竜潭譚 泉鏡花

今日は泉鏡花の「竜潭譚」(りゅうたんだん)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。

躑躅(つつじ)の花と遊ぶ子どもの姿が描き出されています。この物語は普段古典を読み慣れていないぼくにはちょっと読みにくいものだと感じたのですが、しばらく読んでいるとむしろこの文体が読みやすく感じるようになりました。この小説はやや難読の文体なので、あらかじめストーリーを知ってから読んだほうが良いかと思います。やや長いですが、物語全体を紹介してみようと思います。
 
 
ちさと、という少年がこの物語の主人公です。ちさとは、幼い頃に神隠しに遭うんです。躑躅の花が咲き誇る坂道を歩く少年。幼子は自然界のあまりの美しさに息をのんでいます。本文を引用しますね。
 
 
  ゆふ日あざやかにぱつと茜(あかね)さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅(くれない)の雪の降積めるかと疑はる。
 
 
そこに、五彩の耀きを放つ美しい虫がいる。少年はこれが毒虫であると気付くのですが獣のようにこれを追って自然の中へと分け入ってゆく。そこから見知らぬ領域へと入りはじめる。泉鏡花は、自然界を厳かなものとして描き出しています。人の知性とか人工組織よりも、遙かに優れたものとして自然のありさまを描き出している。自然の使者であるところの毒虫を殺した少年は、この鴻大な自然の中で迷い、帰り道を見失います。本文を引用します。
 
 
  われは涙の声たかく、あるほど声を絞りて姉をもとめぬ。一たび二たび三たびして、こたへやすると耳を澄せば、遥に滝の音聞えたり。
 
 
滝の音に混じって、遊ぶものの声が聞こえる。これに引きよせられて、少年は神社に辿りつく。神社を見つければもう自分の家は近いだろうと、幼子はほっと息をもらします。
 
 
  かくてわれ踏迷(ふみまよ)ひたる紅(くれない)の雪のなかをばのがれつ。
 
 
さっき泣きながら姉を呼んでいた自分自身が気恥ずかしくて、少年は見知らぬ神社の境内で一人たたずんでいます。童たちが少年のすぐそばで遊んでいる。彼ら童は貧しき者たちである。自分のムラでは貧しい人間は無視しろと教えられてきたのだが、今いる村ではどうもその貧しき者たちが尊ばれている。少年は童たちと遊ぼうとし、隠れん坊をするのですが、とたんにあたりはひっそりとする。
 
 
  声したる方(かた)をと思ふ処(ところ)には誰(たれ)もをらず。ここかしこさがしたれど人らしきものあらざりき。
 
 
そして少年は、うつくしい人に出逢います。うつくしい人は幼子を呼びます。少年はこの人に連れられてゆくのです。
 
 
  何処(いずく)より来(きた)りしとも見えず、暗うなりたる境内の、うつくしく掃(は)いたる土のひろびろと灰色なせるに際立ちて、顔の色白く、うつくしき人、いつかわが傍(かたわら)にゐて、うつむきざまにわれをば見き。極めて丈高(たけたか)き女なりし、その手を懐(ふところ)にして肩を垂れたり。優しきこゑにて、
「こちらへおいで。こちら。」
といひて前(さき)に立ちて導きたり。

 
 
神社と山とのあわい、というのを見たことがあるでしょうか。人の住処と、自然のままの領域とが入り交じって、境界線が溶けてしまった場に、少年は連れてゆかれます。そこに小暗い穴がある。うつくしい人はその穴をそっと目配せして教えている。その瞳がまるで自然そのものを映し込んだかのように潤んでいる。
 
 
  瞳(ひとみ)は水のしたたるばかり斜(ななめ)にわが顔を見て動けるほどに、あきらかにその心ぞ読まれたる。さればいささかもためらはで、つかつかと社(やしろ)の裏をのぞき込む、鼻うつばかり冷たき風あり。
 
 
 あたりは暗がりに包まれている。少年は、落葉や朽ちた葉や腐葉土がうずたかく積み上がった大地を見る。
 
 
  身の毛よだちて、思はず呀(あなや)と叫びぬ。
 
 
 女は自然のありさまを少年にまざまざと見せて去った。少年はその深奥を覗き見たように思い、足を震わせ、立ちすくみ、息をひそめて、茫然とした。哲学上の停滞、とでも言うのでしょうか。静止衝動、あるいは一つの瞬間が永遠にくり返すような、そういう瞬間を、少年は体感した。そうしてそれはとほうもなく美しかった。美しい異性と自然との記憶がない交ぜとなって、少年の心に焼き付いた。幼子は「きっとあの人はぼくを助けようとして、ここに隠したんだ」と想像する。
 
 
  さきの女(ひと)のうつくしかりし顔、優(やさし)かりし眼を忘れず。
 
 
少年は村人たちが探しに来たのに、なぜだか出てゆこうとしない。姉が呼ぶ声が聞こえてくる。なぜだか少年は助けを呼べずにいた。姉さえも疑うようになってしまったのだ。ああ、あわれ、あらゆるものが怪しく感じられ迷うのは、眼を曇らせる何かに心をさえぎられているからであろう。少年は姉に出逢うが、姉は逃げ去ってゆく。
 
 
  あはれさまざまのものの怪(あや)しきは、すべてわが眼(まなこ)のいかにかせし作用なるべし、さらずば涙にくもりしや、術こそありけれ、かなたなる御手洗(みたらし)にて清めてみばやと寄りぬ。

 
 
  漫々たる水面やみのなかに銀河の如く横(よこた)はりて、黒き、恐しき森四方をかこめる、大沼(おおぬま)とも覚しきが、前途(ゆくて)を塞(ふさ)ぐと覚ゆる蘆(あし)の葉の繁きがなかにわが身体(からだ)倒れたる、あとは知らず。
 
