こども風土記 柳田國男(25)

今日は柳田國男の「こども風土記」その25を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
柳田國男の評論を読んでいると、同じ日本と言っても、時代と地域が違うと、ここまで今と違う習俗に、なるんだなあー、とおどろきます。無人島の子どもたちの王国『蝿の王』みたいなものは、たんなる空想だと思ってたんですけど、どうも現実にもそういうのに似たことはあるらしい。見たことの無い習俗が描かれます。柳田のこの一文が印象に残りました。
 
 

正月小屋の中では、おかしいほどまじめな子どもの自治が行なわれていた。
 
 

 
 
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現代美学の危機と映画理論 中井正一

今日は中井正一の「現代美学の危機と映画理論」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
中井正一は、この一文から、評論をはじめるんです。
 

個人主義文化が、封建主義文化を引きはなすために、戦った歴史の跡は決して容易なものではなかった。
 
個人主義、というと、夏目漱石の「私の個人主義」がぼくはすごく好きで、これを思いだすんですけど、今回は中井正一が説く評論を読んでみました。
 
 
現代の自分たちが普通に持っている自由というものが、100年ほど前にどういうように構築されていったのか、というのが見えてくる評論です。
 
 
「封建主義的文化に」おける「美は常に、何か賤しいものが宮殿にまぎれ込む夢のようなもの、シンデレラ姫のようなもの」だ、という表現が秀麗だなあと思いました。ふつう美は賤しいものを否定するんだと、誤認しがちなんですけど、そうじゃないと。さらに「個人主義文化では、実はこれと正に反対となった」と言うんです。その美学をあきらかにしたのが、中井正一によればカントで「カントは」「自然よりも人間の自由がより高いものであり、美とは、自然の中に人間の自由を感得することであると考えたのである。自然の中に理性的なるものを発見し、創造するものと考えたのである。」そこでは「芸術は、個人の主観が創造するもの」となった、そうです。うーむ。
 
 
映画が勃興する頃、これが非芸術とされたその理由を三つ述べてから、中井はそれに反論を試みるんです。面白い評論でした。映画が芸術として存在するようになってから、集団芸術という概念が生じたわけで、その影響もあって、クリストのような膨大な人数で制作にかかる現代美術が誕生したんだなあと思いました。
 
 
…………歴史の「聖なる一回性」に連続している。
 
というような、中井正一の比喩表現がすてきでした。やっぱりなんでも業界の創世記って面白いんだなと思いました。
 
 


 

 
 
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ハイネ詩集(61)

今日は「ハインリヒ・ハイネ詩集」その61を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネの冗談、というテーマで詩集を編纂してみたら面白いんじゃないかと思うんですが、今回はこんな詩が記されていました。 
 

『あそこに立つてゐる男は馬鹿なのかい
それとも恋をしてゐるのかい?
嬉しげにしてゐるかと思へば悲しげに
悲しげにしてゐるかと思へば嬉しげにしてゐるが』

すると月はしづかに微笑んで
あかるい声で言ふのには
『あの男は恋もしてゐるし馬鹿でもある
なほその上に詩人だよ』
 


 
 
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こども風土記 柳田國男(24)

今日は柳田國男の「こども風土記」その24を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
この子ども風土記を読んでいて、柳田國男は、習俗が移り変わるところを描写するんですが、なんだかインターネットという環境の変化にも、共通している問題のような気がしてきました。
 
 
柳田は「公認せられた子どもの悪戯いたずらというのが、今日はちっともなく、以前は相応にあったことは、可否は別として、ともかくも世の変り目である。」と言うんですけど、これって現代にも言える習俗の変化だなと思いました。
  
 

 
 
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自然現象の予報 寺田寅彦

今日は寺田寅彦の「自然現象の予報」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
平成30年7月豪雨で被害にあわれた方々に謹んでお見舞い申し上げます。ごく少額ではありますが、こちらのYahoo!ネット募金に参加しました。
 
 
今回は天気予報について論じた、近代の科学者の随筆を読んでみました。寺田寅彦は、世人と科学者の思考の差異について、こう指摘しています。
 

いかなる測定をなす際にも直接間接に定め得る数量の最後の桁には偶然が随伴す。多くの世人は精密科学の語に誤られてこの点を忘却するを常とす。
 
どれだけ精密に科学を展開しても、細部で偶然が生じたり、その偶然の蓄積で想定外の事態が起きたりというのは、つねに付きものだと100年前から考えられていたようです。ほかにも地震予測の難しさについて論じられていました。大正5年、1916年の随筆です。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(60)

今日は「ハインリヒ・ハイネ詩集」その60を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネが、花は枯れてしまう、という詩をくりかえし描いている。みな季節とともに盛衰し、いずれもが移り変わってしまう。その中で、ハイネは変わらない愛を詩に記しています。
 

あゝ、わたしの心はこの曠野に似てゐる
そして彼方あそこに見えるあの木立
あの常緑とこみどりの木こそはおまへの姿だ
わたしのかはいゝ美しい妻よ!
 

 
 
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こども風土記 柳田國男(23)

今日は柳田國男の「こども風土記」その23を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
柳田國男の語る習俗の、ほとんどは消え去っていて今どこにもないものが多いんですけど、今回のは、自分も子どもの頃に噂で聞いたことがありますし、ネットにも情報が載っていました。
 
 
ご近所の、お月見用のおだんごを、盗んでゆく子どもたちが居たっていう話しです。現代の都市ではたぶん、こういうことをすると、かなり危ない。たとえばアメリカでは、ハロウィンパーティーの日に「お菓子をくれなきゃ悪戯をする」っていう子どものための古い遊びがあるわけですけど、そこで銃撃事件が起きたことがありますし……。日本でも子どもが窃盗すると危険な可能性がある。
 
 
けど、たとえばカナダとか、日本の古い農村では、他人の家の敷地に近づいてもまったく問題無い場合があるようで、村全体でこういう習慣が、現代でもちゃんと残っているようなんです。こんかい、柳田の随筆を読んでいて、これはほんとに、子どもの頃、噂に聞いたことがある話しだなーと思いました。
 
 
モノを黙ってもらってゆくところに妙味があったわけで、柳田は「顔を見られまいとするところに一種の冒険味があった」と書くんです。源氏物語の恋愛みたいな、そういう上品さを感じました。柳田國男はこう書きます。
 

取られる側からいうと一種の豊富感、余って誰にでもりたいという幸福を、味わいたい際なのだから、相手が容易によろこぶ子どもならば、なおのこと取らせてやりたかったであろう。
  
子どもと泥棒、という存在は物語上だけの存在では無くて、かつて日本でほんとうにあった習俗だったんですねえ……。むかし子どもたちのやっていたことは、現代では猫が引き継いでいますよ。
 
  

 
 
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