百姓マレイ ドストエフスキー

今日はドストエフスキーの「百姓マレイ」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
次回から久しぶりに長編小説を読んでみようと思っていて、ドストエフスキーの長編のデータをいま準備しているところなんですけど、今回はべつの短編小説を読んでみました。
 
 
ドストエフスキーは現実に牢獄に入ったことがあって、死刑囚になっていて、恩赦で死なずにすんで出獄した、という事実があるんですけど、物語でもこれをくりかえし描いている。仮想100%のはずのアクション映画であってもじつは、十年前の映画だから役者の顔が若いとか、声優の声が幼いとか、そういうドキュメンタリー的な部分がじつは大量にあるわけで、小説でもドストエフスキーのドキュメンタリーが垣間見られたりする。
 
 
ドストエフスキーの魅力は、暗く暴力的なところが立ち現れつつ、無垢というか……浄い人間性を描きだす、この二極をどちらも描ききるところのように思いました。悪が出てきたら善を出す、というようなだけではなく、主人公の環境や内面に於いても、この2つの極を描きだしているのが、他の文学にはなかなか出てこない、骨太な魅力だと思いました。
 
 
短い小説にもかかわらず、ドストエフスキーの文学性が色濃くあらわれている物語で、結末の一文が美しいんです。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(77)

今日は「ハインリヒ・ハイネ詩集」その77を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ついにハイネ詩集は終盤にさしかかり、ここからは一八三九年から一八五六年に記された詩になります。ハイネの42歳以降の詩で、1900年手前の寿命は50歳未満ですから、それを考えると、現代でいうところの80歳くらいの詩人と考えて良いと思います。
 

彼女は窓から眺めて笑つてゐた
 
という詩のことばが印象深く、痛快な詩でした。こんかいは毒の効いた詩で、泥棒と毒婦の物語なんですけど、ハイネは愛と軽薄をあわせもつ、1人の女の独特な明るさを描いています。
 
 
「ふたりは互に深く愛し合つてゐた」とハイネは宣言しているんです。そこに軽薄な女の心が立ち現れてくる。愛しあっているのに、どうしてそうなっちゃうんだ、というのがおもしろい。「笑つてゐた」という言葉と、愛という概念の印象がガラッと変わる、興味深い作品でした……。
 
 


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こども風土記 柳田國男(40)

今日は柳田國男の「こども風土記」その40を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
こども風土記は次回で完結です。今回この本で、消えつつあるこどもの遊びのその詳細を読んでいて、情報の集め方と、集まり方の偏りについて意識するようになりました。
 
 
柳田の本とは、まったく関係がないんですけど、120年に1度いっせいに開花する、真竹の花の開花の様子とその写真を調べてみたい、と思ったことがあるんです。真竹の花が一斉に開花したのが1960年ごろの出来事で、1960年といったら、書物や映像でいろんな記録が残っているわけで、インターネット上にもあるかな、と思ったんですけど見つからない。竹の花の写真はいろいろ見つかったんですけど、1960年の様子はちっとも発見できなかった。見えそうで見えなくなるものが、いっぱいあるんだなと、思います。
 
 
商売にもならないし、趣味にもならない領域というのが確実にあって、そういうものは探そうとしても見つからなくなってゆく。ほとんど誰も理解できなくなりそうになっているものを、究明する学者がいるんだなと思いました。
 
 
子どもがたのしむ、棒をメンコのようにたおしあうゲーム、ネンガラ。当時の子どもたちを魅了した鉤枝のかたち。二叉にわかれた木の枝には、霊的な力があると、かつては考えられていた、と柳田は指摘しています。
 
 

 
 
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王さまの感心された話 小川未明

今日は小川未明の「王さまの感心された話」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
  

この世界せかいつくられましたときに、三にんうつくしい天使てんしがありました。
 
 
という一文からはじまる、小川未明が描きだす天使の物語なんですが、子どものころに感じていた世界のいくつかは、小川未明がつくったものが、たとえば絵本やこどもの教育番組を経由して、知らぬ間に人びとの心に堆積していたのではないだろうかと思うような、典型的というか内在的というか、印象深い童話でした。
 
