今日は夏目漱石の「それから」その9を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
平生から妙に気になっているのに、言語にできなかったことを、漱石がみごとに描きだしているのがなんというか、毎回衝撃です。
父から金をもらって暮らしている代助は、父と逢うのを避けたいんです。それは、どうしてかというと、腹を割ってあいたいしようとすると、どうしても相手を侮辱してしまっているような部分が生じてしまう、これが自分で堕落だと感じているからなんです。原文はこうです。
代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。
あのー、ある種の美術作品は、人の心を癒すことを主眼に置いているのに、美術館には本当に今美術を欲している人はやって来られない、と、ある美術家が言っているんです。文学も、そういう本来の受け手に届かない、という不着の問題があるように思います。
漱石の作品はほんとうに、高等遊民(現代で言うと知的なNEET)の男のために書かれたもんだと言って過言で無いもんで、漱石はそもそも、明治後期に長らく学校の先生をしていたわけで、その頃一番目についた問題は、知的なのに、自分の仕事を持てない若者がいっぱいいると、そこを漱石はじーっと見ていたわけで、じっさい漱石の講演録でも、そのことが良く主題として取り上げられていますし、今回の「それから」はまさに、直球で、頭が良いんだけれども働かない男たちを描いているわけで、完全にNEET仕様になっておるわけなんです。
今回、主人公の父の人生を描いているんですけど、そこで、生活欲と道義という2つを問題の中心に置いて、代助は考えています。
父はそもそも武家の生まれで、忠義や忠誠だけを教育され、それを、武家の終わった明治でも引き継いで生きていると思い込んでいる。しかし代助に言わせれば、そうでなくて、道義は見かけ上だけになっていてもう薄れてしまっていて、生活欲を盛んにして、稼いで肥えているのみだと、そう見ている。
かつての自分と、今の自分が、大きく変わってしまったことをですね、自分で理解しておらん、と代助は考える。大きく矛盾してしまった自分を理解せずに、違和感だけを抱えて苦しんでいるのは、どうもイカンじゃないかと、プー太郎のくせに代助は、父をてひどく批判しておるわけであります。しかし口には出さない。

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ゲーテは詩心についてこう記します。
わたしがどんなに迷ひ、どんなに努めたか
どんなに悩み、どんなに生きたかは
ここなる花輪の花となる
さうして老境もまた青春も
徳も不徳も集めて見れば
また捨てがたい歌となる

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