思索者の日記 三木清

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今日は三木清の「思索者の日記」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは日記のような随筆です。仕事に夢中で、タバコを吸いすぎてのどを痛め、コンコンと咳ばかりをして、近所の子どもたちからちょっとばかにされている。辞めようと思ってもなかなか辞められない。その日はちょうど自分の誕生日で、生まれたり死んだりすることについて、思索をはじめる。次の一文がきわめて印象に残りました。三木清はこう記します。
 
 
  「畳の上で死にたいものだ」と我々はいう。つまり自然の死、極めて日常的に死ぬることが日本人の願望なのである。誕生でも死でも我々は西洋人のように「歴史的な」事件としてでなくて、「日常的な」出来事として経験することを求めているのである。日常的なものと歴史的なものとが区別されるところに西洋人の「歴史的意識」があるに反して、東洋人においては日常的なものと歴史的なものとがひとつである。そこに東洋的ヒューマニズムの特色があるといえるであろう。
 
 
平凡な日常と地続きな場所にこそ、思索や倫理というものがある、という指摘に納得しました。これの書かれたのが1939年の、太平洋戦争がはじまる数年前のことで、非常にギョッとしました。
 
 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
http://akarinohon.com/center/shisakushano_nikki.html
(約5頁 / ロード時間約30秒)
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