吾輩は猫である(6) 夏目漱石

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今日は夏目漱石の「吾輩は猫である」その(6)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
不思議なことに、猫が帝国の戦争を指揮した東郷平八郎のことを、鼠との戦いに絡めて語りつつ、人間はどろぼうに入られたことについてえんえん語っている。
 
 
ずいぶんアベコベなんですが、しかしこの小説の中では、人間がどろぼうについて話して、猫は戦争について語るというのが、じつに自然な展開なんです。
 
 
いちいち服を着なければろくに暮らせない人間というのは、じつに不完全ないきものだなあ、と猫は考える。人間はものを食うのにも、なにをするのにも、いちいちいろいろな手間をかけて、つまりはヒマな生きもので、そのくせこせこせと動き回っていて、じつに無駄なもんだ、と猫は述べています。
 
 
しかし猫は猫で、夏服と冬服のかえがきかずに、年中同じかっこうをしていて、夏はつらい。人間たちは、ソバを食う話しばかりをしている。主人と東風と迷亭と寒月たちは、だんだん興に乗ってきて、ついに戦争の話しをし始める。作中にこんな冗談が書いていました。
 
 
大和魂やまとだましい! と叫んで日本人が肺病やみのようなせきをした」
「起し得て突兀とっこつですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸すりが云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸ドイツで大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士てんねんこじ以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂をっている。肴屋さかなやの銀さんも大和魂を有っている。詐偽師さぎし山師やまし、人殺しも大和魂を有っている」
 
 
漱石の親友が、日清戦争を取材しに行って肺病やみになったことを考えると、なんだか重大な冗談のように思えました。
 
 
とつぜん、小泉八雲の話が出て来るんですが、漱石はじっさいに小泉八雲と同じ職場、同じ仕事で働いたことがあって、まったくの架空の小説のようでいて、やはり漱石の人生と深い関わりがある物語なんだなあと思いました。この第六章はとくに、怪談っぽい挿話が多かったです。それから漱石は、ギリシャの物語を作中でいろいろと論じています。他にも高浜虚子や、上田敏という文学者が実名で出てきたりして、処女作なのに楽屋落ちみたいな事も書いていました。
 
 
漱石の「こころ」が執筆されるきっかけになった出発点は、じつはこの「吾輩は猫である」で冗談みたいに書かれていたのが最初なんじゃないか、という気がしました。師が後輩に、過去の恋愛の失敗について語ってゆくというところは形式的にはそっくりです。この小説では、単なる冗談として書かれているわけなんですけれども、この部分を伸ばしていって、「こころ」になったのかと思うと、なんだかすごいなと思いました。
 
 


 
 
こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
http://akarinohon.com/center/wagahaiwa_neko_dearu06.html
(約50頁 / ロード時間約30秒)
iPadやノートPCなどに対応した、シンプル表示の縦書きテキスト版はこちら  (全11章通読はこちら 前編 後編 )
 


 
 




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