こども風土記 柳田國男(10)

今日は柳田國男の「こども風土記」その10を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
木の枝を神に見立てた、そういう民間信仰があったらしいんですけど、アニミズムと近代宗教のすごい融合だなと思いました。なんだかナナフシの動いているところでも見ているような……。柳田國男の文章を読んでいると、日本ってそういう世界観があったんだと、驚くんです。賢治の表現する世界とも、寺田寅彦が描写した日本ともまったくちがうんですよ。
 
 
枝が鉤状になっていることに、神聖さというか、重要な意味があった。登山グッズで言うところの十徳ナイフというか、iPhoneの便利なアプリみたいな万能感覚が、小枝のあの鉤状の形態に見出されていた……そうなんです。それは占いなどにも用いられたし、お地蔵さんみたいに大切にされた。
 
 
柳田國男は、なんだか思いついたことをデタラメに書いてるだけなんじゃないの? とさえ思うことがあるんです。たとえば「鉤懸」と「カンカケ」と「寒霞渓」がじつは関係性が深くて、「鉤懸」と「寒霞渓」は、「元はこの方面にも同じ風習があったかと思われる」と書いているんですが、それって単に、ダジャレからの思いつきで、シンプルなウソを書いてるだけじゃないの……とさえ思うんです。現代の学者さんは、こういう語源の源流のように証拠があやしいものの正誤を、どうやって判定してるんだろうか……と思ったんですけど、辞書で調べてみると確かに、「寒霞渓」はむかし「鉤掛山」とか「神懸山」とか呼ばれていたそうなんです。ダジャレのような、習俗の歴史のような、こんな謎めいたことばの歴史があったのかと、毎回驚きます。
 
 
柳田國男は、鉤の形をした小枝を占いに使ったという、民間の信仰について、こう記します。
 

かつてはまじめに或る旅行の成功するか否かを、鉤によってたしかめてみるという信仰があったのである。
 
またこうも書きます。
 
子どもの遊びには遠い大昔の、まだ人間が一般に子どもらしかった頃に、まじめにしていたことの痕跡こんせきがあるのである。


 
 
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ステッキ 寺田寅彦

今日は寺田寅彦の「ステッキ」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
登山の道具が進化して、山でステッキを使う若い人が居るかと思うんですが……昭和7年の寺田寅彦の時代には、ステッキをつく若者が居たそうなんです。
 
 
そういえば、夏目漱石の『彼岸過迄』にも、若者が使うステッキが出てきたんですよ。日本にそういう流行があったんだな、と思いました。あとイギリスのシャーロックホームズもたしか若いのにステッキを手にしていますよ。
 
 
昔より、現代は道が平たくて、移動距離が少なくなったから、ステッキを使う若者はほとんどいなくなったんだなあとか思いました。 
 
 
寺田寅彦はただちょっとした随筆を書いているだけなんですけど、ここまで精彩に観察していると、まるで小説のようなおもしろさが滲み出してくるんだなあと……すごい白米を食ってる時みたいな、滋味にあふれる文章でした。こんなにもたしかな観察眼があれば、もっとモノを書くのが楽しいだろうなと、スカスカの文章をここにこう書きながら思いました。
 
 
手持ちぶさただからiPhoneを手にして町を歩いている、というのと似たような理由でどうも、ステッキを若者が手にしていた時代があったらしいんですよ。じゃあ近未来にはまた、ステッキ風のApple製品が、出てくるかもしれないなと思いました。指揮棒っぽい何かとか……。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(46)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その46を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回も、ハイネの愛の詩が描かれているんです。ハイネは、砂浜にすぐ消えてしまう文字で「おまへを愛する!」と書くのに飽き足らず、星々を作ってそこに愛の言葉を刻みつける、と詩に書き記すんです。この大胆な、ハイネの情熱のおかげで、200年後にもハイネの詩を、こうやって読めるんだなあと思いました。200年という時間を越えてゆくのはすごい熱量がいるもんだ……と思いました。
 

……
あの真紅まつかな噴火口にひたして
その火を含んだ巨大な筆で
暗いそらのおもてにわたしは書かう
『アグネス、わたしはおまへを愛する!』と
 
 
アグネス、というのはハイネの恋人テレーゼのことだそうです。
 
 

 
 
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こども風土記 柳田國男(9)

