北京と巴里(覚書) 横光利一

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今日は横光利一の「北京と巴里(覚書)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
横光利一は、組織だったものを描きだすのが特別に上手いんだと思うんですけど、今回は昭和初頭における北京という都市の様態を活写しています。この「北京と巴里(覚書)」という随筆の初出は1939年(昭和14年)2月ごろなんですけど、ほんの10年で世界は目まぐるしく変わっていると、横光利一は言うんです。1921年ごろに芥川龍之介が、北京を1カ月ほど訪れている。その頃と比べて、10数年後の北京は変化した、と横光利一は言うんです。
 
 
中国と言えば鴻大な土地柄で、一度別れると国土が広すぎるので二度と出会えなくなったりする。それから都市と田舎で、人生がまるで異なっている。さらに中国はここ百年大きな変化をし続けてきたようで、時間と共に都市が変化する。
 
 
横光利一は、北京に「小唄のような哀れな歌調をもった節回しだけ」が残された、その芸術の奥に隠された、歴史の深さ暗さを指摘しつつ、北京に於ける芸術に「かくのごとき巨大な装飾物が偶然に出来上ってしまった」ことは、「まさにそれは自然の傑作とも云うべきものであろうか。これは文化というべき物ではなく、山川のごとき自然物なのである。」中国の「中でも北京は他のいかなる都市よりも安眠に適している」それはどこか死に等しいような無意味を感じさせる静けさだと、言うんです。
 
 
横光利一は100年ほど前の、パリと北京の文化の違いを比較するんです。そこでの比較がすごいんですよ。パリには、兵士の死をまのあたりにしたときに「われ想う故にわれ在り」と考えたデカルト等の哲学があって、それは町並みを見ていても幾何学的な統制を感じることができる。いっぽうで1世紀前の北京には無我とでも言えば良いのか、諦観と現実と自然だけがある……。その町並みはまるで「生れる前の故郷へ帰った気」がしてくる。
 
 
横光はこう警告します。「自分の頭の中が変らなければ昨日も今日も視点は同じというべきである。ところが、(西洋文化がどんどん入ってくるわれわれの)混乱の理由は、頭を変えるべき必要のあるものと、その要のないものとの混同が、今日の混乱の有様をも形造っていることを見逃がすことは出来ない。」詳しくは本文をご覧ください。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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