今日は柳宗悦の「民藝の性質」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
谷崎潤一郎の、美に関する随筆を読んでいるところなので、ほかでどのように美が論じられているかを今、ちょっと調べてるところなんです。民芸を中心に美学を専攻した柳宗悦はまず、美術の領域に於いて、個人と自由の重大さを説きます。
そしてこの個性と自由を重んじる美術家の成立から先、「美術と工芸」とに分離され、美術家と職人とに乖離していった状況を書き、そこから、アーツ&クラフトの語源について記しながら、この「美術家と職人」はそもそも近しい領域に居たものであることを示します。
美術家の発展は、個人主義や自由や非実用性を色濃くしてゆくところにあった。柳宗悦は、どうもそういう、個性と自由と非実用性だけが、美の基準では無いはずだ、と言うんです。たしかに現代でも、美術家として長く活動するためには、個性と自由と非実用性は有効な特徴だと思うんですが、しかしそれとはちがう美というのも当然ある。
現代で言うと、映画制作には個人主義や自由と無関係な集団行動が重大で、しかし作品自体は自由を拡げるものが多い。世界遺産の寺院建築にはあきらかに美があるんだけど、これも個性や自由とはあまり関係無い。
美術家としてひとり立ちするには、どうしても「個性と自由と非実用性」が大事になると思うんですけど、どうもそれが美術の中心じゃ無いぞと。柳宗悦は、こう記します。
個人的性質は何も唯一の美の基礎とはならないのです。
それで、美術家が「個性と自由と非実用性」を重んじすぎたために、伝統の破壊や退廃を目指すものが増えすぎて、わけが判らない業界になってしまった。そういう一過性の流行に、みんな満足できなくなってしまった。もともとの美術は、もっと人間の生活に寄りそうものだった。それで柳宗悦は、これを「美と生活」が「離婚」しちゃった、と言うんです。言い得て妙だと思いました。本文こうです。
美術の観念は美を実用性から隔離させました。このことは美と生活との離婚を意味しました。そうして一般の民衆と美との間柄を疎遠なものにしました。しかし中世紀以前のものを省みますと、かつては実用から深い美が生れたことを示してくれます。それらの時代の絵画も彫刻も音楽も皆宗教的実用性から発したものでした。純粋に美を追う美術ではなく、生活に最も必要なものばかりでした。それは人間の生活そのものを深め温める日々の伴侶でした。
それで、生活や実用性に密着した工芸や民芸に、おもしろさや美があるんだよと、柳宗悦は述べるんです。この文章が印象に残りました。
民藝は民衆のために民衆の手で作られる日々の用具なのです。いわば生活と切っても離れぬ存在なのです。かかるものは普通の品であり、数も多く価も安い…………その質素な謙虚な性質の価値は見直されていいのです。
文学者や思想家の言葉よりも、日々の言葉、というものを連想しました。「質素なもの謙遜なもの無心なもの」そういうところに美が宿るんだ、と柳は言うんです。終盤の数行はそこまでの論説から乖離していて無理があるような気がするんですが、民芸の素朴さと美、そこに焦点を当てた柳宗悦のまなざしが興味深かったです。
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ここからは新サイトの「ゲーテ詩集」を紹介します。縦書き表示で読めますよ。
幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。
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