今日は柳田國男の「こども風土記」その9を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「オモチャあそび」ってじつはむかしは「モチャあそび」に「お菓子」とか「お芋」とかと同じで「お」をつけて「おもちゃ」になったわけで、「モチヤソビ」という言葉があったそうなんです。えっ! 「モチャ」なんて知らないと思ったんですが、たしかにそういえば「オモチャにする」という文章は「もてあそびものにする」という意味で「モチヤソビ」というのはしらないことはなかった、欠片だけ知っていた言葉だなあと思いました。
 
 
なぜオモチャが発展したか、その謎も記されています。子どもがハサミとか包丁とかに興味を持たないように、代わりにこう、水鉄砲とか人形とかをあらかじめ用意しておいて、危険から遠ざける意図があって、オモチャ業界は現代にまで続いて発展してきている。
 
 
で、柳田國男によれば、オモチャの原形は、農具や仕事道具のミニチュアが多かった。判るなーそれと思いました。今ネットでSNSとかブログとかスマホとか、中心的なものごとのミニチュア化されたものを自分たちは好んでいるわけで、昔も今も人間の嗜好はそんなに変わらないんだろうなとか、思いました。
 
 
売りものとしてのオモチャの起源は、やっぱりどうも、神社のおみやげから日本はスタートしたらしいです。とうじの神社のおみやげというのは、参拝のあとに神社からもらったはこのことだそうです。
 
 

 
 
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泡盛物語 佐藤垢石

今日は佐藤垢石の「泡盛物語」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
家族のために厳しい肉体労働をしている男の、実話を記していった物語なんですけど、あまりに貧乏で、かまどに火を入れるための薪さえろくに手に入れられず、実家に帰る金さえ無い。20世紀末では、知識のある人は裕福だったわけなんですけど、昭和初期には貧困を描きだす文筆家が居て、そういう人が「天知る、地知る、我知る、人知る」という後漢書の言葉を言ってみたりする。
 
 
母が危篤となったという電報が届いたのに、貧しさのために母の家に帰ることが出来ない。肉親へ詫びの手紙を送ると、友人からこういう手紙がとどいた。この手紙の前文が印象に残りました。
 

前略、御健勝の由慶賀に存じ候。さりながら自今御窮迫との御事、それしきの境遇苦慮するに足らずと、遠方より御声援申上げたく候。
 
友人は、仕事を用意したから、母や妹の暮らす街へ帰って来いと言うんです。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(45)

今日は生田春月訳の「ハインリヒ・ハイネ詩集」その45を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
やっぱり近代文学の魅力は、自然界との深い繋がりがあって、それが現代人には新鮮だ、ということだと思うんです。現代人は暖房や防寒具や交通網が完備されていて、冬を見ないでも普通に生きられるけど、ハイネの時代はそうじゃないですよ。それで自然描写が魅力的になるんだと思います。
 

海は大口あけて欠伸してゐる
さうして海の上には腹這ひになつて
無恰好な北風が寝そべつてゐる
 
それをみた「彼」は「水にむかつて饒舌しゃべ」りはじめるんですよ。都市に住んでる人にはもはや判らない詩なんだろうか、と思いました。
 
娘は炉辺ろばたにすわつて
釜の煮え立つ音を聞いてゐる
何をか告げるやうな楽しいひそやかなその音を
さうしてばちばちいふ小枝を火にくべて
そつと火を吹くその度びに
赤い光りがゆらゆらのぼり
魔法のやうにうつし出す
花のやうな美しいその顔を



 
 
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こども風土記 柳田國男(8)

今日は柳田國男の「こども風土記」その8を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
柳田國男の本を読んでいると、なんだかすごい言葉が出て来る。だれも使わない言葉があったりするんです。500冊ほどの辞書のどれにも載ってない文字がありました。おそらく国会図書館に所蔵された専門書になら、使われなくなった方言の意味が載っていると思うんですけど、ネット上にはこの言葉を使っている人が誰も居ない。
 
 
たった100年ほど前の田舎のできごとのはずなんですが、ネット上ではその正体を掴めなくなっている。柳田國男は、消えてゆきそうになっている日本人の習俗を書き残して、本にまとめたんだなあと思いました。限界芸術という言葉を聞いたことがあるんですけど、柳田の記しているのは、記録と記憶の限界の領域だなと思いました。ここから先はもう、なにも文字になっていない、ことばが消える寸前の領域を垣間見たように思いました。この記述が印象に残りました。
 

オシラサマという木の神は、ある土地ではぬのおおうた単なる棒であり、また他の土地では、その木の頭に眼鼻口だけを描いてある。そうしてこれをカギボトケという名などもまだ時々は記憶せられている。
 
 

 
 
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