与謝野晶子詩歌集(39)

今日は「与謝野晶子詩歌集」その39を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「いづこまで君は帰るとゆふべ野に」という歌が、とても幻想的な展開になっていてすてきでした。詩のほとんどは、鳥が語ったり老翁が語ったり赤ん坊が語ったり、死者が語ったりと、詩の話者が謎めいた他人であることが多いのですが、たまに作者がそのまま登場して作者の言葉として詩が記されていることがあります。今回のは100%与謝野晶子が晶子本人のことを語っています。というのも、詩の中に「晶子」という名が4回も登場するんです。不思議な詩で、今回、与謝野晶子はニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』を読んでいます。wikipediaの記事と同時に読んでみました。
 
 
「アウギユスト」という詩がそこはかとなく美しかったです。歴史的な詩人の詩の中にも、なんとなく描かれた作品と、真に迫るものとで、ずいぶん違いがあるのだなあと思いました。今回の詩篇はとてもお勧めなんです。
 
 

 
 
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喫茶店にて 萩原朔太郎

今日は萩原朔太郎の「喫茶店にて」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
普通に考えると、古い時代の方が過酷で、昔は余裕がなくって、水や食糧をめぐって近場の人々との厳しい対立があったはずだ、と思えるんですけど……萩原朔太郎はこれとかなり正反対のことを書くんです。どうしてそういうことを書くのだろうと、思ったんですけど、萩原は現実の過酷さよりも、心もちのほうを書いている。ちょっと思いだしたんですけど、働きアリってじつはみんながみんな働いてるわけじゃないそうです。ちゃんと食糧調達をやっていて機能して動いているアリはそんなには多くない。20%のアリは遊びほうけてるだけなんだそうです。言葉にも、事実をそのまま写生する機能だけじゃなくって、機能はしない言葉というのがあるように思えました。
 
 
心は、現実の行動から余ったところに位置しているわけで……萩原朔太郎の随筆は短いのにおもしろいなと、詩人って不思議なことを考えるもんだと思いました。
 

巴里の喫茶店で、街路にマロニエの葉の散るのを眺めながら、一杯の葡萄酒で半日も暮してゐるなんてことは、話に聞くだけでも贅沢至極のことである。
 
そういえば3年働いてから会社を辞めて1年間ずっとパリのルーブル美術館に入りびたって、それからまた3年働いたあとにパリに行く、という人が居たのを思いだしました。


 
 
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白痴(47) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その47を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
白痴はあと3回の第50回で完結します。ここから先は完全にネタバレですので、未読の方はこちらから本文のみをお読みください。

 
今回、作中に出てくるゴシップ記事にムイシュキン公爵のことがデタラメに書かれている中で「ムイシュキン公爵は虚無主義である」という大ウソが書かれているんです。むしろ公爵は虚無主義の正反対ですよ。ドストエフスキーは虚無主義というのは否定的に考えていたかもしれない、と思いました。散々な事件から2週間たって、どうもナスターシャとムイシュキン公爵は結婚をするようである。本文こうです。
 

この二週間のあいだ、公爵が幾日も幾晩も、ナスターシャ・フィリッポヴナといっしょに時を過ごした
 
ナスターシャは、いろんなところが破綻しているので幸福にはならないのではないか……と思っていたんですが、どうもこの2週間は、彼女がもっとも望んでいた日々を送れたようです。作中にはこう書いていますよ。

彼女がよく公爵を散歩へ誘ったり、音楽を聞きに連れ出したりしたこと、また公爵は毎日彼女といっしょになって、あっちこっちを幌馬車で乗りまわして、たった一時間でも彼女の姿が見えないとなると、公爵はもうすぐに心配を始めるということ(したがって、すべての様子から推察して、公爵が彼女を心の底から愛していたことがわかる)

ただ、公爵は、同時にアグラーヤにも逢いに出かけていて、親から面会を拒絶され続けている。完了した人間関係、ということをどうも認識できないようです。アグラーヤと結婚したがっていたガーニャはもう、物語から外れてしまっているようで、アグラーヤと上手く話し合いが出来ないままで、もうこれ以上は出てこないのかなと思いました。あの心やさしいコーリャでさえ、公爵の2人の女性に対する態度について、不信感をつのらせている。さまざまな登場人物が、公爵と付きあうことを辞めて行っている。
 
 
公爵とはどういう人なのかというと、作中では「生まれつきの無経験と、ひとかたならぬ純情と、適度という感情の極端な欠乏」からさまざまな事件を引きおこした男、ということになっています。公爵とやや対立した立場の脇役を登場させて、主人公は一体どういう人間なのかを考察してゆく。とくに物語の始まりのところも再び読み解いてゆく。こんなふうに人物像と物語を掘り下げてゆくんだなあと、驚きながら読みすすめていました。主人公がスイスからペテルブルグにやって来た、この小説のいちばんはじめのところを別の視点から読み解いているんです。本文こうです。
 
