レ・ミゼラブル(18) ユーゴー

今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第三部 マリユス』
『第二編 大市民』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、第三部第一編にて、パリの浮浪少年が登場しました。第三部の主人公はマリユスという青年なのですが、これがじつは作家ユーゴーをモデルとしたものなんだそうです。つまり第三部から自伝っぽく読めるようです。ユーゴーは自身の幼いころを「小さな人間」として描き始めます。フランスはパリーと言う坩堝に生きる、快活なこども。窃盗と酒と暴言が蔓延する都市で少年は泥の中の真珠のように潔白である、とユーゴーは述べます。
 
 
この坩堝としてのパリーを生きる幼きユーゴー少年「マリユス」の登場する、第三部の始まり方というのがなんともいえない勢いを感じるのであります。ユーゴーはパリを追放されながら、パリを愛してそれを物語に描いている。パリから離れるほどにそれへの愛がつのるようです。ユーゴーの少し後の時代に生きた哲学者ニーチェは、優れた人の人生についてを、まずはどんな重荷をも背負うラクダに例え、次にどのような束縛からも自由である獅子に生まれ変わる必然性を説き、そして最後にはその勇猛な獅子から無垢のものである赤ん坊へと生まれ変わるという、ラクダから獅子そして赤子という道程を説いたのでありますが、ユーゴーの物語にも、このあらゆる重荷を背負うラクダと、何からも自由な獅子と、そうして無垢な子どもらが描かれているのであります。
 
 
19世紀パリの浮浪少年にとって、芝居小屋がなによりもの蠱惑的な世界なんです。ラブレーのごとき詩人である浮浪少年。少年はなにごとにも笑いだそうとしている。この少年はやがて哲人となるのか、あるいはバカとなるのか、とヴィクトル・ユゴーは記します。孤立した少年は必ず世の不徳に捲き込まるるままに投げだされて打ち捨てられる。しかしパリーの浮浪少年だけは、いかにも摩滅され痛められてはいるが、内部においてはほとんど純然たるままである、とユーゴーは述べるのです。混沌としたその都市だけは、無垢なるものを無垢なるままに遊ばせ続けるのです。都市が無垢なる魂を保存する。ユーゴーはパリーの浮浪少年に、文学や美術を与えよと述べています。
 



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ちょっとこれまでのあらすじを全部、wikipediaの解説文から引用しておきます。
 

    1815年10月のある日、75歳になったディーニュのミリエル司教の司教館を、ひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、二本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年の持っていた銀貨40スーを結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。

    1819年、ヴァルジャンはモントルイユ=シュル=メールで『マドレーヌ』と名乗り、黒いガラス玉および模造宝石の産業を興して成功をおさめていた。さらに、その善良な人柄と言動が人々に高く評価され、この街の市長になっていた。彼の営む工場では、1年ほど前からひとりの女性が働いていた。彼女の名前はファンティーヌ。パリから故郷のこの街に戻った彼女は、3歳になる娘をモンフェルメイユのテナルディエ夫妻に預け、女工として働いていた。

    しかし、それから4年後の1823年1月、売春婦に身を落としたファンティーヌは、あるいざこざがきっかけでヴァルジャンに救われる。病に倒れた彼女の窮状を調べた彼は、彼女の娘コゼットを連れて帰ることを約束する。実は、テナルディエは「コゼットの養育費」と称し、様々な理由をつけてはファンティーヌから金を請求していた。それが今では100フランの借金となって、彼女の肩に重くのしかかっていた。

    だが、モンフェルメイユへ行こうとした矢先、ヴァルジャンは、自分と間違えられて逮捕された男シャンマティユーのことを私服警官ジャヴェールから聞かされる。葛藤の末、シャンマティユーを救うことを優先し、自身の正体を世間に公表する。結果、プティ・ジェルヴェから金40スーを盗んだ罪でジャヴェールに逮捕される。終身徒刑(=終身刑)の判決を受けて監獄へ向かう途中、軍艦オリオン号から落ちそうになった水兵を助け、海に転落。通算5度目となる脱獄を図る。

    そして、1823年のクリスマス・イヴの夜。今は亡きファンティーヌとの約束を果たすためモンフェルメイユにやって来たヴァルジャンは、村はずれの泉でコゼットに出会う。当時、コゼットは8歳であったにも関わらず、テナルディエ夫妻の営む宿屋で女中としてただ働きさせられている上に夫妻から虐待され、娘たちからも軽蔑されていた。ヴァルジャンは静かな怒りをおぼえ、テナルディエの要求どおり1500フランを払い、クリスマスの日にコゼットを奪還する。

