白痴(46) ドストエフスキー

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今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その46を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
あと数回で白痴は完結するんですが、ここからどうも大きな事態が起きるようです。これから先は完全にネタバレですので、未読の方はこちらから本文のみをお読みください。公爵はこう考えます。

心のうちには、今日という今日、自分の身に、何かしら特殊な、最後の運命を決すべきほどの事が起こるであろうという期待が、だんだんと根を張っていた。

前回、公爵は話が盛りあがりすぎて感極まって、倒れてしまったわけなんですけれども、すでに体調はかなり回復しているようではある。
 
 
一方でイヴォルギン将軍はもう寿命を迎えようとしている。そういう時でもコーリャは公爵を見舞いに来てくれる。公爵は愚者なんだけれどもいろんな人たちから愛されている。ドストエフスキーは危機的な場面を描き尽くすことが最大の特徴だと思うんですけれど、なんと言えば良いのかよく分からないんですけど、氏の作品は土台がしっかりしているというか、ドストエフスキーは人々を肝心なところで欺かないと言えば良いのか、あまたの読者を迷妄に陥らせない凄い作家なんだと、思います。だいたい被害者遺族であったはずの作家が、加害者でしかない主人公の小説をえんえん書いた作品がある、というところで、この作家のえげつなさを感じます。
 
 
もう絶縁状態になってもおかしくない事態が起きた、ムイシュキン公爵と、リザヴェータ夫人たちなんですが、彼女は「もし気が向いたら、元どおり遊びにいらっしゃい。それはそうと、これだけは信じてくださいね、たとい、どんなことが起ころうとも、どんなことになろうとも、あんたはやはりいつまでもうちのお友だちなんですよ」と話しかける。そこの描写で、ドストエフスキーはこう書きます。

優しい、元気をつけるようなことを言おうとする純情な気短さのうちに、多くの残忍性がひそんでいたが、それにはリザヴェータ夫人も気がつかなかった。

純情な善意のなかにも危険性がある……というような、文章のはしばしに、片側のみに陥らないドストエフスキーの骨太な眼差しを感じました。それから、アグラーヤが奇妙な言づてを残していった。今日は晩になるまでけっして外に出ないでください、というものです。公爵はアグラーヤを愛しているのに、彼女の願いごとの反対のことばっかりをしてきてしまった。今回はどうなるんでしょうか?
 
 
そこに重い病のイッポリットがやってきて、ものも言えないほどになって血まで吐いてしまってから、凄絶なことを言います。これ……ドストエフスキーも大病をして死に近いところから文学を書いていたので、とてもこう、偽りだとは思えない心情の描写でした。
 
 
イッポリットは先日あんなに醜態を演じて憎悪の言葉を人々に浴びせていたのに、とっても良いヤツなんですよ。もう寿命が尽きそうなのに、他人の恋愛の心配までして、話すことに夢中でいる。もっとも憎い相手だと言い切った公爵に対して、もはやそんなことを忘れて、夢中で人々の生きざまについて語っていて、なんだか牢獄か凍土で死んだ人間の魂が、ドストエフスキーに直接乗り移って語っているんじゃないかというくらい、このあたりの描写が鬼気迫っていて、異様な感動を生んでいるように思えました。
 
 
白痴を全文いつか読んでみたいけれども、今は時間がない、という場合は、この第46回(第四編の八)の、余命幾ばくもないイッポリットの発言の部分だけを読んでみると、いつか何年後かに白痴を読む時に、ちょうど良い下地の記憶として残ると思います。今回の章は、お勧めだと思います。「帰る」という発言の真相が、述べられてゆくところが、ほんとうに忘れがたかったです。むしろ死者がドストエフスキー文学のトンネルを通りぬけて、生きて帰ってきたくらいの迫力がありました。
 
 
イッポリットは、重大なことをまのあたりにした。暴漢ロゴージンとナスターシャがどうも異様に接近している。そこへアグラーヤが出かけていったと言うんです。アグラーヤは公爵に外出しないように頼んでいるわけで、どうもなにかがおかしい。それで、その謎めいた会合のことを公爵に教えることを決意して、イッポリットは病身をおして彼の元へかけつけたのでした。どうもイッポリットは死ぬ前に人間らしいことをしてゆきたかったようです。彼は去っていった。アグラーヤは危険なところへ踏み込んでいった。公爵はでは、どうすべきか考えている。本文こうです。

この問題は最後の運命を決すべきほどのものであった。
 けっして公爵はアグラーヤをただのお嬢さんだの、女学生だのと思ってはいなかった。自分は、ずっと以前から、何かこういったようなことがあってはと恐れていたのだと、今になって彼は痛切に感ずるのであった。
 
