自由なる空想 小川未明

今日は小川未明の「自由なる空想」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 

小川未明は児童のための文学を数多く描いたんですけど、今回は理論的な随筆を書いています。小川未明は社会主義者だった時期もあって、戦時中は転向せざるを得ず、戦後も生きて作品を作った童話作家なのですが1956年の74歳の時に、
 

雲の如く 高く
くものごとく かがやき
雲のごとく とらわれず

という詩碑を残しています。


未明の童話の美しい文体からはかなりかけ離れた、なんだかギョッとする文章が記されているのですが、すてきな芸術論でした。
 
我々は、常に、思想の自由を有している。空想し、想像することの自由を有している。外的関係が、心までを萎縮するとはかぎらない。

 
 
「笑わない娘」「王さまの感心された話」「赤い蝋燭と人魚」を併せて読んでみました。
 
 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
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(約10頁 / ロード時間約30秒)
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白痴(37) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その37を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
公爵は題名通りにおばかさん、だと思われている。彼はほとんど縁のない異性に対して「愛している」とか、非常に奇妙な場面で堂々と言います。けれどもドストエフスキーはこの主人公を、嘘偽りなく生きる善きものとして描こうとしている。
 
 
おばかさんの公爵が、娘とずいぶん親しくなにごとかをしている、となると母リザヴェータからしたら気が気じゃない。ぼくは近代文学は男が主体で、芥川や正岡子規や鴎外は、男社会を書いたから女の眼差しが乏しくってそこが近代文学の最大の弱点なんだと、思ってたんです。でドストエフスキーもそうなんだろうと思ったら、どうも違うんです。女の描写に迫力があって、原稿のすぐ横に明らかに女がいる気配がします。じっさいドストエフスキーは女性に原稿を速記してもらった(25歳年下の妻アンナ)こともあるわけですし。恋愛しながら、あるいは夫婦で密接に付きあいながら物語を書いていて、作中にも女が生き生きと描写されるんです。
 
 
主人公のことを「白痴」と言ったのはガーニャや主人公本人などの、男なんですけど、それだけじゃなくって女が公爵のことを白痴だという。読んでいると、女の声で「おばかさん」だと言われている感じがしてくる。リザヴェータ夫人もアグラーヤも、公爵を侮辱したいというわけではない。本文こうです。
 

公爵、御迷惑かけて、御免なさいね。でも、どうぞわたしが相変わらず、あなたを尊敬していることを信じていてくださいな

ただ、やっぱり女たちからおばかさんなんだと思われている。公爵は「てんで見られたさまじゃないのに」「立派なおじぎ」をしたりするから、女たちから笑われてしまう。
 
 
それからドストエフスキーには父性の喪失した世界というのがあるんだと思うんです。作中でなんでもないようにこう書いているんですよ。「パパはどっかへ出かけました」そういう場面が多いんですよね。たとえば悪漢のロゴージンなどは、いきなり初めから出てきて度肝を抜くような迫力があるわけですけど、作中で、どっかに消えてしまっている。父らしき役割のはずの存在が、なんか居なくなってる、主人公の父は微塵も出てこない。イッポリットの父も非存在です。彼ら二人は父にならない。父が不在だというのが、ドストエフスキー作品の魅力になっているように思えます。
 
 
レーべジェフは持っていた金が消えたんだと、公爵に訴える。何処かに泥棒が居たはずだ、という話しになる。誰が犯人かいろいろ検討してみると、フェルデシチェンコか将軍があやしいとレーベジェフは言う。レーベジェフ自身の過失なんじゃないかと思いながら読みすすめていたら、どうも考えていることが不実で「とにかく、将軍をはずかしめてやりたいんです」などと言いながら「もしも、あなた様がひたすら、将軍のために、あの人の幸福のために、このことに一はだ脱ごうとおっしゃいましたら」「将軍がどういう人間かということを見ていただきたい」と、不気味な計画に公爵を巻きこもうとしている。
 
 
レーべジェフは「私のこの高潔なる胸の中」といったすぐあとに「私は精神のさもしい野郎ではございますが」と矛盾したことを次々いって、どうも考えていることが怪しいんです。次回に続きます。
 
