それから(16) 夏目漱石

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今日は夏目漱石の「それから」その16を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この物語は次回で完結です。
 
 
代助はいよいよ、自分で生きる方法を模索しなければならなくなり、浮浪者になることも想像してみた。三千代と平岡と、代助。この三者を表現するときに、漱石はこう書くんです。
 
 
  ……
  けれども相当の地位を有っている人の不実と、零落の極に達した人の親切とは、結果に於て大した差違はないと今更ながら思われた。
 
 
漱石は、平岡の不実のことを、具体的には書かないんですよ。この不幸については、話しに尾ひれをつけて、苦を誇張する、というようなことをしていない。そこがなんというんでしょうか、普通の映画や小説とはかなり異なっていて、「余裕派」とも言われた、漱石の美しい表現のように思いました。
 
 
漱石の、苦の表現は、どうにも美しいというか、神話的というか、オフィーリアを描いた絵画のようで、読んでいて安らぐんです。
 
 
三千代はほんとうに不幸なのか、三千代は代助をほんとうに慕っているのか、ここまで来てもまったくの謎だったんです。それで、ついに三千代は、はっきりと話した。その内容が衝撃なんです。ちょっとこれは……一時の気の迷いかどうかは判らないわけですが、三千代は代助の言うことを、ほんとうに聞こうと思っている。
 
 
こんな、ここまで言われたらもう、ぜったいに無かったことにできないな……。と思いました。ぼくは漱石の小説の中で、今回の章がいちばん意外でした。
 
 
普通なら、そこに道は無いとして、誰も取りあわない問題を、漱石は丁寧に描きだしているんです。やはり漱石は、正岡子規に読んでもらいたくて、これらの小説を書いていたんだろう、と思いました。
 
 
あ、平岡はそう動くんだ、という明確な展開がありました。代助はちゃんと事態を捉えていたんだなと、思いました。平岡は、恋愛というのものははなから頭になく、ただ誠実ということについては責任を持っていつも行動してきた男なのでした。
 
 
代助は、三千代がこのまま行ったら先がないかもしれないと、予感していた。代助はなぜ「今」を、どこへも向かわず静かに生きてきたのかと言えば、近い未来の動向を探っていたからです。未来をちゃんと見ようとする男の物語だから「それから」なんだなと、いたく納得しました。
 
 

 
 
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 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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