    道中、後を追ってきたテナルディエを牽制したヴァルジャンは、コゼットを連れてそのままパリへ逃亡する。パリに赴任していたジャヴェールら警察の追っ手をかいくぐり、フォーシュルヴァン爺さんの協力を得たふたりは、ル・プティ・ピクピュス修道院で暮らし始める。母のことをあまり覚えていないコゼットは、ヴァルジャンを父として、また友達として心の底から慕い、愛し続ける。ヴァルジャン自身もコゼットを娘として、あらゆるたぐいの愛情を捧げる絶対的な存在として、彼女にまごころからの愛を注ぎ続ける。
 
 
以上が第一部と第二部のあらすじであります。






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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  
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レ・ミゼラブル(17) ユーゴー

 
今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第三部 マリユス』
『第一編 パリーの微分子』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、第二部コゼットの最終話にて、ジャンヴァルジャン(マドレーヌ氏)が修道院の高い壁を越えて避難してきたわけなんですが、それを助けたのがフォーシュルヴァン爺さんで、この人はかつては自分自身がトクをするような生き方が好きで、利己的に生きてきたのでありますが、歳をとって生活にかなりの目処が立ってくるようになると他人の役に立つことが面白いと感じるようになって利他の喜びというものに目覚めるようになったのであります。フォーシュルヴァン爺さんは、ジャンとコゼットをかくまいます。
 
 
死者を弔うために、この修道院から棺が出棺されます。また街の墓地ではすでに修道院に密かに身を隠しているマドレーヌの棺までもが埋葬された。コゼットをこの修道院に正式に保護させるため、いったん不法に立ち入った修道院を出て、そうして正面から入り直すということをするのであります。正しく亡命するとでも言うような、そういう事態が展開します。


ジャンは亡命者として、自分がいったん生きたまま棺に入り、身を隠したまま危機を逃れるというアイディアを提示し、これを実行します。ジャンが棺に入り、それは事情を知らぬ人々の手によって墓地へと運ばれます。ここら辺の展開は、往年のハリウッド映画のような緊張感があります。ジャンは暗闇の中で、自身を包み込む棺が墓地に掘られた穴の、その土の底へと着地する瞬間を耳で聞き取ります。すごい瞬間ですね。
 
 
当初の計画では、フォーシュルヴァン爺さんが馴染みの墓掘り人を酒場へ誘って、棺に土をかけて埋めてゆく仕事を後回しにさせる計画だった。死者への祈りが終わり、墓場から皆が立ち去った瞬間に、ジャンヴァルジャンは一人棺から生還する予定だった。ところが、この馴染みの墓掘り人というのが、この計画を実行に移す寸前に亡くなっていた。
 
 
死者を送り出す祈りの言葉を聞き、人々が去る気配を探り、静まりかえった墓地の中で、いざ暗い穴の底から脱出を試みようとしたジャンは、自分の棺にどさりと土をかけられる音を聞き、衝撃のあまり気を失ってしまいます。
 
 
事情を知らない墓掘り人をなんとか説き伏せて土で埋めるのを止めさせ墓場から引き離し、フォーシュルヴァン爺さんはなんとかジャンを墓地の穴から救いだすのですが、はんぶん生き埋めとなっていた主人公ジャンヴァルジャンは、棺の中で死んだように凍りついていたのでした。ジャンが墓の中から蘇生するシーンというのはなんとも言えぬ神秘性が漂う、そういう描写でした。
 
 
こうして不法に侵入してしまった修道院を出て、そうして正門からまた入る、という亡命劇は幕を閉じます。無事ジャンヴァルジャンと幼子コゼットは、修道院に迎え入れられるのでした。
 
