門(6) 夏目漱石

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今日は夏目漱石の『門』その6を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
育ての親がいなくなった小六を、宗助は家にひきとり、奇妙な3人家族がうまれようとしている。主人公宗助と、だいぶ年下の弟である小六と、それから宗助の妻の御米。この三人です。
 
 
鏡にうつった御米の顔色がずいぶん悪いのに、宗助は驚いた。しかし御米はなんでもないのだという。御米は、小六にどうも嫌われているような気がして、そこで悩んでいる。そんなことは気にするなと、宗助が言う。そのやりとりがおもしろかったです。原文こうなんです。
 
 
  「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」
  「論語にそう書いてあって」
  御米はこんな時に、こういう冗談じょうだんを云う女であった。宗助は
  「うん、書いてある」と答えた。それで二人の会話がしまいになった。
 
 
こんかい論語についてはずいぶん、てきとうに書いている漱石なんですが、雨つづきで靴の中や、家の中が濡れてしょうがない、ということについては、妙にリアルに細部まで書いているんです。ここがなんかこう、現代小説っぽいなあーと思いました。
 
 
あんまり本文とは関係無いんですけど、芸術性がどういうところから生じるのかと考えた時に、ぼくは転向してゆくところに、それが生じるんじゃないかなと思ってるんです。漱石は、もともと英語の専門家だった。漢詩や中国語も大好きだった。文部省から言いつかってイギリスに語学の留学までした。語学の学者みたいなところが強かった。そこから、正岡子規の影響を受けて、けっきょく文学創作に入っていった。その転向してゆく過程で、今回のような、論語は扱わないけれども、雨ふりの中の小さな感覚や、古道具屋との屏風を売るやりとりなどの、無駄話のところが、詳細に記されてゆくという文体になっていったんだと思います。変化してゆくところ、変わろうとするところでこう、優れた芸術性というのが生じる……んだろうなあと思いながら読んでいました。
 
 
この門という小説は、やっぱり謎めいていると思いながら読んでいました。本文のここが気になります。
 
 
  宗助は抱一の屏風を弁護すると共に、道具屋をも弁護するような語気をらした。そうしてただ自分だけが弁護にあたいしないもののように感じた。
 
 
いったい、なにが宗助の空白をかたちづくっているんだろうなあ……、と思いつつ読みました。
 
 

 
 
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