白痴(38) ドストエフスキー

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今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その38を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回で第三編というか第三部が完結します。
 
 
三通の手紙を、ムイシュキン公爵は手にしている。ドストエフスキーが時折さしはさむ夢の世界の描写は、シュールレアリスムよりもさらに進んで現代美術的というか幻想的で印象に残ります。静謐な映画でも見ているかのようなんですけど、不思議なことに、ドストエフスキーは風景を描かずに美的な場面を書くんです。絵の無い絵画とでも言えば良いのか、なぜそこに美しさを感じるのか謎だというくらい、情景を描かずに、ただ人のことだけを書くんです。人物を多様に描き分けています。人物画だけでここまでのことが出来るのかと衝撃を受けるんですよ。本文こうです。
 

今、…………一人が眼の前で女になる。また女から小さな、奸智かんちけた、いやらしい一寸法師になる、——すると、……(略)……
 
夢の中のじつに奇妙な人物画が展開し続けます。ドストエフスキーの芸術観はちょうど四季と自然を描写することにその中心がある日本の俳句と、きれいに真逆のところに居るように思うんです。信じがたく長い長文ばかりを描きますし、風景や季節をとにかく無視しようとする。
 
 
それはおそらく、ペテルブルグやシベリアが過酷で偉大で鴻大すぎて、俳句で恋を詠むという日本の感性の真逆の精神が培われたんじゃないかなあーと思いました。シベリアのオムスクで流刑に処されたような人生なわけですし、四季を愛でている場合じゃ無い性格になった気がします。それでドストエフスキーにとっては自然界は、北極点にまで連なる果てしない濃霧みたいなもので、人間だけしか目に見えてこない。前後不覚で、環境が目に入ってこないんですよ。自然界が見えないのだ、というのが物語のはしばしになんでもないように記されているんです。たとえば野外を移動しているときも、風景が極端に消えている。本文こうです。
 
…………日の暮れに一人でぶらつきながら(時とすると、自分で自分がどこを歩いているのか、気のつかないことがあった)
 
あるいは「身のまわりのものは何もかも夢ではないかと思われた」と記している。そういう眼差しが、ビル街と快適な地下道に包まれて、天変地異でも来ないかぎり自然界が見えなくなった日本の人間中心的な現代社会と、ちょうど響きあうようになったのではないか、と思います。ドストエフスキーのまなざしの独特さには非常に引き込まれるんです。
 
 
ヒロインのナスターシャが奇妙な手紙をアグラーヤに送った。彼女は悪夢のような空想を訴えている。その悪夢には「痛々しいほどに真実な何ものかが潜んでいた」その手紙の内容が記されていくんですが、それまでの他人を蹴倒して進むようなナスターシャとはかなり異なる、悩める心の内と、奇妙なへりくだりの態度が記されているんです。
 
 
なぜかナスターシャは、アグラーヤに「わたしはあなた様を愛しているのでございます。」と告白する。ドストエフスキーはのべつまくなしに愛を記す作家じゃ無いんですけど、今回この「白痴」の中盤では、この愛の吐露が連発されて、読んでいて惑うんです。いったいこの物語の登場人物にとって愛ってなんなんだろうと思う。ナスターシャは、アグラーヤとムイシュキン公爵が愛で結ばれるべきだと主張している。その上でまだこういうことも手紙に書いている。

あなた様が、わたしを愛してくださるようにさえも思われる

アグラーヤがナスターシャを愛する? レズビアンではないのだし、いったいこの人たちにとって愛ってなんなのかさっぱり判らなくなる。

天使には人を憎むことはできません、また人を愛しないでもいられません。ありとあらゆる人々を、ありとある隣人を愛するということはできますことでしょうか?

敵意を持たない、というのを愛と思ってるんだろうか、と。ここからキリストと幼子の存在について論じられてゆきます。それからナスターシャ自身の美貌や運命について語られるのですが、もはや常軌を逸している。タイトル通り「白痴」の世界なんです。ナスターシャは不吉なことを書きます。

わたしはもうほとんどこの世のものではなく、それをよく承知しているものでございます。

それで、ナスターシャのきわめて強引な提案はこうなんです。

あのかた(※ロゴージン)がわたし(※ナスターシャ)をひどく愛して、そのためにわたしを憎まずにはいられなかったということを、わたしはよく存じております。あなたがた(※アグラーヤとムイシュキン)の御結婚とわたしの結婚はごいっしょに——わたしはあのかたにそうするようにと申しました。(※カッコ内は補足)

天使のような男女の結婚と、悪夢そのものの男女の結婚を、同時に行おうと言うんですよ。読んでいてのけぞりました。悪夢のほうの描写がえげつなくて、叫びたくなるような話しなんです……。芥川や太宰が描こうとした悪夢というのは、ドストエフスキーの見出した悪夢の続きだったのかもなあ、と思いました。


ナスターシャの狂気は、あることを求めている。自分の中に保つことの出来なかった善心を、他人である公爵が持っていることにたいする純粋な悦びがあって、それが保たれることを願っている。

 

 
 
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 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  
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