 
ジャン・ヴァルジャンは再び名前を変え、爺さんの弟ユルティム・フォーシュルヴァンとして生きるのであります。
 
 
コゼットは純粋な幼子であったので、すっかり自分の父が、この育ての親ジャンヴァルジャンであることを信じているのであります。コゼットは無事修道院での暮らしに馴染むようになります。ジャンは修道院の庭師として生きるのであります。そうして修道院の厳しい躾のもと暮らすコゼットを見つめながら、ジャンは幼い頃に居た牢獄と、今のこの修道院での厳しい日々とを比べてみもするのでした。一方は冒涜を尽くした男たちの監獄。一方は純潔であるがゆえそこから出ることの無い女たちの修道院。ユゴーは監獄を「暗黒」と表現し、修道院を「影」と記します。これは明るみに満ちた影である、とユゴーは述べるのです。前者は鎖に繋がれるよりほかない。後者は自ら信じることによって繋がれている。両者には共通項がある。それは贖罪のためにそこに居るという共通項です。ジャンはこのことをこう考えます。なんの罪も無い彼女らが罪をあがなっている。いったいなんの罪をあがなっているのか。それはおそらく、他者のための贖罪にちがいない、とジャンは考えます。人々の罪を許すために、修道女たちは日々祈りをささげているのであります。この修道院は、若き日のジャンがミリエル司教から救われたように、再び彼を苦難から救いだしたのでした。
 
 


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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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レ・ミゼラブル(16) ユーゴー

 
今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第二部 コゼット』
『第八編 墓地は与えらるるものを受納す』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、ユーゴーはこのように語りました。あらゆる宗教は、人間によって無窮なるものの上に適用され、仮定されたものである。「無窮なるもの」というのはつまり永遠性のもののことです。宗教には醜悪な面がたしかにあり、禁欲的で閉鎖的な修道院の腐敗性は明らかなのだが、人がこの無窮なるものを感ずる時、その者は尊敬の念を感じずには居られない。ユーゴーは、禁欲的組織はイカンよと言うようなことを語っております。ややニーチェのキリスト教批判と共通しているところがあるなあと思いました。ニーチェはキリスト教の権威を厳しく批判したのですが、そのニーチェが思想の土台としたのが、過去に囚われる権威ではなく「大地に忠実に生きる」ということそのものでした。
 
 
ところで、ユーゴーは「民主主義の偉大さは、なにものをも否定しないことにある」と明言するのですが、これはショックでした。てっきりぼくは民主主義というのは「権力を批判して良い」と言うことだと思っていたのですが、たしかに健全な民主主義というのは「ある思想に反する概念を規制はしても、取り返しのつかないような全否定はしない」という状態によって確立されているわけで、ユーゴーの思想になんとも目からウロコが落ちる思いがしました。ユーゴーは、人類のあらゆる生を肯定する思想を持とうとしている、ということが判る記述だと思います。同じ19世紀にキリスト教を厳しく批判したのは哲学者ニーチェなんですが、ちょっとそのニーチェの哲学について紹介してみます。ニーチェはこんなことを書いています。
 
 
あなたがたはこれまでに、ひとつの歓びを「然り」と言って肯定したことがあるか? おお、わが友たちよ、もしそうなら、そのときあなた方は、一切の悲しみにも「然り」を言ったのだ。あわれ、一切の事物は鎖でひとつに繋ぎ合わされ、愛情の糸で結ばれている。
 
 
そうして、神による動機づけや目的を剥奪され、厳しい現実に向かい合うこととなったものに対して、哲学者ニーチェは「かつて信じていたもの無しに」どう生きるべきかを、こう解きます。


いいか、わたしはあなた方に超人を教えよう! 超人とは、大地の意義である。あなた方の意志が、超人こそ大地の意義であれ、と言わんことを! わたしは、あなた方に切望する、わが兄弟たちよ、大地に忠実であれ、と。
 
 
哲学者ニーチェは宗教的精神に明確に表出してくる「永遠」についてこう語っています。
 
 
あなた方、永遠なる者たちよ、永遠に、不断に永遠を愛することだ。そしてまた、悲しみにもこう言うが良い。「過ぎ去れ、しかしまた戻って来い!」と。なぜならすべての歓びは、永遠を欲するからだ!
 
 
ユーゴーは、静観し沈黙する人々を愛し、なにかを信じるということそのものについてを称揚しています。
 
 


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レ・ミゼラブル(15) ユーゴー

 
 
今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第二部 コゼット』
『第七編 余談』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、プティー・ピクプュスという修道院に避難したジャンヴァルジャンとコゼット。前回はこのプティー・ピクプュスの修道院の歴史が語られました。かつてそこでは敬虔な修道女が神に祈りをささげてきたのであります。そこでは所有欲というものが存在していない。私物に見えるもののすべては「私どものもの」として共有されている。そこではこのような会話が繰り広げられています。
 
