彼岸過迄(4)停留所(前編)夏目漱石

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今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(4)停留所(前編)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
漱石は探偵という言葉を、不愉快なものを言いあらわすために使ってきたんですけど、今回、主人公敬太郎が「警視庁の探偵見たような事がして見たい」と言うんです。でもやっぱりできない、とも言う。どうしてかというと、本文こうです。
 
 
  彼らの立場は、ただひとの暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露ばくろにあるのだから、あらかじめ人をおとしいれようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者いな人間の異常なる機関からくりが暗い闇夜やみよに運転する有様を、驚嘆の念をもってながめていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。
 
 
須永という友人は、軍人の息子だけど軍事が大嫌いで、他にも良い仕事ができそうなのに、やろうとしない。
 
 
主人公も大学を卒業しても仕事が無い、という話を漱石はとうとうとやるんですよ。もう何度目か判らないけれど、これだけ繰り返しこのことを論じるのは、そこが漱石の文学の要なんだなと、思いました。「こころ」でも「それから」でもその話しをやっている。とくに中期の作品がこの問題をよく書き記しています。何かに変わってゆく、その手前のところを書くのが漱石はほんと上手いなと思いながら読みました。
 
 
前回、中国の賭博場に消えていった先輩森本のくれた杖が、主人公敬太郎は妙に気になっている。森本はこのままこの町に帰りつくこと無く、亡くなってしまうように思えてならない。とりあえず友人森本に手紙を書き送る。そこに「ヴァガボンド」という言葉が出て来る。ああ、日本ではじめてヴァガボンドという言葉をハッキリ書き記したのは、漱石かもしれないなと思いました。本文にはこう書いていました。
 
 
  君のような漂浪者ヴァガボンドを知己につ……
 
 
ロンドンの漱石を、一言で言いあらわすなら、この漂浪者ヴァガボンドだったのではないか。ホトトギスという雑誌があって、そこに正岡子規がいろんな文を書いていた。ところが病床でいよいよ筆が持てなくなると、彼は枯れたノドで、身内に口述筆記をさせた。この子規の口述筆記こそが、日本の小説が自然な口語文になるきっかけになっていて、漱石はそれを引き継いで日本の現代小説の基本形を完成させた。
 
 
主人公敬太郎は、友人たちとなにか薄いつきあいをしつつ、物語が進展してゆく。彼は田口という名の、須永の叔父さんに逢う。この男は立派な服装をした老紳士で、就職先を紹介してくれることになっているのですが、運悪くというか手違いで、門前払いとなってしまう。
 
 
作者の漱石はいつも仕事がたっぷりあった人ですよ。その人が、どうしてこう真摯に、仕事が無い若者をこうも繰り返し書けるのか。現代で言うと、食い物が十分にある人が、食うモノがないという物語をしつこく描き続けるくらい、なんだかむつかしいことのように思います。いつ漱石は、「仕事が無い」というのをとにかく書いてやろうと思いたったのか。その謎を追うと、なにか新しい発見があるんじゃないかと思いました。漱石は、先生らしい先生だったのかもしれないです。それで卒業後に仕事が無い生徒のことがいつも脳裏にあった。漱石は、他人のことを熱心に観察出来る人なんだろうなと思います。
 
 
敬太郎はいろんな人に会って話を聞くんですけど、どうも煮え切らない人間関係とでも言えば良いのか、話が繋がってゆかないというか、なかなかなんにも進展しない。現代のシステム化された就職活動とはちがって、もっとあいまいな関係性の中で仕事や将来のことを探しもとめている。
 
 
本文には、敬太郎は「やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴々せいせいした心持」をまだ知らないのである、と書いている。漱石はごく単簡な言葉を、とても鮮やかに使う作家で、この「井戸」という言葉が印象深かったです。
 
 
仕事が面白いとか、遊びが痛快だとか、そういうところに至ってみたい。未来がまったく見えないもんで、むかし父が好んでいた町角の占い師に、ちょっと占ってもらおうと思いたって、一人で町を放浪する。てきとうに入った店で、未来を占ってもらうわけなんですが……この描写がずいぶんこう、なんと言えば良いんでしょうか、神秘的というか記憶に焼きつく場面なんです。こういうの、西洋でも日本でも、映画の良い場面で出てきた! と思いました。漱石の前の時代の西洋文学や、現代の日本の物語にも、こういう場面はたしかにあるんです。なにかこう、物語の歴史が交差するポイントを漱石が如実に捉えていたとでも言うのか、そういえばもう太古から中国では亀の甲羅を用いて亀トきぼくをして、古代日本では鹿の角で太占ふとまにをしてきたわけだし、そういう文化習俗を漱石が書くとこれが……本物の占い師よりも雰囲気があるなあ、と思いました。
 
 
彼岸過迄を全文読まないけど、ちょっと知ってみたいという方は、今回の16章から19章まで、ほんの十ページほど読んでみると、この小説を楽しめるんでないかと思いました。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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