こころ(2) 夏目漱石

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今日は夏目漱石の「こころ」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
全6回にわたって漱石の「こころ」を読んでいます。先生の妻の、話しぶりが印象に残るんです。それでちょっと調べてみたんですけど、先生の呼び名が奇妙なんです。まず名前が無いんです。どこを探しても、「先生」の名字も名前も判然としない。百科事典のwikipediaにも書いていません。それで妻が夫を何と呼ぶかというと「主人」という呼び方をしない・・・です。主従の関係には無いので、主人という言葉をほとんど使わない、とも読めるかと思います。漱石は、主人という言葉を、「客と主人」というように店主のような存在を名指す時に使っています。
 
 
それで、どう呼んでいるかというと、おもに「あの人」とか、または主語を用いずに夫のことを語ります。そして若き青年は彼のことを「先生」と呼んでいる。べつに学校の先生はしていない男を先生、と呼ぶんです。源氏物語もじつは、名前が固定されていなくて、呼び名が変転し、本名がよく判らないように記されているんですが、漱石も「名前がない」という物語をよく描くんです。明確に名指す行為ってたとえば新聞とか、客観的な事実が報じられるときに名が明確に筆記されると思うんです。


名前がある人と、名指せない存在のちがいってなんなんだろうかと思ってたんですけど、たとえば親密じゃ無い相手でも名前がない相手はけっこう居ると思うんですよ。個人的に嫌いな相手や興味を持てない相手にも名前がとくに無かったりする。でも近い存在とか好きな相手でもなぜか名前が生じないこととか、名がころころ変転する場合もよくあるはずで、客観的にはとらえがたい領域に居る人物が、こう、源氏物語とか漱石が描きだす「名の無い存在」になっているんだと思うんです。
 
 
「それから」では、主人公代助が、名づけにくい暮らしをしている。今回の先生も、じつにあいまいな存在として語られつづけます。先生は、いったいどういう人なのか、その妻と、彼を慕う青年が論じ合う箇所があります。原文こうです。
 
 
「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」
「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」
「どんなだったんですか」
「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」
「それがどうして急に変化なすったんですか」
「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」
 
 
妻によれば、先生がなぜ変わってしまったのか「私にはどう考えても、考えようがないんですもの。」と言うんです。次の一文がすこぶる印象に残ったんです。妻が、先生のことを考えてこう言うんです。原文こうです。
 
 
  ……
  しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくってたまらないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」
 
 
思うんですが、漱石は、正岡子規が亡くなるまでは、小説家になる行為をとっていなかったですよ。それまでは英語の研究をしていたんです。正岡子規が亡くなったので、その彼がやっていた文芸誌に小説を書きはじめた。正岡子規が一生文学をやるという姿を漱石に見せたので、漱石はそれを追うことにしたとも、思うんです。
 
 
主人公の「私」は、正月になると、父の健康状態をうかがいに故郷へ帰り、暇つぶしに親子で将棋を打ったりします。それから東京に帰って卒業論文を書いたりしている。なるほど、漱石はおそらく学校を卒業する年齢の読者に向けて書いたんだろうなと思いました。
 
 
物語中のちょっとした挿話に、夜に寝ていて気付かぬうちに亡くなっていた男のことが語られます。身内どころか本人も気づかないような、苦しみの薄い自然死のことがほんの少し記されている。主人公はその話しをまるで気にしないんですが、なんだか妙に気になりました。
 
 
漱石は、他の文学とどうちがって、どこが独自かということを論じている評を読んだことがあるんですが、そこでは漱石は何よりも、裏切りについて描いた作家だ、というのがあって記憶に残ったんですが、たしかにこの物語ではそれが中心的に描かれていると思いました。本文では、青年の財産分与問題について、先生はこう述べています。「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
 
 
「人間がいざという間際に、誰でも悪人になる」と、先生は言うんです。なぜそうなるのか。この問題について、青年が問いつづけていると、先生は、真面目に問うのなら自分の過去の体験をはっきり教えようと、宣言します。それでいちばん長い、先生の最後の手紙が登場するわけなんですが…………。次回につづきます。
 
 
この時代の「国」という言葉が好きだ、と思いました。漱石はふる里のことを、国と書くんです。原文はこうです。
 
 
  私はかばんを買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇おどかすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切いっさい土産みやげものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡りょうけんわからないというよりも、その言葉が一種の滑稽こっけいとして訴えたのである。
  私は暇乞いとまごいをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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