 
「祭壇の聖体に賞讃と礼拝とがありまするよう」
「永遠に」
 
 
この、「永遠に」という言葉が修道女たちの日々の支えの言葉となっておるのであります。彼女たちにとってキリストは永遠の存在なのであります。修道院では訪れてくる者は「アヴェ・マリア」と言い、これに答えて「グラティア・プレナ」と言う。これは「めでたしマリアよ恵まるる者よ」という意味です。
 
 
コップを壊してしまったり、音符を弾きそこなったりするといったちょっとした過失を行うと、修道女たちは「報罪」をなすのです。「われらの母」たる院長のまえで平伏し礼拝するという行いですね。宗教上の、きびしい躾けがあるようです。ここには孤児をはじめとした幼子も居るのであります。陰気な四壁の中で、子どもの無垢な声だけは明るく響きます。
 
 
あまりに簡素で厳しすぎる規則のため、ある公爵夫人などはこの修道院の寄宿舎に泊まる時に、梨を寝床の枕にそっと隠して、深夜にこれをそっと食べることが唯一の楽しみだったと書き記しています。牢獄か何かのように厳しいところがある修道院なのです。
 
 
この修道院には、奇妙な噂というのがあるのです。それは、アルベルティーヌ夫人についてなのですが、この人は世間ではもう死んでいるという扱いになっているそうなのです。そして、いつも一言も口をきかず歩くと言うよりも浮遊するように歩くので、「あの人は、もう死んでいるのかもしれませんわ」というちょっとした悪い噂を立てられたりするのであります。このアルベルティーヌ夫人の出生の秘密はだれも知ることのできない謎であったのです。修道女にとっては、男の牧師を見ることが禁じられているのですが(すごい規律ですね)、ある日沈黙を貫くアルベルティーヌ夫人はローアンという牧師を見て、思わずこう叫びます。「まあオーギュスト」たしかにローアンという牧師さんの呼び名はオーギュストだった。
 
 
このローアン牧師、なかなかの美男子で、そして良い声で話すのであります。10代の娘たちが恋の妄想をするのにうってつけの若者なのでありました。この修道院では、さまざまな人が訪れる。「百歳の女」という方も登場します。しかし時代の流れと共に、この修道院も衰退の日がやって来ます。老いも若きもこの修道院を飛び去っていった。1845年頃の出来事であります。どうもここらへんの修道院の描写は、完全なる実話のようであります。ユーゴーはこの修道院の盛衰を通して、こう記します。
 
 

     十九世紀において、宗教的観念は危機を閲している。人はある種のことを学んでいない。けれども、一を学ばずとも他を学びさえするならば、それも別にさしつかえない。ただ人の心のうちに空虚を在してはいけない。またある種の破壊がなされている。ただ、破壊の後に建設がきさえするならば
 
 
人々の状況を丁寧に描いていって、最後にこの意見。かっこいいなあと思います。
 
 


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レ・ミゼラブル(14) ユーゴー

今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第二部 コゼット』
『第六編 プティー・ピクプュス』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、ナポレオン3世の王政復古に反対したがため追放され、都市パリからさようならをした作者ビクトル・ユーゴーは、数年前に去ったパリを懐かしみながら物語を書き記しています。母の面影のようにパリを思い出す作者は、物語の主人公ジャンパルジャンと少女コゼットの逃亡劇を描くのであります。ジャンはいったい自分がどこを歩いているのか、判らなかった。ジャンヴァルジャンの追っ手が現れます。ジャヴェルとその手下の四人です。ジャンヴァルジャンには、聖者の考えと囚人としての技術のこの2つが備わっていて、追っ手の追跡をかわすのです。ジャンは刑務所から逃げると言うことを若い頃に何度も試みていて、この技術が生きてくるのであります。ジャンは7階ほどの高さの壁を手と足のみでよじのぼる、そういう技術を持っているのであります。壁にぶつかって文字通りそれを乗り越えてしまう男、ジャンヴァルジャン。
 
 
このあたりの描写はまさに、作者ユーゴーが民主化に逆行するナポレオン三世を厳しく批判し、それが原因でパリを追われ、文学にて復活を目指すという姿と響き合っている部分があると思います。親鸞もお上に逆らって追放をされたことがありますし、こういう「いったん退く」ということと「正直である」というのはなんだか良い組み合わせなのかもしれません。幼いころから両親と離ればなれであったコゼットは、彼女の身を守るジャンのことを「お父さん」と呼ぶのです。ジャンが壁を越えて立ち入った建物は、偶然にもかつての知人フォーシェルヴァン老人の住んでいるプティーピクプュスの修道院でした。
 
