アブセンス・オブ・マインド 西田幾多郎

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今日は西田幾多郎の「アブセンス・オブ・マインド」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
アブセンス・オブ・マインドというのは、辞書によれば「ぼんやりしていること、放心状態、うわの空」とか「粗忽」とか「そそっかしい」という意味です。
 
 
さいきん、1939年を知りたいということで、この年に書かれた書物と新聞を読んでいるんです。wikipediaの記述に、日ソ国境紛争そしてノモンハン事件というのがあって、日本の軍が完全敗北した年なんですが、その事実は、戦後になるまで一般の人びとにはほとんどまったく伝わらなかったのではないかと思いました。wikipediaにはこう書いています。
  
 
  ノモンハン事件当時の日本陸軍の情報統制は厳しく、ノモンハン事件の情報についても管理されていた。憲兵隊が新聞などのマスコミ報道や、手紙・電報などの私書について検閲を実施し、それを毎月データー化して関東憲兵隊に報告し、関東憲兵隊はそれを取りまとめて『検閲月報』という極秘資料を作成していた。

  事件当時の新聞などの報道では、日本軍の苦戦や損害に対する記事は検閲される一方で戦果と武勇伝が強調され、新聞紙面上からは日本軍が苦戦している状況は微塵も感じられなかった。私書についても同様で、日本軍が苦戦していることが判る様な表現や、日本軍や兵器の問題点を指摘した記述は削除されていった。
 
 
それで、じっさいに当時の新聞を何日分か読んでみたんですけど、たしかにノモンハンの被害状況がほとんどまったく書かれていなかったです。僕が発見した記事は、1939年の12月中ごろに、ノモンハンで戦死した男の慰霊が行われた記事なんですけど、人数がまったく書いていないんです。死傷者は何千人も居るんですが、記事には「○○中佐一名以下の慰霊がとりおこなわれた」というようなたった10文字ほどに圧縮された文章しか、発見できなかったです。
 
 
憲法二十一条が戦後社会に存在しているのは、このノモンハンの戦争や日中戦における被害状況がほどんどまったく報道されなかったため、日中戦、日ソ戦、日米戦と、戦局が拡大の一途を辿りつづけたという事実が礎となって、条文が構築されたのだろうと思います。
 
   
戦中当時に必要だったのは失敗学だったと思うんですよ。どういう巨大な損失があったかが開示されたら良かった。関係無いんですけど、現代日本で成功している人びとの動向を見ていると、自分とここが違うなと思うのは、失敗が開示されているところなんですよ。ノモンハン時代の新聞みたいになっちゃダメなんだと思いつつ、自分も失敗を隠して生きてるし、だからダメなんだろうなとか思いながら当時の新聞を読んでいました。
 
 
日本国内ではこの当時、ドイツ人を中心に在日外国人が住んでいて、西田幾多郎は、知り合った外国人のことを、この随筆に記しています。短いエッセーなんですけど、漱石の「こころ」冒頭部分を思い起こさせるような文章で、なんというんでしょうか、なんだか西田幾多郎をもっと読んでみたいと感じる、短編です。
 
 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
http://akarinohon.com/center/absence_of_mind.html
(約10頁 / ロード時間約30秒)
iPadやノートPCなどに対応した、シンプル表示の縦書きテキスト版はこちら
 
 
 
 




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