ちょうど、到着の日に、あなたはさっそく悲しい胸をおどらすような話——はずかしめられた婦人の話を聞かされたのです。相手はあなたという童貞の騎士ナイト、話題は女のこと。その日のうちにあなたはその婦人に会って、その美貌に心を奪われました——幻想的な悪魔的な美に心を奪われました

ここから先の考察が面白かったです。ストーリーのおさらいと新たな眼差しの提示を同時に行って、最後の物語がどう展開しているのかを骨太に見せてゆくのが凄いもんだなあと思いました。

ねえ、公爵、問題はあなたの感情に真実があったか、真理があったかということです。それは単に、あなたの頭の中だけの歓びではなかったか、ということです。

ナスターシャのことについても、いかにも大衆の代表のような態度の脇役が、読み解いてゆきます。

はたしてあの女の行為が、あのお話にならない悪魔のように傲慢な態度や、あのずうずうしい、あの飽くことを知らないエゴイズムを弁護し得るでしょうか?(略)
単なる同情のために、あの女の満足のために、いま一方の高潔な令嬢を汚してもいいものでしょうか?(略)
真底から愛している令嬢を、競争者の前であんなにまではずかしめたうえに、恋がたきの見ているところでその女に鞍がえするなんて、いったい、できることでしょうか?
 
公爵はこういう批評を受けて、自分が悪かったのだと正直に認めるのでした。これで批判者エヴゲニイは憤激する。謝っておきながら改めずに強情なままだと怒るんです。世間的にいえば、公爵は2人の女性を誘惑したふとどきものということになる。それで真相はと言うと……じつは公爵はずっと、はじめから、あの美女ナスターシャの表情から……完全なる狂気というのを読み取っていて、彼女の表情と心を恐ろしいものだと思っていた。そうであるにもかかわらず、ナスターシャと結婚をすると約束をした。どうしてかというと、暴漢ロゴージンとナスターシャが結婚したらきわめて悲惨なことが起きることが明白だったからです。だからムイシュキン公爵はキリストの生き方のように、ナスターシャの抱える苦を受け止めていった。狂っている女を忌み嫌うのでは無く、彼は「僕は心の底からあの人を愛しています! だって、あれは……まるで子供ですものね。今は子供ですよ。まるで子供です!」というのです。
 
 
公爵は自分の周囲の状況ということについては、まったく頭が働かない。2人を同時に愛するのは不可能で、1人しか愛しようが無い、ということにまったく思い至らないんですよ。ここがやっぱり、育ち方を誤ったというか、そういう経験がまったくないから、分からないようなんです。
 
そうだ、僕が悪かったです!すべて僕が悪い、というのがいちばん確かです。はたして何が悪かったのか、それはまだわかりません
 
同時に2人の婚約者を愛するというのは不可能だ……という、これ以外の理由ってあるのでしょうか。
 
 

 
 
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与謝野晶子詩歌集(38)

今日は「与謝野晶子詩歌集」その38を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「みだれ髪」という歌集のなかに「乱れ髪」という言葉がはいっている歌が登場しました。これが……与謝野晶子がもっとも使いたかった言葉なわけで、タイトルに使われている。


琴のというのは音階というか、音の高低を調節するための駒のことで、こういうのです。音色を鳴らす状態にはなっていない琴に、恋でそぞろになっている私(与謝野晶子)の乱れた髪が触れて、奇妙な音を奏でた。歌集「みだれ髪」のなかで、これだと思った歌……なんだと思います。
 
 
それから「光に似た煙だ」という言葉が印象的な……謎めいた詩に魅了されました。

三月みつきおかぬ琴に音たてぬふれしそぞろの宵の乱れ髪


 
 
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草野心平詩集 解説 中原中也

今日は中原中也の「草野心平詩集 解説」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。(原題は草野心平詩集『母岩』です)
 
 
今回は、草野心平の詩集は読めない……のですけど、中原中也が草野心平の詩について語っている文章を読んでみました。(草野心平の本はこちらで買えます
 
 
中原中也のごく短い随筆としても読めるんですけど、草野心平氏が不摂生な生活をしているので、早世してしまわないか心配している。自分の心配をしたほうが良いのに、他人の心配をしている。なんだかすてきな序文でした。ちょっと事実を調べてみると、草野心平氏は1903年の明治生まれで(当時の平均寿命は44歳なのですが)85歳まで生きています。
 
 

 
 
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白痴(46) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その46を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
あと数回で白痴は完結するんですが、ここからどうも大きな事態が起きるようです。これから先は完全にネタバレですので、未読の方はこちらから本文のみをお読みください。公爵はこう考えます。