 
ところで、追っ手のジャヴェルは、てっきりジャンヴァルジャンがもう死んでしまっていると思っていたのです。ジャンヴァルジャンがほどこしをする乞食と言われていた頃、ジャヴェルは暗闇の中で彼と遭遇しているのですが、はっきりとは確信が持てず、すぐには手を出せなかった。ジャヴェルがジャンのかつての隠れ家に立ち入った時には、もうすでにジャンはその隠れ家をあとにしていたのです。
 
 


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レ・ミゼラブル(13) ユーゴー

 
今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第二部 コゼット』
『第五編 暗がりの追跡に無言の一組』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、ゴルボー屋敷というのが登場しました。ゴルボーという名の由来は、ラ・フォンティーヌという詩人が書いた童話の「カラスのゴルボー」からとった名前だそうです。そこにジャン・バルジャンと幼子コゼットが立ち入り、暮らしはじめます。
 
 
亡命生活の気配が濃厚な物語になってゆきますが、これがなぜかというと、作者のユーゴー自身が政府を厳しく批判して国外追放の刑に処され、長いあいだ亡命生活を余儀なくされていたからなんです。ユーゴーは民主主義と人権尊重を強く主張した作家ですから、ナポレオン3世による帝政復活に激しく対立したんです。それで
1851年12月2日のクーデター以降のフランス第二帝政の時代には、ナポレオン3世のもとで言論や出版の自由などが規制されたりしていて、ずっとパリから亡命していた。投獄されるよりも遙かにマシですが、時の権力者から追放を命じられての亡命生活というのはそうとうしんどいことだと思います。ユーゴーはもともとパリに住み「ノートルダム・ド・パリ」などを描いた作家ですが、そこから19年間もの長き間追放されてしまう。イギリス海峡にほど近いガーンジー島に暮らし、そこで本格的な作家生活をするようになる。日本で言ったら、原発と政府に激しく反発し、沖縄に移住する感じでしょうか。
 
 
ジャンバルジャンにはややロリータコンプレックスの気配があります。ジャンの幼い頃の貧しい記憶と、コゼットの母親についての記憶が混じりあって、幼子を正しく育てたいという情熱へ結びついています。
 

ユーゴーはこのように書きます。

 

     そして彼は前夜のようにコゼットの顔をながめはじめた。その目つきには喜びの情があふれて、親切と情愛との表われは今にもはち切れそうであった。小娘の方は極端な強さか極端な弱さかにのみ属する心許した静安さをもって、だれといっしょにいるのかも知らないで熟睡し、どこにいるのかも知らないで眠り続けていた。ジャン・ヴァルジャンは身をかがめて、子供の手に脣をあてた。九カ月前には、永の眠りについたその母親の手に彼は脣を当てたのであった。その時と同じような悲しい痛切な敬虔な感情が、今彼の心にいっぱいになった。彼はコゼットの寝台のそばにひざまずいた。


ジャンバルジャンは、子どもはまず自由であることが大切であると考えているようです。ジャンはかつて25年間誰をも愛したことが無く、そうして孤立していました。かつての家族との記憶も、その家族が探し出せないことが判ると、あるべき青春の思い出とともに、深遠のうちに消滅してしまったのでした。
 
 
かつてジャンは、ミリエル司教という人から、生まれてはじめて誠実さというものを学びました。そうして今度はコゼットという幼子から、愛の必然性を学ぶのです。ジャンは幼子に、ものを読むその方法と、そうして遊ぶことの大切さを教えるのでした。
 
 
第一部では、身元を隠しマドレーヌと名乗って、商売と治世に夢中だったジャンバルジャンだったのですが、今回は多くの資産を手元に置き、ひっそりと暮らすことを生活の基本としており、町では貧しい身なりで歩くためにときおり女たちから小銭のほどこしを受け、そうして不幸な者に出会うとジャンは銀貨を密かに与えることが多かったので「施しをする乞食」と呼ばれているのでした。
 
 



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レ・ミゼラブル(12) ユーゴー

 
今日はビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル 第二部 コゼット』
『第四編 ゴルボー屋敷』を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
前回、モンフェルメイュでの水汲みをしていたこの物語の2番目の主人公コゼットが、テナルディエという悪い男にこき使われていたのでした。テナルディエ夫人がコゼットをこき使う姿はあたかも鬼婆のようであった、と記されています。児童は、これを酷使してはならないのであります。子どもを困らせ、それを改めないような大人はイカンのであります。
 
