今日は宮本百合子の「青田は果なし」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
最近、文学と農業ということの関係性に興味があって、いくつか調べていたんですが、プロレタリア文学者の宮本百合子が農業のことを書いていたので紹介します。宮本百合子の父は建築家で農家出身では無いんですが、札幌の農学校の校舎を作ったりしていて、宮本百合子が女子大に進学したときには農村を舞台にした小説「貧しき人々の群れ」を処女作で書いていたり、農業に関心の深い作家だったようです。
農業の話しを聞いていると、純粋にすごい仕事だということを感じたりできるんですが、宮本百合子は農地を見て歩くだけでその労働のすごさというのが判るようで、こんなふうに記しています。
秋田から山形沿線の稲田のひろがりには、見ているうちに、一種こわいような気がして来るほどに先祖代々からの農民の労力がうちこめられている。
戦後すぐの1946年の随筆なんですよ。農耕機械がまだ一般的で無い時代では、盆地に果てしない田んぼが広がっていると、その鴻大な地を手仕事で耕していたことが想像されて、それで圧倒される、ということが書いています。それでこれほど豊穣なのに、農家が小さくて貧しいのが明らかで、どうも地主が農民の収入を減らしているであろうということが記されています。
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(約10頁 / ロード時間約30秒)
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ここからは新サイトの「ゲーテ詩集」を紹介します。縦書き表示で読めますよ。
ゲーテは詩心についてこう記します。
わたしがどんなに迷ひ、どんなに努めたか
どんなに悩み、どんなに生きたかは
ここなる花輪の花となる
さうして老境もまた青春も
徳も不徳も集めて見れば
また捨てがたい歌となる
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約10秒)
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