心のうちには、今日という今日、自分の身に、何かしら特殊な、最後の運命を決すべきほどの事が起こるであろうという期待が、だんだんと根を張っていた。

前回、公爵は話が盛りあがりすぎて感極まって、倒れてしまったわけなんですけれども、すでに体調はかなり回復しているようではある。
 
 
一方でイヴォルギン将軍はもう寿命を迎えようとしている。そういう時でもコーリャは公爵を見舞いに来てくれる。公爵は愚者なんだけれどもいろんな人たちから愛されている。ドストエフスキーは危機的な場面を描き尽くすことが最大の特徴だと思うんですけれど、なんと言えば良いのかよく分からないんですけど、氏の作品は土台がしっかりしているというか、ドストエフスキーは人々を肝心なところで欺かないと言えば良いのか、あまたの読者を迷妄に陥らせない凄い作家なんだと、思います。だいたい被害者遺族であったはずの作家が、加害者でしかない主人公の小説をえんえん書いた作品がある、というところで、この作家のえげつなさを感じます。
 
 
もう絶縁状態になってもおかしくない事態が起きた、ムイシュキン公爵と、リザヴェータ夫人たちなんですが、彼女は「もし気が向いたら、元どおり遊びにいらっしゃい。それはそうと、これだけは信じてくださいね、たとい、どんなことが起ころうとも、どんなことになろうとも、あんたはやはりいつまでもうちのお友だちなんですよ」と話しかける。そこの描写で、ドストエフスキーはこう書きます。

優しい、元気をつけるようなことを言おうとする純情な気短さのうちに、多くの残忍性がひそんでいたが、それにはリザヴェータ夫人も気がつかなかった。

純情な善意のなかにも危険性がある……というような、文章のはしばしに、片側のみに陥らないドストエフスキーの骨太な眼差しを感じました。それから、アグラーヤが奇妙な言づてを残していった。今日は晩になるまでけっして外に出ないでください、というものです。公爵はアグラーヤを愛しているのに、彼女の願いごとの反対のことばっかりをしてきてしまった。今回はどうなるんでしょうか?
 
 
そこに重い病のイッポリットがやってきて、ものも言えないほどになって血まで吐いてしまってから、凄絶なことを言います。これ……ドストエフスキーも大病をして死に近いところから文学を書いていたので、とてもこう、偽りだとは思えない心情の描写でした。
 
 
イッポリットは先日あんなに醜態を演じて憎悪の言葉を人々に浴びせていたのに、とっても良いヤツなんですよ。もう寿命が尽きそうなのに、他人の恋愛の心配までして、話すことに夢中でいる。もっとも憎い相手だと言い切った公爵に対して、もはやそんなことを忘れて、夢中で人々の生きざまについて語っていて、なんだか牢獄か凍土で死んだ人間の魂が、ドストエフスキーに直接乗り移って語っているんじゃないかというくらい、このあたりの描写が鬼気迫っていて、異様な感動を生んでいるように思えました。
 
 
白痴を全文いつか読んでみたいけれども、今は時間がない、という場合は、この第46回(第四編の八)の、余命幾ばくもないイッポリットの発言の部分だけを読んでみると、いつか何年後かに白痴を読む時に、ちょうど良い下地の記憶として残ると思います。今回の章は、お勧めだと思います。「帰る」という発言の真相が、述べられてゆくところが、ほんとうに忘れがたかったです。むしろ死者がドストエフスキー文学のトンネルを通りぬけて、生きて帰ってきたくらいの迫力がありました。
 
 
イッポリットは、重大なことをまのあたりにした。暴漢ロゴージンとナスターシャがどうも異様に接近している。そこへアグラーヤが出かけていったと言うんです。アグラーヤは公爵に外出しないように頼んでいるわけで、どうもなにかがおかしい。それで、その謎めいた会合のことを公爵に教えることを決意して、イッポリットは病身をおして彼の元へかけつけたのでした。どうもイッポリットは死ぬ前に人間らしいことをしてゆきたかったようです。彼は去っていった。アグラーヤは危険なところへ踏み込んでいった。公爵はでは、どうすべきか考えている。本文こうです。

この問題は最後の運命を決すべきほどのものであった。
 けっして公爵はアグラーヤをただのお嬢さんだの、女学生だのと思ってはいなかった。自分は、ずっと以前から、何かこういったようなことがあってはと恐れていたのだと、今になって彼は痛切に感ずるのであった。
 
公爵は、ナスターシャを恐れていた。公爵はアグラーヤが頼んでいたとおり、家から出ないでいた。そこにけっきょくアグラーヤが現れた。彼女は公爵を引きつれて、暴漢ロゴージンとナスターシャが居るところへ乗り込んでゆくのだというんです。
 