 
テナルディエというのは、作者ユーゴーによれば、悪しき男なのであります。支配的な世の善に抵抗する意思を持つような、迫力のある悪人では無いんです。狡猾で、嫉妬深く、罪を人になすりつけてばかりの、たちの悪いやつなのでありました。鬼のような夫人と、テナルディエとに二重の責め苦を受けるコゼットは、常に怯えながら仕事をやりおおすのでした。コゼットは水汲みや掃除洗濯など、暮らしのすべてをつかさどる仕事をしているのです。ユーゴーはこの架空の登場人物コゼットに対して、こう記します。
 
 

    あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた。

 
 
 「あわれ」という言葉には「共感する」という意味が込められてあって、それは「悲しい女」と述べる時と明確な違いがあるそうなのです。辞書を調べてみると、広辞苑には「あわれ」がこう記されています。
 

3.心に愛着を感ずるさま。いとしく思うさま。
源氏物語(空蝉)「この人の何心なく若やかなるけはひも、あはれなれば」
源氏物語(帚木)「下臈に侍りし時、あはれと思ふ人侍りき」

6.気の毒なさま。かわいそう。
源氏物語桐壺「命婦は、まだ大殿ごもらせ給はざりけるをあはれに見奉る」

7.悲しいさま。はかないさま。さびしいさま。
源氏物語桐壺「かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし」

 
 
また、《感動、愛情、人情、情趣、悲哀》を意味したり、《ものに感動して発する声》であったり、《ああなんとかして。ぜひとも》という意味で使われることもあります。レ・ミゼラブルとはまったく別のことを書きますが、さいきん、「もののあはれ」ってなんなのか少し調べてみたので、メモしておきます。「かなし」と「あはれ」には大きな違いがある。本居宣長は「もののあはれ」というのが、日本文学の要点である、と述べています。「もののあはれ」というのは、折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁のことです。「ああっ」と思う瞬間のこと。
 
本居宣長を研究した学者の大野晋氏の「源氏物語のもののあはれ」にはこう記されています。

アハレといえば、「気色」にせよ「けはひ」にせよ「さま」にせよ、その対象が現に存在している。場合によっては、対象は道端の行き倒れの人でもある。それを外から見ている。そこに生じてくる気持ちである。そして、対象を目で見ているだけではなく、基本的に対象に心の底の共感を抱いている。



 
和辻哲郎はこう書いていますよ。

「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ。…「物のあはれ」とは、それ自身に、限りなく純化され浄化されよとする傾向を持った、無限性の感情である。すなわち我々のうちにあって我々を根源に帰らせようとする根源自身の働きの一つである。


とても神秘的な表現ですね。永遠の根源への「思慕」のことを、「もののあはれ」と言う。
 
 
文学者や思想家によれば、この「あはれ」と「かなし」の違いを感ずることで、文学理解が深まる可能性がある、と指摘されています。
 
 
ぼくがまず理解したのは「かなし」というのは大きなへだたりがある歎きのことで、「あはれ」というのは対象との距離が近くて、思慕の念や共鳴というのが起きている。
 
 
「あはれ」と「かなし」の違いは、現代語にも伝承されていて「悲しい」というのは、そのつらい出来事に対してもはや何もしてやれることが無い時に言う。「逢えなくて悲しい」と思うのは、それは対象と距離が出来てしまっていることからくる歎きです。大きな距離が出来てしまって「かなし」と感ずる。いっぽうで、幼い子が苦しんでいるのを見て、ぼくたちはそれを「あわれ」だと感じる可能性がある。それは、その幼子に対して、何かしてやれることがあるはずだと心の奥底で感じているから、思いが共鳴して「あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた」という記述になるのです。
 
 
つらかろう、と思う時に、自分の過去や未来と照らしあわせて、自分の苦と響き合って、「あはれ」という記述になるのです。ですから、《第二部 第三編 死者への約束の履行》において、この作者のユーゴーや、翻訳者の豊島与志雄は、この架空の登場人物コゼットに対して、愛しく思ったり、なんとかしてやりたい、状況を変えてやろうと思いながら「あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた」という文章を書き記しているんです。
 
 
このレ・ミゼラブルは、「あはれ」や「かなし」といった苦の描写と、明るく知性的なおもむきを伝える「をかし」の両方がバランス良く物語に編み込まれていっているように思います。
 
 


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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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