 
眼を覚ますと、少年は柔らかい布団に包まれていた。そこに美しい人が生まれたままの姿でいた。
 
 
  眼のふち清々しく、涼しき薫つよく薫ると心着く、身は柔かき蒲団の上に臥したり。やや枕をもたげて見る、竹縁の障子あけ放して、庭つづきに向ひなる山懐に、緑の草の、ぬれ色青く生茂りつ。その半腹にかかりある厳角の苔のなめらかなるに、一挺はだか蝋に灯ともしたる灯影すずしく、筧の水むくむくと湧きて玉ちるあたりに盥を据ゑて、うつくしく髪結うたる女の、身に一糸もかけで、むかうざまにひたりてゐたり。
 
 
性と自然の二つが、みごとに融合した描写が続きます。
 
 
  「気分は癒(なお)つたかい、坊や。」といひて頭(こうべ)を傾けぬ。
 
 
うつくしい人は、幼子を看護しながらこう言います。
 
 
  「お前あれは斑猫(はんみよう)といつて大変な毒虫なの。もう可(い)いね、まるでかはつたやうにうつくしくなつた、あれでは姉様(ねえさん)が見違へるのも無理はないのだもの。」
 
 
うつくしい人に言われるとおりに頷いて、幼子は話を聞きます。
 
 
  「ぢつとしておいで、あんばいがわるいのだから、落着いて、ね、気をしづめるのだよ、可(い)いかい。」
 
 
うつくしい人は、幼子に添い寝します。幼子にいくつかのおとぎ話を話して聞かせると、幼子はもうひとつ、もうひとつとせがむ。
 
 
  背に手をかけ引寄(ひきよ)せて、玉(たま)の如きその乳房(ちぶさ)をふくませたまひぬ。
 
 
幼子の最愛の人は三年前に亡くなったのです。
 
 
  母上みまかりたまひてよりこのかた三年(みとせ)を経(へ)つ。
 
 
うつくしい人は幼子の背をなでる。外は強い風が吹いている。
 
 
  軽く背(せな)をさすられて、われ現(うつつ)になる時、屋(や)の棟(むね)、天井の上と覚(おぼ)し、凄(すさ)まじき音してしばらくは鳴りも止(や)まず。
 
 
幼子は外界を怖がるが、それは怖いものでは無いのだよ、と教える。
 
 
  「何が来てももう恐くはない。安心してお寝よ。」とのたまふ
 
 
うつくしい人はすやすやと寝入っている。幼子も柔らかい布団につつまれていた。幼子は同じふとんの中で、この人に触れたいと思う。このあたりの描写は、性と生のありさまをみごとに活写していて読み応えがあります。守り刀と血の描写もあり、処女の流す血か、胎児の血かなにかを暗示させているようですが、じつはうつくしい人の赤くほてった肌の、鮮やかな色なのです。ぼくはこの泉鏡花の温かいまなざしがどうしても忘れがたい。
 
 
  その血汐にはぬれもこそせね、こころづきて見定むれば、かいやりし夜のものあらはになりて、すずしの絹をすきて見ゆるその膚(はだ)にまとひたまひし紅(くれない)の色なりける。
 
 
幼子は喪失感を抱きながら、目を覚まします。すると空は青く高く晴れわたっていて、木も草も一切が、幼子を包み込むようにしてある。幼子はもう、もと来た本来の道へと帰ってゆくのです。力強い老翁が、幼子を道案内します。うしろでは、うつくしい人が見守っている。幼子の胸中を、すべて見透しているうつくしい人へはもう、なにも言わずともよかった。
 
 
  松柏(まつかしわ)のなかを行(ゆ)く処(ところ)もありき。きき知らぬ鳥うたへり。褐色なる獣(けもの)ありて、をりをり叢(くさむら)に躍(おど)り入りたり。
 
 
幼子は老翁と共に小舟に乗ります。うつくしい人は笑みを見せて、彼を旅立たせます。
 
 
  うつくしき顔の臈(ろう)たけたるが莞爾(につこ)とあでやかに笑(え)みたまひしが、そののちは見えざりき。
 
 
「泣くな、もうすぐ、おまえの家に辿りつく」と、老翁は幼子を励まします。幼子はついに、平生の暮らしへと帰りつきます。村人や医者や叔父や姉が幼子と再会し、神隠しの物語は完結します。姉は言います。
 
 
  「ちさや、どうぞ気をたしかにもつておくれ。もう姉様(ねえさん)はどうしようね。お前、私だよ。姉さんだよ。ね、わかるだらう、私だよ。」といきつくづくぢつとわが顔をみまもりたまふ、涙痕(るいこん)したたるばかりなり。
 
 
幼子は閉じ込められ、大人たちからあらゆることを言われ、怪しまれ、たべものも怪しく思われのどを通らず、不安な日々を過ごします。そして村に暴風雨が襲い、雷鳴が轟きます。
 
 
  すさまじき暴風雨(あらし)なりしかな。この谷もと薬研(やげん)の如き形したりきとぞ。
 
 
人々は洪水について憂慮し、堤防を作りあげたのです。自然の猛威を認め、驕りを捨て去った人々が、生きるための技術を積み上げていった跡にも、草木が生い茂ります。幼子は成長し、船乗りとなって、かつての荒れ狂った自然のことを折に触れて思い出すたびごとに、大地と海の厳かさを心に刻みます。
 
 
  薄暮暗碧(はくぼあんぺき)を湛(たた)へたる淵(ふち)に臨みて粛然(しゆくぜん)とせり。
 
 
 
 


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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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