 
最初の3段落1ページぶんを読んで、こういう空想を幼い頃にえんえん考えていたのを思いだしました。
 
みんなは、それぞれこの世界せかいつくられるはじめてのことでありますので、なにかに姿すがたえなければなりませんでした。
「よくかんがえて、自分じぶんのなりたいとおもうものになるがいい。けれど、一姿すがたえてしまったなら、永久えいきゅうに、ふたたびもとのような天使てんしにはなれないのだから、よくかんがえてなるがいい。」と、かみさまはもうされました。
 
 
このあとに現れる王様の、その正直さ間抜けさ好奇心の強さが、良いんだなあーと思いました。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(76)

今日は「ハインリヒ・ハイネ詩集」その76を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 

何処につかれた旅人の
いこふべき地はあるだらう?
 
 
ではじまり「空はわたしを取りめぐる」という詩の言葉が記された今回の詩なんですけど、ハイネは暗いことばを滔々と詩にしたためた。200年間という時の流れのなかで、文学の歴史に埋もれて消えそうになっている詩集を今回読んでみたんですけど、どこかへ行ってしまったままの人びとが残した言葉を読んでいるような印象がありました。
 
 


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こども風土記 柳田國男(39)

今日は柳田國男の「こども風土記」その39を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
「鹿遊び」は外国から入ってきたかもしれない。柳田はどちらかといえば国内発祥だと考えているわけですけど、可能性としては海外から来た遊びだということはありえるし、その実例を柳田國男が示していて、これは事実だろう、と言っています。


柳田は「鹿遊び」に関して、外国から来たものと、日本にそもそもあったものが都市や地方によってまだらに存在していたようだと、考えているようです。
 
 
たしかに、明治以前は海外から遊びの情報が入らない時代があったわけで、この江戸から明治にかけて生じたものを研究すると、海外文化と日本文化の入り混じりようが見えてくるようです。
 
 
現代に流行している遊びは、電子的なものが多いわけで、最新機器とこどもの遊びがリンクしていたりする。
 
 
現代で言うなら、子どもたちの「待ち合わせ」や「大人のマネ」や「ダンス」の変容は、携帯やタブレットの普及とともにどのように変化しているか、といったことを調べると、柳田の調べているような時代と文明の変化が捉えられる気がします。
 
 
柳田は未だ不明なものの解明を目指しているわけで、なんだか暗闇の中でゾウを触った男たちの噂話、みたいな謎めいた話しになるもんだと思いました。
 
 
柳田は、滋賀県で生じた「レイボン」という子どもたちの謎の言葉を追っています。

 

 
 
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私が十四五歳の時 森林太郎

今日は森林太郎の「私が十四五歳の時」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
文豪と言えば秀才で、なんでも知っていてなんでも記憶しているように思えるし、じっさいにそういう記憶力のたしかさが記された随筆もあるんですけど、あの森鴎外(森林太郎)がこういうことを書いていました。
 

私が十四五歳の時はどうであつたか。記憶は頗るぼんやりしてゐる。私の記憶は、何か重要視するものに集中してゐるのだから、其外の物に対しては頗る信頼し難いのである。それだから自身の既往なんぞに対しては頗る灰色になつてゐるのである。或は丸で消滅してはゐないかも知れないが、少くも土蔵のごく奥の方にしまひ込んであると見えて、一寸出してお目に掛けにくい。
 
竹槍でイノシシを追って食べていたような、まるで原始的な子供時代の生活から、ドイツ語や文学を習熟するまで、いったいどんなふうに毎日勉強をしていったのだろう……と思いました。
 
 
むつかしい言葉を調べてみました。
 
頗る



 
 
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