 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。白痴は第50回で完結します。縦書きブラウザの使い方はこちら
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与謝野晶子詩歌集(28)

今日は「与謝野晶子詩歌集」その28を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
消えぬ……って辞書を調べると、消えない、消えることがない、という意味が出てくるんですけど、与謝野晶子は「消え行く」という意味で使っている。こういう言葉は、どっかで聞いたことあるなあ、どこで聞いたんだっけ、と思って検索していたら、三省堂 大辞林 にはちゃんと載っていました。ごく普通の古典文法で「消えぬ」は「消えない」という打ち消しの意味だったり「雲消えぬ」だと「雲は消え行く」という意味なのでした。完了の助動詞かなんかなんでしょうか。国語に携わっている方なら当たり前すぎる話しなんですけど、この辞書に、打ち消しでは無い「ぬ」のことが記されていました。
 


完了の助動詞。
動作・作用が完了すること、また、すでに完了してしまったことを表す。…た。…てしまう。…てしまった。 「秋来ぬと…………
三省堂 大辞林より
 
歌に記された「紫」や「理想」という言葉が印象的でした。この歌の裏側に、恋愛の心情が示されているそうなんです。直接には書かずにそういった意味がこもっているというのが美しいと思いました。紫は、高貴という意味もあるだろうし、そういえば与謝野晶子が私淑していた紫式部ってなんで名前が紫なの? と思って調べてみたら、じつは本人は自分のことを紫式部と名のっていなかったという事実を知りました。
 
 
今回の詩歌すてきなんです。
 
 

 
 
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家族 中原中也

今日は中原中也の「家族」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは詩人の中原中也の掌編小説なんです。詩人の詩が、童話の形式になると、こんな不思議な感じになるのか、と思いました。雲の上の物語です。オチの文章が印象的でした。
 
 

 
 
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白痴(36) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その36を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
アグラーヤは、公爵と話し合いたいと思って、公爵のところにやって来た。ドストエフスキーの特徴として、ものすごい長文なのに、えんえん人のことだけを書く、というのがあると思います。人がなにを言ってなにを思っているのかを、ずーっと書いています。室内の様子とか、天候とか、季節感とか、自然界とか、極端に記さないんです。途轍もない地下にある牢獄の内部の出来事みたいですよ。ここまで徹底して外界を無視して描くのは、逆にすごいと思います。日本人とちがう。ネコとか小鳥とかみずうみとか、童話的な存在が、とうてい出て来そうに無い。もう人のことしか書かない。ちょっと鉄道のことを書いたかと思うと、鉄道は地に堕ちた毒だとか、ムチャクチャな理屈を言う人が出てきたりする。人、以外は全部無視したいようなんです。人だけ書きたい。ドストエフスキーの他の短編では、情景が鮮やかすぎる作品もあるんですよ。だから書く能力はすごくある。でも意識的にまったく書かない。書いた時は、その美しい情景が、極寒の寒空と一体化して凶器と化し、幼子に悲劇をもたらしたりする。シベリアの流刑地みたいな存在として、外部の風景を考えている。
 
 
ドストエフスキーは今回、かつては13歳の少女だったアグラーヤの、幼心から生じる死への意識のことを記します。ぼくがたまに思うことは、死への願望のほとんどは、今日はもうベッドでゆっくり眠りたい、という本物の願望が、なにかしらの弊害や苦やノイズや混乱によって歪められてしまって、ベッドじゃ無くってジャンバルジャンみたいに棺桶で眠りたいと、脳が誤認するのが、このような願望の主要なところじゃないかというように疑うことが多いんです。睡眠しやすいように労働環境を改善するとか、睡眠環境を楽しくするとか「ベッドでゆっくり眠れるようにする」ことに意識を集中したほうが効果がある、ような気がするんです。そういえば、イッポリットの騒動も、眠らずに徹夜で議論した結果起きた異変でしたし。
 
 
アグラーヤは、幼い頃から家族にだけ囲まれていて、外部との接触が極端に乏しかったので、ずいぶん子供じみた性格になってしまっている。それで、アグラーヤにとっては、まさにヒロインのナスターシャこそが、最大の外部で、この女について、公爵と真剣に論じ合いたい。本文こうです。
 

あの女のために、あの女のためにここへおいでになったんじゃありませんか?