 
彼女はいくら引き止めても必ず暴漢のところへゆく。公爵は彼女を愛しているので、この危険なところへ、共に行くしかない。けっきょくロゴージンとナスターシャ、公爵とアグラーヤは、4人で不気味な家に集まったのでした。
 
 
ナスターシャはムイシュキン公爵を愛しつつも暴漢ロゴージンとの危険な人生を望んでいる。アグラーヤはナスターシャを恋敵として認識している。本文こうです。

彼女はナスターシャ・フィリッポヴナの顔を、まともに、思いきって見つめた。と、すぐに、恋がたきの憤怒に燃える眸のうちに輝いているあらゆるものを、はっきりと読み取った、女が女を理解したのである。アグラーヤはぞっと身震いした。

アグラーヤとナスターシャの話し合いが恐ろしかったです。どちらも公爵のことをたいへん尊敬している。しかし見解も目的もまるで異なっていて、公爵に対する態度と行動について、相手のことを非常に忌々しく思っている。
 
 
この箇所の描写が、二人のヒロインの、かずかずの異様な行動に関する、謎解きにもなっていて読んでいて興味深かったです。愛する人が他人と婚姻することを強く薦めていた、その主因は、どうも虚栄心からのようであったとか、なぜ愛する人との結婚を目指さなかったのか、そこに名誉欲が満たされないことへの不満があったから……とか。
 
 
愛しい人が居ることによって、想定を越えた悲惨なことが起きてしまう、その仕組みがみごとな構成で書き記されていて、衝撃を受けました。愛する人が真横に居るからこそ、恋敵の不正が非常に許しがたくなって「憎悪の念に身を震わ」せることになる。ぼくは登場人物の書き分けが出来ないどころか、現実でも他人が完全に異なる個性を持つことをどうも明確に認識できていないところがあって、一元化された世界観に住んでしまいがちで、愛する人が近くに1人いさえすれば、その場で憎悪が生じるなんてことは起きないはず、と思ってしまいます。ドストエフスキーのこの作中人物たちの場合は、多様な人間性があって、それぞれに他人の心理をしっかり見てとることが出来ていて、それゆえに愛のすぐ側にある激しい憎悪が明確に浮かびあがってしまう。
 
 
この緊迫した場面で、愛する人の態度を目の前で見た瞬間に、深い怒りに震えるなんて、ぼくにはまったく想像もつかない世界だったなあーと、改めて思いました。そのなんというんでしょうか、愛があれば多少の憎しみもなんとかカヴァー出来るというような、そういう仕組みでドストエフスキーの世界は出来ていないんです。人間と人間が、まったく異なる思想を持ちながらぶつかってしまって、2つの愛情が接近すると、無茶苦茶に反発しあってしまう。
 
 
ぼくのこれまでの感覚で言うと、愛と憎(あるいは正義と悪)が対立するのであって(二元論的に認識してしまうわけで)……愛と愛が合流したら悲惨なことになる、という人間関係は、想像ができないことでした。
 
 
ナスターシャは青い顔になっている。ナスターシャは今までアグラーヤのことを「天使」だと思って「尊敬してた」んです。だからそのアグラーヤに、赤裸々な手紙を送っていたわけです。ところが天使だと思っていた人が、罵詈雑言を浴びせて憎悪の眼でにらみつけてくる。ほんとに、普通の小説とか映画だったら、ふつうは、悪人と善人が対立するもんですよ。でもドストエフスキーのはぜんぜんちがって、愛と愛が激突して収拾がつかなくなっている。ナスターシャがとくにひどいことになっているんです。
 
 
ナスターシャは、公爵に自由を与えたかったから、自分の心を滅ぼすような真似をした。アグラーヤは自由な心で公爵との仲を深めたかった。
 
 
ナスターシャは今回、ありえないことを暴漢ロゴージンに言っているんです。ロゴージンもアグラーヤも、この現場から出ていった。ナスターシャは前後不覚になっていて、自分が危険極まりないことを口走っていたことに、まるで気づいていない。ナスターシャとムイシュキン公爵は、ほんの短い間だけ、二人きりになって言葉も無く抱擁を交わした。

 

 
 
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与謝野晶子詩歌集(37)

今日は「与謝野晶子詩歌集」その37を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
与謝野晶子の時代は、詩歌がもっとも華やかだったのではないか、と思いました。出版技術が一般化する時代だったし、想像力を刺激するものとして映画が当時はなかったし、情感のある本がもっとも求められていた時代であったと思います。
 
 

ねやにて聞けば朝の雨
なかば現実うつゝ、なかば夢。
やはらかに降る、花に降る、
わが髪に降る、草に降る、
うす桃色の糸の雨。
 
 

 
 
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