現代美学の危機と映画理論 中井正一

FavoriteLoadingお気に入りに追加

今日は中井正一の「現代美学の危機と映画理論」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
中井正一は、この一文から、評論をはじめるんです。
 

個人主義文化が、封建主義文化を引きはなすために、戦った歴史の跡は決して容易なものではなかった。
 
個人主義、というと、夏目漱石の「私の個人主義」がぼくはすごく好きで、これを思いだすんですけど、今回は中井正一が説く評論を読んでみました。
 
 
現代の自分たちが普通に持っている自由というものが、100年ほど前にどういうように構築されていったのか、というのが見えてくる評論です。
 
 
「封建主義的文化に」おける「美は常に、何か賤しいものが宮殿にまぎれ込む夢のようなもの、シンデレラ姫のようなもの」だ、という表現が秀麗だなあと思いました。ふつう美は賤しいものを否定するんだと、誤認しがちなんですけど、そうじゃないと。さらに「個人主義文化では、実はこれと正に反対となった」と言うんです。その美学をあきらかにしたのが、中井正一によればカントで「カントは」「自然よりも人間の自由がより高いものであり、美とは、自然の中に人間の自由を感得することであると考えたのである。自然の中に理性的なるものを発見し、創造するものと考えたのである。」そこでは「芸術は、個人の主観が創造するもの」となった、そうです。うーむ。
 
 
映画が勃興する頃、これが非芸術とされたその理由を三つ述べてから、中井はそれに反論を試みるんです。面白い評論でした。映画が芸術として存在するようになってから、集団芸術という概念が生じたわけで、その影響もあって、クリストのような膨大な人数で制作にかかる現代美術が誕生したんだなあと思いました。
 
 
…………歴史の「聖なる一回性」に連続している。
 
というような、中井正一の比喩表現がすてきでした。やっぱりなんでも業界の創世記って面白いんだなと思いました。
 
 


 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
https://akarinohon.com/letters/gendaibigakuno_kikito_eiga.html
(約10頁 / ロード時間約30秒)
iPadやノートPCなどに対応した、シンプル表示の縦書きテキストはこちら
 
 
 
 




top page ・本屋マップ ・図書館リンク ★おすすめ本





Similar Posts:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください