三四郎 夏目漱石(5)

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今日は夏目漱石の「三四郎」その(5)を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
三四郎は、2人の女性と知り合いになります。漱石は「吾輩は猫である」で、異性の描写にかなり失敗をしていた気がするんですが、「草枕」やこの三四郎では、じつに面白く描いています。第一章の冒頭では、旅先の宿での、男女の不思議な宿泊が描かれていて、主人公が東京についてからは、里美美禰子・野々村よし子との関係が描かれています。
 
 
よし子は絵画をやっている。美禰子は英語を習うのが好きだ。100年前から、都会には優雅な若者が居たんだなあ、と思うんですが、美禰子はじつは両親が居ない。美禰子はどういう収入源を持っているのか、ぼくはまだよく理解していません。とりあえず将来的には結婚をする予定でいるんでしょうか。美禰子がいろんな男とよく話すのは、それはやはり新しい関係が必要だからなんだろうなあ……と思いました。
 
 
おもしろいのが、美禰子に両親が居ないことを、よし子はじつに当然のことだと思っている。美禰子は両親の庇護の元に生きているわけでは無くて、若いのに一人で生きているようなもので、もっと自由な女のようなんです。この章を読んでいて、東京の自由さというか、この幻想というのはもう、100年も前から存在していたんだなと、驚きました。
 
 
100年前に若い女が、東京でどう一人暮らしをしていたのか? ちょっとそこのところを知りたいんですけど、漱石は若者を幻想的というかあっさりと描いているので、あまりこう、日銭に困ってどうとか、貧乏で飯が食えないとかいうことは書かないのでありました。
 
 
迷子になっている幼子が居ると、都会の人々はどうするか、ということこまかな描写はありました。みんな交番に「迷子がいるぞ」と言いにゆくのでした。三四郎は、美禰子となぜか人混みの中で仲間とはぐれて、二人っきりになってしまう。美禰子は草はらの上で休みながら、自分たちは迷子だ、という。
 
 
デジャビュを猛烈に感じる、良いシーンでした。どうしてデジャビュを感じるのかと言えば、おそらく、自分が子どもの頃に愛読した本や、映画やマンガやそういった物語で、きっとそれらの作者がこの三四郎をかつて愛読しておって、自然と作るものがこの漱石の描写をなぞっていて、そこに共通項が出来ていて、すごい既視感を感じたのだろうと思いました。あるいは漱石が、若者の普遍的な体験を描写しているのかもしれないです。
 
 
美禰子が迷える子ストレイ・シープと告げる。このシーンすこぶる良いんですよ。学生の頃に見た奇妙な映画の原典は、きっとここにあるに違いないと思いました。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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