風流 坂口安吾

FavoriteLoadingお気に入りに追加

今日は坂口安吾の「風流」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
坂口安吾は敗戦後6年(1951年)の日本中を旅して、今回の随筆を書いています。安吾は旅行者のまなざしで世界を見たのだと、言うんです。そこの迫力が凄かったです。安吾はこう書き記します。
 
 
 戦争の惨禍にうたれるよりも、たった敗戦の六年後には、焼けない都市の庶民住宅が焼跡のバラックよりも貧寒だという異様な発見に心の重たくなる方が切ない。
「異様なものを見てしまった」
 私はそう呟かずにいられなかった。
 だが、戦災都市の人々の多くは決してそう考えてはいないのである。
「焼けない前のこの町はキレイでした」
 どこの戦災都市でも人々の言うことはきまっていた。失われたフルサトがあなた方にとって母親と同じように大切で美しく胸に残っているのは当然だが、しかし旅行者の公平な目で見ると、そのような事実の存在は考えられないのである。戦災をまぬかれた都市の一様に悲しい庶民住宅を見れば、誰のフルサトの町だって、やっぱりそうだったと結論せざるを得ないであろう。
 
 
安吾は社会情勢を読み解くと同時に、芸術論も展開します。風流という概念について批判的に「風流の地盤は、強制に服する万全の用意、待望だ。己れを空しゅうするところに始まり、また、そこに終る。」と、論じています。安吾は自主的な改善を出来ない人々を「風流」だけで、その心情はいたずらに「鯛を食べた気持ち」になるだけで、じっさいに鯛を食べていないまま気持ちだけで空転を続け、文化的な地盤が無く「風流には大地に根のおりた足がない」と批判しつつ、安吾自身も「思えば私も半生の二分の一はそのような風流の迷路を辿ってきた。」と書くんです。
 
 
安吾は、風流を求めて己をむなしくするのは人の勝手だが、風流から説教がはじまり、それによって戦争や服従心に塗れた国策に雪崩れ込めば、ふる里全体が悲しい家となってしまうと、旅の記憶から芸術論に至って、さらに国家的な構造の歪みに論が発展してゆくのが凄かったです。
 
 
「なぜ世界一の必要があるのだろうか。みんながもッとシアワセになることを、この一番身近かなことを、なぜ真剣に考えることを忘れているのだろう」
 
 
じゃあ、どう考えたら良いのか、安吾はこういうヒントを書いています。
 
 
「風流の奥儀の重大な一項目、一教訓には、すみやかに忘れよ、とあるに相違ない。」
 
 
「惨禍を」「すみやかに忘却の淵へ沈め」るような風流人であってはイカンぞと、安吾は言うんです。詳しくは本文をお読みください。
 
 

 
 
以下の「シンプル表示の縦書きテキスト」をご利用ください。(縦書きブラウザの使い方はこちら
https://akarinohon.com/migration/angofuryu.html
(約10頁 / ロード時間約30秒)
★シンプル表示の縦書きテキストはこちら
 
 
 
 






明かりの本は新サイトに移行しました!

URLの登録変更をよろしくお願いいたします。



明かりの本 新サイトURL

https://akarinohon.com

(Windowsでも、なめらかな縦書き表示になるように改善しました!)

appleのmacやタブレットやスマートフォンなど、これまで縦書き表示がむずかしかった端末でも、ほぼ99%縦書き表示に対応し、よみやすいページ構成を実現しました。ぜひ新しいサイトで読書をお楽しみください。











 ここからは新サイトの「ゲーテ詩集」を紹介します。縦書き表示で読めますよ。
 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

縦書き文庫の装画
装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約10秒)
 
『ゲーテ詩集』全文を読むにはこちらをクリックしてください













top page ・本屋map ・図書館link ★おすすめ本 ★書籍&グッズ購入 





 


Similar Posts:

    None Found