陰翳礼讃(3) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」その3を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回は、和洋の趣味のちがいとか、生活様式の差について、谷崎潤一郎が論じています。
 
 
江戸時代の和算のように、日本独自の科学や電化製品があったとしたら……という想定がおもしろかったですよ。韓国の暖房はまさに、21世紀に於いてもオンドルが利用されている。これは西洋の技術と言うよりも、韓国独自の技術ですけど、日本の場合は、やっぱり炬燵こたつとミカンかなあ、とか思いました。
 
 
現代日本では天井裏とか壁の奥に、暖房と冷房ができるクーラーが完備されていて、完全な和室に見える、暖かい部屋が完備されていたりする。
 
 
谷崎は青いインクに西洋のペンというのが、どうも満足ゆかない。墨汁と筆の現代版が無いのはなぜだ、というようなことを書いています。もしかしたら、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」によって、筆ペンが誕生した遠因が出来たのかもしんない、と思いました。
 

谷崎は、道具ってすっごい大事だぞと言います。たしかに安物の電気ストーブでは体調を崩しやすいし……。谷崎はこう書きます。
 
 
  …………
  いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。かく考えて来ると、些細な文房具ではあるが、その影響の及ぶところは無辺際に大きいのである。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(3)

今日は生田春月訳の「ハイネ詩集」その3を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネは、現代や近代日本ではけっして書かないことを記しているなあと、こんな嘆美な言葉を書く人は他に居ないなあと。ここまで甘い言葉を……よく書いたもんだと、思いました。本文こうです。
 
 
 おまへのやさしい甘い眼は
 月影のやうに輝いてゐる
 おまへのあかい頬からは
 薔薇のひかりがさしてくる
 
 
詩人のほとんどは、他人の感性や、他人の状況を描きだすことが多いと思うんです。でもたまに、高村光太郎や八木重吉のように自身の思いを率直に描きだす詩人も居ます。私小説のような詩があります。
 
 
ハイネはどちらかというと、他者を描きだした詩人のように思うんですけど、それにしてもハイネはみずみずしい詩を描くんです。ハイネが詩のモチーフを描きだすときに、こういうことを考えていたんではないかと思う箇所がありました。本文こうです。
 
 
 わたしの仕事といへば
 薔薇や菫や素馨そけいの花の
 花守をすることのやうな気がしてゐた
 
 
ハイネの詩心は、花守と花の関係性のように存在していたのではないか、と思いました。この詩の一節が印象に残りました。
 
 
 こひしい人のところに行つてると
 心が愉快になつてくる
 するとわたしは心が豊かになつて来て
 世界でも売つてやるやうな気持になる

 けれどまたあの真白な
 腕からわかれて来るときは
 わたしの富はすつかり消えて……
 ……
 
 

 
 
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魂を刳る美 北大路魯山人

今日は北大路魯山人の「魂をえぐる美」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
谷崎潤一郎の陰翳礼賛を読んでいるところで、他の作家がどう美について記しているか、ちょっと探してみました。これは、もっとも言葉を必要としない陶芸……その作り手である北大路魯山人の随筆なんです。魯山人の原文はこうなんです。
 
 
  陶器だけで美はわからぬ。あらゆるものの美を知って、それを通して陶器の美もわかる。そして本当にわかるということは、本当にそのものに惚れることである。
 
 
すてきな内容だなあと思って読んでたんですけど、気になったので、内容を変えて読んでみたんです。取り替えっこをしても、やっぱりちゃんと読めるんですよ。こういう改編文になりました。
 
 
  一人の作家だけでは、文学はわからぬ。あらゆる文学を知って、それを通してその小説の美しさもわかる。そして本当にわかるということは、本当にそのものに惚れることである。
 
 
こんな文章を書いてみたいもんだと思いました。魯山人は陶芸と美についてだけ、この随筆に記しているんです。でもなんだか、他のことをも論じているような気がしました。
 
 
魯山人は、優れたものばかりを扱う店では、誰でも良いものを選べると言うんです。まさにそうだなと思ったんです。ゲーテとか漱石とか、極めて優れたものは、ちゃんと時間さえあれば、誰が読んでも素晴らしさを発見できると思うんです。でもふつうのものの中からほんとうに良いものを発見するには優れた眼が必要になって、それができるのはまさに正真正銘の詩人か評論家だけだと思うんです。
 
 
こういう魯山人の言葉もありました。
 
 
  鍋島、柿右衛門には工芸美術的なよさはあるが、精神力には欠けている。そこへ行くと古九谷には道楽気があって、芸術味が含まれている。無我夢中になってやった仕事には魂が入っている。
 
 
随筆のオチがまた素晴らしかったです。
 
 

 
 
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陰翳礼讃(2) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回、陰翳礼賛という随筆のもっとも印象的な場面が描かれています。寺院の、母屋から厠に向かう、清潔で薄暗い廊下の美が描きだされています。ちょっと気になったことがあって調べてみると、谷崎潤一郎は美という言葉をここで記していないんです。この随筆は日本の美を描きだしている、ということで間違いないと思うんですが、美という言葉は前半部分ではほとんど用いていない。そういう言語の使い方がもう、美しいなあと思います。後半で内容がより奥深くなってきてからはじめて「美観」や「美の要素」ということを明記しているんです。
 