公爵は、ナスターシャを恐れていた。公爵はアグラーヤが頼んでいたとおり、家から出ないでいた。そこにけっきょくアグラーヤが現れた。彼女は公爵を引きつれて、暴漢ロゴージンとナスターシャが居るところへ乗り込んでゆくのだというんです。
 
 
彼女はいくら引き止めても必ず暴漢のところへゆく。公爵は彼女を愛しているので、この危険なところへ、共に行くしかない。けっきょくロゴージンとナスターシャ、公爵とアグラーヤは、4人で不気味な家に集まったのでした。
 
 
ナスターシャはムイシュキン公爵を愛しつつも暴漢ロゴージンとの危険な人生を望んでいる。アグラーヤはナスターシャを恋敵として認識している。本文こうです。

彼女はナスターシャ・フィリッポヴナの顔を、まともに、思いきって見つめた。と、すぐに、恋がたきの憤怒に燃える眸のうちに輝いているあらゆるものを、はっきりと読み取った、女が女を理解したのである。アグラーヤはぞっと身震いした。

アグラーヤとナスターシャの話し合いが恐ろしかったです。どちらも公爵のことをたいへん尊敬している。しかし見解も目的もまるで異なっていて、公爵に対する態度と行動について、相手のことを非常に忌々しく思っている。
 
 
この箇所の描写が、二人のヒロインの、かずかずの異様な行動に関する、謎解きにもなっていて読んでいて興味深かったです。愛する人が他人と婚姻することを強く薦めていた、その主因は、どうも虚栄心からのようであったとか、なぜ愛する人との結婚を目指さなかったのか、そこに名誉欲が満たされないことへの不満があったから……とか。
 
 
愛しい人が居ることによって、想定を越えた悲惨なことが起きてしまう、その仕組みがみごとな構成で書き記されていて、衝撃を受けました。愛する人が真横に居るからこそ、恋敵の不正が非常に許しがたくなって「憎悪の念に身を震わ」せることになる。ぼくは登場人物の書き分けが出来ないどころか、現実でも他人が完全に異なる個性を持つことをどうも明確に認識できていないところがあって、一元化された世界観に住んでしまいがちで、愛する人が近くに1人いさえすれば、その場で憎悪が生じるなんてことは起きないはず、と思ってしまいます。ドストエフスキーのこの作中人物たちの場合は、多様な人間性があって、それぞれに他人の心理をしっかり見てとることが出来ていて、それゆえに愛のすぐ側にある激しい憎悪が明確に浮かびあがってしまう。
 
 
この緊迫した場面で、愛する人の態度を目の前で見た瞬間に、深い怒りに震えるなんて、ぼくにはまったく想像もつかない世界だったなあーと、改めて思いました。そのなんというんでしょうか、愛があれば多少の憎しみもなんとかカヴァー出来るというような、そういう仕組みでドストエフスキーの世界は出来ていないんです。人間と人間が、まったく異なる思想を持ちながらぶつかってしまって、2つの愛情が接近すると、無茶苦茶に反発しあってしまう。
 
 
ぼくのこれまでの感覚で言うと、愛と憎(あるいは正義と悪)が対立するのであって(二元論的に認識してしまうわけで)……愛と愛が合流したら悲惨なことになる、という人間関係は、想像ができないことでした。
 
 
ナスターシャは青い顔になっている。ナスターシャは今までアグラーヤのことを「天使」だと思って「尊敬してた」んです。だからそのアグラーヤに、赤裸々な手紙を送っていたわけです。ところが天使だと思っていた人が、罵詈雑言を浴びせて憎悪の眼でにらみつけてくる。ほんとに、普通の小説とか映画だったら、ふつうは、悪人と善人が対立するもんですよ。でもドストエフスキーのはぜんぜんちがって、愛と愛が激突して収拾がつかなくなっている。ナスターシャがとくにひどいことになっているんです。
 
 
ナスターシャは、公爵に自由を与えたかったから、自分の心を滅ぼすような真似をした。アグラーヤは自由な心で公爵との仲を深めたかった。
 
 
ナスターシャは今回、ありえないことを暴漢ロゴージンに言っているんです。ロゴージンもアグラーヤも、この現場から出ていった。ナスターシャは前後不覚になっていて、自分が危険極まりないことを口走っていたことに、まるで気づいていない。ナスターシャとムイシュキン公爵は、ほんの短い間だけ、二人きりになって言葉も無く抱擁を交わした。

 

 
 
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 ここからは新サイトの「ゲーテ詩集」を紹介します。縦書き表示で読めますよ。
 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  
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