「そう、あの女のために」と公爵は悲しそうに、物思わしげに首かしげ……(略)僕はあの女がロゴージンといっしょになって仕合わせになろうとは信じていません、もっとも、……なんです、あの女のためにどんなことをしてやれるか、どうしたら助けられるか、それはわからないんです、それでいて、とうとうやって来たわけです
 
アグラーヤは、公爵の気持ちをどうしても知りたい。その熱意におされて、公爵はアグラーヤに、こういう告白をします。

たぶん、あなたを本当に心から愛しているからでしょう。あの不仕合わせな女は、自分がこの世の中で誰よりも堕落して、汚れ果てた人間だと、深く思い込んでいるのです。ああ、あの人をはずかしめないでやってください

愛している、とどうして断定できるんだ……と衝撃を受けました。関わりは本当に薄いですよ。アグラーヤと公爵は出会っている場面がたったの1回だけでとにかく関係性が薄いはずなんですよ、エピソードの数はほとんど無い。でもたとえばドストエフスキーが繰り返し引用している聖書とキリスト、その愛は、ほんとうにキリストとは関係が薄い人に対して、アガペー(愛)を、分け与えようとしているわけで、ドストエフスキーが今回の物語で記す愛というのは、関係性が深いかどうかは、問わないんだろうなと思いました。昔はキリスト教の愛のことを「ご大切」と訳したんですけど、なんかこの「ご大切」ってこの場面で記されている愛を理解する上で、判りやすい指標だなと思いました。愛憎の愛をドストエフスキーは繰り返し書くんですけど、今回は、性的な愛憎とか恋愛的な執着心とかとはぜんぜんちがう、もっと重大なことが記されていました。
 
 
公爵はむしろ、ナスターシャとの関係のほうが深いように思えます。公爵のナスターシャへの思いはこうです。
 
あの人はね、自分がまず第一に、自分というものを信じていないのです、そして、自分は……罪が深いのだと、本心から思い込んでいるのです。僕がこの心の闇を追い払おうとしたとき………………………

「……ああ、僕はあの女を愛していました、かなり愛していた、……しかしあとになって……あとになって……あとになって、あの人は何もかも悟ってしまいました」「何を悟ったんですか?」「実は、あの人を僕がただ気の毒に思っているだけで、もう……愛してなんかいないってことです」
 
いっぽうでアグラーヤはガーニャと婚姻して生きることを考えている。ドストエフスキーは、愛についてどういう意味を込めて書いていたんだろうなあと思いました。
 
 

 
 
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梅の吉野村 大町桂月

今日は大町桂月の「梅の吉野村」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは日記のように市街と自然を描写している作品なんですけど、骨董屋や、万年橋や小川の様子が事細かに記されている。瓢箪を水筒として吊してみんなが歩いている時代ですよ。詳細な描写を読んでいて急に、ここに描かれている街はどういう匂いなんだろうかと、思いました。
 
 
大正時代の町の色彩や暮らしはかなりこう、映画や漫画やドラマで見てきたのである程度しっているんですけど、このころの匂いはいったいどうなっているんでしょうか。かつてパリは糞尿の臭いに溢れかえっていたそうなんですけど。
 
 
吉野村の桜や梅や、月瀬(月ヶ瀬梅林)の梅のことが記されています。渡し舟とか、東京の青梅市の由来とか、牛肉屋のこととか、下戸には大飯ぐらいが多いんだとか、なんでもないことが記されています。うわー、大正時代のお話しを聞けた、と思いました。ところでこの大町桂月は、与謝野晶子が弟に宛てた詩を、反国家的だということで苛烈に批判したことがあるそうなんです……。
 
 

 
 
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与謝野晶子詩歌集(27)

今日は「与謝野晶子詩歌集」その27を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
近代文学は現代語に近く、工場や都市空間が成立しはじめている時代なのに、自然界への意識が色濃いのが特徴だと思います。現代では空調の整ったビルの中に、詩人や出版者が暮らしているんですけど、与謝野晶子の目の前には、つねに自然界があった。今回は、小鳥や空といったごく普通の自然を描写していました。
 


 
 
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