 
ポイエシスというのは、こういう意味なんです。
 
 
それから、こうも述べています。
 
 
  動物にはいまだポイエシスということはない。作られたものが作るものから離れない、作られたものが作るものを作るということがない
 
 
子孫繁栄のことは、本論によれば「作る」の概念には入っていないんですね。植物が大海のはての、岩場のみの無人島にまで種子を飛ばして緑の大地にすることは、なんだか「作る」の概念のような気がするんですけど、本論では、人為や作為によって変化させることのみを論じているようです。
 
 
寺田寅彦や夏目漱石なら、猫や植物は(人間の思索の限界を超える遺伝子的な段階で)「神秘的に思索を繰り広げている」と表現するのでしょうが、西田哲学や論理学者たちは「猫は世界の改編を夢みない」と規定する。
 
 
猫や植物はけっして哲学しない。しかし、猫や植物こそが、深遠な思索を繰り広げていると仮定する論者もたしかにいるわけで、この対立はなんだか興味深いなと思いました。
 
 
自分としては、西田の本論の、注意点はここだろうと思ったんです。
 
  世界を多から、あるいは一から考えるならば、作られたものから作るものへということはあり得ない。
 
では、どう考えれば、作られたものから作るものへと動的に生きられるのか? それを西田はこう書きます。 
 
  多が自己否定的に一、一が自己否定的に多として、多と一との絶対矛盾的自己同一の世界においては、主体が自己否定的に環境を形成することは、逆に環境が新なる主体を形成することである。与えられたものは作られたものであり、自己否定的に作るものを作るものである。作られたものは過ぎ去ったものであり、無に入ったものである。しかし時が過去に入ることそのことが、未来を生むことであり、新なる主体が出て来ることである。かかる意味において、作られたものから作るものへというのである。
 
  それで多と一との絶対矛盾的自己同一として、自己矛盾によって自己自身から動き行く世界は、いつも現在において自己矛盾的である、現在が矛盾の場所である。
 
 
1939年の社会状況で、日本にこういう哲学世界があったのか、当時誰がどのように読んだのだろうかと思いました。西田は1939年に生きる人々に対して、考えることの、ひとつの方法を書きしるしている。西田幾多郎は、歴史的な存在のことをこう述べているんですよ。
 
 
  歴史的社会的世界においては何処までも過去と未来とが対立する、作られたものと作るものとが対立する、而してまた作るものを作るのである。
 
  歴史的現在においては、何処までも過去と未来とが矛盾的に対立し、かかる矛盾的対立から矛盾的自己同一的に新な世界が生れる。
 
 
たとえば、ヒトラーや日本帝国主義思想やカルト思想と、西田哲学には、どのような違いがあるのかが気になる箇所もありました。本文こうです。
 
 
  現在において無限の過去と未来とが矛盾的に対立すればするほど、大なる創造があるのである。
 
 
西田の本論には、民族と、生死と、人間のデモーニッシュな活動について記されている箇所もありました。当時の新聞や言説を纏めた本を読んでみると、壮大なことを言いつつ迫害をおしすすめるものがかなりの量あり、なんというか5年で悉く全滅するようなウイルス的言説が、西洋や日本に蔓延している時代でもある。たとえば「ニュルンベルク法」を調べてみると、敬虔な哲学者までもがこの毒牙にかかって苦悶している、怖ろしい時代なんです。そういう時代に、死滅する宿業のウイルス的な言説には冒されずに、西洋哲学を取り入れつつ新たな哲学を日本に根づかせようとした西田幾多郎は、じつに熱いなと思いました。1939年に西田哲学を読んでどう、ヘーゲル哲学を読んでどうと、けんけんがくがく議論しつつ生きていた学生が、いっぱい居たんだろうなあー、とつくづく思いました。
 
 
西田は「否定」という言葉を、本論で104回、「相互否定」という言葉を20回も用いているんです。否定について思考するところに価値をつくろうとしている。
 
 
無理やり同化せずに、矛盾や否定が存在するところに哲学を構築しようとしている。西田は「否定は現実の自己矛盾からでなければならない。」とも書きます。
 
 
本論では、哲学者として宗教を読み解いた箇所もあって、それは自己矛盾の底にあって深く省みる時に、「自己自身を翻して」神に「帰依」し「自己自身を否定することによって、真の自己を見出す」のであって「自己そのものの自己矛盾を反省」し「自己自身によって自己否定はできない」ので、キリスト教や仏教という伝統的な宗教に入るのだ、と西田は記しています。本論に於ける国家論と宗教論は取って付けたような印象が強く、参考にならない気がします。
 
 
西田幾多郎の言う「絶対矛盾的自己同一」が、何を論じているのか、どうも捉えきれなかったので、もういちど、この単語が使われている箇所を抜粋して、その意味をなんとなく掴んでみようと思って、以下に列記してみました。西田幾多郎はこう述べます。

  ・現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
  ・絶対矛盾的自己同一として、作られたものから作るものへという世界は、またポイエシスの世界でなければならない。
  ・多と一との絶対矛盾的自己同一の世界においては、主体が自己否定的に環境を形成することは、逆に環境が新なる主体を形成することである。
  ・多と一との絶対矛盾的自己同一として、自己矛盾によって自己自身から動き行く世界は、いつも現在において自己矛盾的である、現在が矛盾の場所である。
  ・生物的世界はなお絶対矛盾的自己同一の世界ではない。
 
 
えーと、ぼくは「昇華」という概念が好きなんですが、しかし「昇華」という概念のように「社会的に認められない欲求や無意識的な性的エネルギーが、芸術的活動・宗教的活動など社会的に価値あるものに置換され」(広辞苑)たり「物事がさらに高次の状態へ一段と高められ」(広辞苑)たりするのが、どうも西田幾多郎の哲学では無い。
 
 
西田哲学は、昇華するのでは無くって、相互に否定しあっている状態のまま、一体であることを認識することが、すでに重大だと、考える。
 
 
wikipediaを読むと、西田哲学の基本は「仏教思想、西洋哲学をより根本的な地点から融合させようとした」ということになっている。さらに「絶対矛盾的自己同一」の簡略な解説もなされていますので、興味のある方は読んでみてください
 
 
「絶対矛盾的自己同一」という言葉自体の意味が、どうしてもとらえきれない。西田に言わせれば、「判らない」という概念を含まない「判っている」はありえないのかもしれない……と思いました。西田はこう記します。
 
 
  人間の社会的構造には、それが如何に原始的なものであっても、個人というものが入っていなければならない。何処までも集団的ではあるが、個人が非集団的にも働くということが含まれていなければならない。
 
 

 

 
 
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