戦争論 坂口安吾

今日は坂口安吾の「戦争論」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは第二次大戦が終わって数年目に書かれた随筆なんです。GHQの占領下にあって、原爆のことは検閲が敷かれており、その主だったルールは「報道は真実と事実に即して書かれること」とか「連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまで報道禁止」とか「報道記事は宣伝目的で事実を誇張してはならない」また「記事には記者の意見をつけ加えてはならない」というようなものだったんです。くわしくはwikiをご覧ください。


それであの、坂口安吾は原爆の問題を論じるときに、1945年の8月6日までは、そこまで極端なことが起きるとは、ほとんど誰にも空想さえ出来なかったということを記しています。イメージするというのは一瞬で出来て簡単なはずなんですが、その想像力を完全に越えてしまっているのが原爆だった。
 
 
極端な事態が、イメージさえ出来ていなかった……。坂口安吾は作家として、原爆投下が起きるという未来をイメージできなかったということを、この随筆で重大視してるんです。広島という都市への原爆投下の酷さは、それが実行される前には「誰一人、夢想することも出来なかった」と書いている。こんご原爆が使われないことを願いながら、坂口安吾はこう書くんです。「すべて、物事には、限度というものがある。」原爆投下はこの限界を越えていた。これ以上の人間的被害はありえないと書き、それで安吾はこう結論づけます。「もはや、戦争をやってはならぬ。断々乎として、否、絶対に、もはや、戦争はやるべきではない。」
 
 
安吾はこの随筆で様々に興味深いことを書いているんです。戦争の時代から平和の時代に移り変わった、その混沌の現場に居て、安吾がさまざまなことを言っているんです。ぼくは日本に足りていないのはフランスにあるような、息の長いデモとストのあり方だ、と思っているので、この随筆の一部に反論したい箇所もあるんですが、安吾は大胆に、ストライキで群れたりすること無く、自由に生きろと、書きます。
 
 
安吾はたしかに、戦時中に徴兵も退けて特高からも被害を受けていないんです。あらゆる人に赤紙が行ったのに、いったいどうやって大日本帝国に巻きこまれずに、自由に生ききれたのか、自分には見当もつかないんですが、安吾のアナーキズムはものすごいもんだと思いました。
 
 
いろんな人びとに対して愚を繰り返すな、働きアリになるな、と安吾が言っている。「こりることを知らない」と安吾が繰り返し叫ぶんです。着眼する箇所によって、内容が多様に変化するような奥行きのある随筆なんです。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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