 
日本の近代文学から現代文学へと移行する過程で生じたことは、小説が、美や楽しさを中心的に追求するものへと変化した、ってことなんじゃないかなと、思ってたんですけど、谷崎潤一郎は近代文学から現代文学への道を創ったんではなかろうか、と思いました。
 
 
それから、谷崎潤一郎は、漱石文学への思慕を描きだしています。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(2)

今日は生田春月訳の「ハイネ詩集」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネのことを調べてみると、ドイツからフランスへ向かった詩人だということが明らかになるんですけど、詩を読んでいても、これはドイツ文学と言うよりも、フランスっぽいぞと言う感じがしてくる気がしました。ドイツというと、ニーチェとかトーマスマンとか……。
 
 
はじめの詩は、ハイネがドイツの大学時代の20代に記されたもので、甘い恋を描きだしています。恋人との戯れと、それから悪魔たち、という描写が新鮮でした。ハイネは新しい詩人というわけでは無いんですが、現代にも日本近代詩人にも無い感覚を表現していて、読んでいてうっとりしました。夢魔に恋人を奪われるという暗黒童話のようなところを詩に描きだしているんです。やっぱり生田春月は、初期の詩でいちばん良いのを冒頭に持ってきたのかなと思いました。
 
 
ピエロのように鮮やかな衣装を着た、サーカスの曲芸師のような小男というのが、とても印象深かったです。
 
 
 むかしわたしは夢みた、はげしい恋を
 きれいな捲毛を、ミルテじゆを、木犀草を
 苦い言葉の出て来る甘い唇を
 悲しい歌の悲しい曲調メロデイ
 ……



 
 
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万葉歌のイチシ 牧野富太郎

今日は牧野富太郎の「万葉歌のイチシ」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
牧野富太郎は、植物学者なんですが、万葉集に書き記された、イチシという植物の謎をこの随筆に書いています。壱師、というのが消えてしまった言葉で、どのくらい消えているかというと、岩波国語辞典にも新明解国語辞典にも明鏡国語辞典にも、wikipediaにもデジタル大辞泉にもマイペディアにもデイリーコンサイス国語辞典にも漢字源にも記されていない言葉です。
 
 
で、自分でもいろいろ調べてみたんですが、広辞苑にはこの消えた言葉「イチシ」の解説が載っていました。こう記されています。
 
 
  いちし【壱師】 ギシギシの古名。また、エゴノキ、クサイチゴなどとも。万葉集11「路のべの―の花のいちしろく」 [岩波書店 広辞苑 第五版]より
 
 
言語の専門家によれば、ギシギシの古名らしいです。ただ、植物学者の牧野富太郎は、どうもそうじゃない、と書くんです。
 
 
タケニグサのように思えるが、どうも彼岸花らしいと。
 
 
山の畑のあぜ道に、鮮やかに咲く彼岸花って、ぼくも見たことあるんですけど、あれこそ「灼然いちじろく」に相応しいだろう、と言うんです。
 
 
ところで、この「灼然いちじろく」という言葉、調べてみると、三省堂 大辞林によれば「灼然しゃくぜん」 ① 輝くさま。 ② あきらかなさま。明確なさま。判然。という意味なんですが、灼然いちしろにふさわしい花が、なんの花なのかよく判らず釈然しゃくぜんとしない……。
 
 
灼然しゃくぜんなのに釈然しゃくぜんとしない、というのはじつに意外な事態だなと思いました。
 
 
自分でも調べてみて、やっぱり牧野富太郎の言うとおり、【壱師いちし】は、彼岸花の可能性が高い、と思いました。
 
 
ところで、wikipediaによれば、棚田などで彼岸花が咲きほこる理由は、どうも田畑の穀物を守るための害獣対策として、根に毒を持つこの花を、農家の方々が、田んぼの畔に植えているから……なんだそうです。牧野富太郎とwikipediaを同時に読むと、曰く言いがたく面白いんですよ。
 
 

 
 
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陰翳礼讃(1) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回から10回くらいに分けて、谷崎潤一郎の随筆を読んでゆこうと思います。谷崎は日本の美について記しています。電気や電灯が一般の家に入り始めた時代に、どういう生活美があったかというのを書いています。
 
 
池と庭と縁側と障子と畳がぜんぶシームレスに繋がっているのが、そもそもの旧来の和室の、風通しの良い構成なんですけど、今の旅館でこれはあり得ないですね。開けっ放しでは蚊も入ってくるし。
 
 
和室に電気製品をどう置くかという問題は、見た目上は現代のほうがもう解決してしまっていて、クーラーもコードも全部天井裏や壁の中に入ってしまっていて、どこにも隙が無い和室が、今はあるなあとか思いながら読んでいました。でも構造はぜんぜんちがう。現代のはガラスの密室になっている。
 
 
谷崎潤一郎は、紙障子が好きなんですけど、嵐や冷気の問題でどうしても不便で、外側にガラス窓を設えて二重にするしか無く、これがなにか別ものだと言うんです。谷崎潤一郎は、鎧戸は使っていたんだろうかと思いました。
 
 
なんだか「トポロジー的には、トーラスはどれだけ伸縮してもいい。有名な例は、ドーナツとコーヒーカップは同相である、というものである」というまったく関係無い話しを思いだしました。
 
 

 
 
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