青猫(6) 萩原朔太郎

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今日は萩原朔太郎の詩集「青猫」その6を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。「青猫」はこれで完結です。
 
 
萩原朔太郎ってどんな人なのか、調べてみたので書いておきます。出典は《中野重治は語る/平凡社/P57〜59》からです。
 
 
萩原朔太郎は、1942年に五十五歳で亡くなられています。中野重治氏はこう語っています。
 
 

戦争の初めのうちに、あの非常に大きな、そこから引きだすべき問題がまだ完全には引きだされていない大きな敗戦というもの以前に萩原は亡くなっています。ですから、日本の受けた猛烈なあの爆撃、沖縄の惨状、広島と長崎、それからきた日本の敗戦、さらに敗戦に引きつづく大都市その他の戦時以上に悲惨だった飢餓状態、さらにその後の被占領時代における日本の全変形、こういうものを、萩原は見ないで、それを体験しないで死んでいます。ですから、あれらをとおしてその後へ生きた人びととでは、問題の見方、考え方にそこばく違いがあるように感じます。

 
 
では萩原朔太郎は、そのような過酷な未来が待っていることをまったく知らずに生きていたのかというとそんなことはありません。中野重治氏はこう記しています。
 
 

     萩原朔太郎という人は、もともと世事にうといような人でしたから、敗戦ののちになお生きたとしてどんな観察をしたか、そこからどんな藝術を引きだしたかはわかりませんが、事実としてあの鋭い神経で感じとったものには一九四五年以後を通ってきた人びとのに比べてどこかのんきなようなところがある。これはもちろん、萩原として非難されることでは毫もありません。
     ただ、あの人が軍国主義的なものに強い反感を持っていたことは明らかだと思います。また日本の現状を非常にありきたりないもの、しばしば許しがたいものとしたことも、詩にも文章にも書いています。



中野重治氏は、萩原朔太郎を、革命を信じる人間と言うよりは、反逆者やアナーキストに近かったと論じています。萩原朔太郎は《現在秩序にたいする否認の気持ち》というものを持っていた。そして、軍国主義や専制主義には強い反感を持つけれども、軍隊の行進する姿というようなものについ引き込まれてしまう、アンビバレントな感情を持っていたようだ、と中野重治氏は推測しています。


萩原朔太郎の、「烈風の中に立ちて」という文章を公開します。


     私が『同志』と呼び、親しき友情を感じ得るものは、今の文壇でただ無産階級派の作家あるのみだ。彼等の仲間だけが、よく私の気質を知り、私の思想を了解してゐる。何となれば彼等の情操の本質には、いつもポオとニイチェの混血児が棲んでゐるから。尤もプロレタリア作家といふ中には、社会主義者の一派も居るが、彼等は私にとって例外である。社会主義そのものは、精神的に私と気が合はない。彼等は私の敵であつて仲間でない。私の言ふのはアナアキストの一派であり、或はニヒリストであり、或いはダダイストのことである。思ふにすべて此等の思想は、私の第一詩集『月に吠える』の中にその『情操の起源』を有してゐる。




中野重治氏は、こう記します。
 

    究極のところ、朔太郎という人は人が他を理不尽に圧迫するというようなことには耐えられなかった。これは全作品、全生涯について見られると思います。










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http://akarinohon.com/center/aoneko6.html
(約6頁 / ロード時間約30秒)
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