門(21) 夏目漱石

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今日は夏目漱石の『門』その21を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
あと2章で漱石の『門』が完結です。
 
 
最近、文学とも仕事とも関係の無い、私生活のところで行き詰まっていて、小説を読んでいる場合じゃ無いなと思いつつ、漱石の「門」を読んでいたら……なんだ、100年前の宗助もほとんどまったく同じようなところで行き詰まっているのか、と驚きました。この作品を読む前に、主人公が込み入った夫婦生活を営んでいると言うことで、自分には理解の難しい物語なんだろうと思ったんですが、なんだか宗助はどうも、まるで独身者のように右往左往しているんです。そういう男も居るもんなのかと思いました。
 
 
今回の章を読んでいて、やっぱり漱石はカフカと共鳴していると思いました。1914年から15年ごろに書かれたカフカの作品に「掟の門」(道理の前で)という短編があるんですよ。漱石が「門」を書いたのは1910年のことで、カフカはこれを絶対に読んでいないはずなのに、みごとに相似しています。

 
この文学同士の、偶然の共鳴が素晴らしいなあと思いつつ、読んでいました。たぶん両者のイメージしたのはダンテの「地獄の門」なんだろうとはじめ空想したんですが、いや、漱石のじっさいのタイトル「門」は森田草平が名づけて、ニーチェの著作「ツァラトゥストラはこう語った」の一文に登場する門からとられたわけで、ニーチェは反キリスト教を説くに於いて「門」という文字を用いた。どんどんさかのぼるとけっきょくは聖書に行きつくんだろうとか、漱石が描いたのは仏門なのに、それにしてもみごとにカフカと双子のようになったもんだとか、思いつつ読みました。
 
 
主人公宗助はけっきょく、旧友の安井と再会するのがあまりにも忍びない。そんなところで悩んでいる自分がじつに情けないので、仏門をくぐってこころの修行をしてみたのだが、やはり悩みは消えなかった。
 
 
漱石のこの文が、カフカの作品と美しい和音を奏でていると思いました。
 
 
  自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、
「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。彼はどうしたらこの門の閂を開ける事ができるかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事ができなかった。したがって自分の立っている場所は、この問題を考えない昔と毫も異なるところがなかった。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもって生れて来たものらしかった。



 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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