こころ(1) 夏目漱石

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今日は夏目漱石の「こころ」その1を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今日から全6回にわたって漱石の「こころ」を読んでみようと思います。序盤の物語展開が、初期作品の「吾輩は猫である」の仕組みにちょっと似ているんです。まずひたすらに、猫のように、「先生」をただただ見ているという青年が現れます。ノラネコが相手を追いかけるみたいに、浜辺に居る先生を追ってゆく。この語り手は、なんというかかなり透明な存在で、自分の存在を誇示しない。3章の中間までなにも言わない。
 
 
4章から先生とのつきあいが始まる。小説がはじまって10分後のところからすでに、物語全体の展開が示されています。こういう文章です。
 
 
  私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのかわからなかった。それが先生の亡くなった今日こんにちになって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気そっけない挨拶あいさつや冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだからせという警告を与えたのである。
 
 
推理小説や一般映画ならことの真相を隠して物語を進めるはずなんですが、漱石はよく、物語の大筋を序盤にはっきりと明示するんです。これが読んでいて、なぜか興味深くなる文体というか、漱石は全体像を見せてから、徐々に内部の動向を開示してゆく。おおよそこうであった、という全体を見せてから、その真相を細部まで詳らかにしてゆく、という文体で、構成が美しいと思います。さらに漱石の全作品も、物語同士が相似しつつ進化するように構成されていると思います。いちど小さくオチを書ききってから、さらにそれを大きく展開させて物語を書くというような、なにかこう雪の結晶の構図みたいに、文章と章と起承転結と作品同士が連なっているように思います。はい。
 
 
僕の年齢では、漱石の「こころ」が、まだどうもむつかしすぎて判らない……のですが、今回序盤を読んでいて思ったのは、漱石がこれまでの作風からさらに前に進んで、よりいっそう深い物語の奥底へと向かっていると思いました。本文に、こういう文章があります。
 
 
  …………
  不安にうごかされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。
 
 
漱石の前期作品から中期へ、そして後期作品を読みはじめるようになって読者である自分が感じていることを、この「こころ」の語り手が書いている、と思いました。「こころ」は、とても読みやすい文章で構成されているんですけど、内容が極端にむつかしいように思うんです。先生の示そうとしている「価値のないもの」というのは、いったいなんなのか……。全部読み終えてみても、未だに判らないです。この物語には、小説のモデルがぜったいに居るわけが無いというか、この世界に居るはずの無い人間としか思えない「K」が登場しますし、「ない」存在というのが大写しになってると思うんです。謎めいた小説なんだと、思いつつ読んでいます。
 
 
ところで、この小説は、じつは「心」という連作短編集のなかの一つの短い物語にするつもりで、書きはじめたものなのだそうです。ところが書いているとものすごい長編になっていったので、けっきょくは長編小説として完成させたんだそうです。
 
 
 
漱石がなんでまた「こころ」でこんなふうに暗いことを深く掘り下げて描いたのか、他の漱石作品と比べてどうも判らない、というふうに思っている自分にとって、「私」の立ち位置と感覚は、なんだか理解できると思いました。漱石ははじめ、短編としてこれを書こうとした。書いていて、どうも捨て置けない、文学上重大なものを発見したから、漱石はこれを代表的な長編小説にまで育てあげた。序盤に、書き手の漱石自身をものすごく惹きつけた箇所がまちがいなくあるはずなんです。それが、いったいなんなのかがまた、謎だと思いました。
 
 
なんだか不思議な描写があって、「先生」ははじめ知り合いの外国人と海で泳いでいたという描写がある。奥さんは日本人なのに自分のことを混血だと言ったりする。両親の出生地が鳥取と東京で遠いことを、むかしは混血だと冗談みたいに言ったそうなんです。これ現代のドラマにするとしたら、奥さんはロシア人とのハーフだったりするかもしれないなと思いました。
 
 
あとやっぱり漱石は、正岡子規が結婚できなかったことについて考え続けていて、これを書いたとしか思えないなと、感じる描写がありました。漱石はこの物語で、当時はまだ成立しがたかった恋愛結婚に関して様々に記しています。自分の認識では、恋は一方通行で、愛は双方向性のものだという区別を付けているんですが、漱石はどうもそういう概念で書き分けているようでは無いですよ。「先生」と「さい」は、出会ったばかりの頃、かつてともに惹かれあっていた。それがまさに恋だったわけで、だがその関係は罪悪だったと、「先生」は述べるんです。
 
 
この描写が奇妙な表記で、誤植じゃ無いかと思って原文を調べたんですが、やはりこういう記述でなんとも乙でした。会話文のところが、丸括弧( )カッコ書きになっている。( )って、注釈というか、通常なら言葉にされないけど、じつはこうだ、という記述のはずなんですが、会話の中でこの ( ) が挿入されている。先生の妻が「私」に述べるシーンで、こういう原文です。
 
 
  「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚おのぼれになるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」
 
 
妻の立ち位置から見た「こころ」というのが当然存在するんだと、今ごろ気づきました。先生が、年下の「私」に対して述べた、この言葉が印象に残りました。
 
 
  私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層さびしい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立とおのれとにちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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