今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その5を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
遠い国からやって来た単身者のムイシュキン公爵を、将軍一家は温かく迎え入れる。それだけこの主人公ムイシュキンが、礼儀正しく教養があって、性格は子供のようで「哀れむべき」無害さを持った男だったからなんですが……。
将軍夫人は公爵に食事をだしてやって、公爵といろいろ話すんです。3人娘と夫人は好きなように公爵のことを解釈する。娘のアレクサンドラはこんなふうにつぶやいたりする。「この公爵はひょっとすると大の悪党だわ、けっして白痴なんかじゃなくって」……いっぽうで主人公ムイシュキン公爵はこんなふうに自己分析する。
発作が起きないかぎりは、公爵は聡明で論理的なことを考えられる。そういえば今までの発言も、突如異様なことを言うことがあるんですけど、普段は、いたって普通なんです。それからずいぶん詩的なことを言ったりする。
「公爵は非常に賢いかた」なんですけれども同時に「白痴」とか「変人」とかいうふうに思われている。公爵は美しい風景をまのあたりにしながら感じる「不安」について語るのでした。
日本にも「ナポリを見てから死ね」という奇妙なことばが伝わっていますが、ドストエフスキーもスイスの風景と同時に、イタリアのナポリの活気のある町並みについて今回ちょっとだけ書いています。公爵はナポリのことを考えながら「監獄の中ででも、立派な生活は見いだせるものだ」という思いを抱くようになった。
そういえば、ドストエフスキーは現実に監獄に入っていて、そこで、いろんなことを考えていたわけですよねえ。うーむ……。読み方としては正しくないのかもしれないんですが、ドストエフスキーの現実の生き方と、物語がどう繋がっているのか、もっとちゃんと学んでみたいなあと思いました。こんかいドストエフスキーは監獄という言葉を18回、驢馬という冗談を21回使ってます。主人公は、死刑に処される寸前の囚人について、さかんに語るんです。
この小説が時代の流れと共に消え去らなかった原因のひとつには、白痴というのが他人のことではなくて、作家自身が監獄の中で陥った、自らの思いを描いているからなんだなと思いました。ドストエフスキーは自らの体験のことを白痴の心情として言いあらわしている。絵を嗜んでいる将軍姉妹にたいして「白痴」のムイシュキン公爵はこんなことを言ってしまう。
「実際、僕は、あなたが画題をとおっしゃった時、題材を差し上げるつもりがあったのです、それは、断頭機が落ちて来る一分間前に、その板の上に横になろうとして、まだ刑場の上に立っている時の死刑囚の顔をお描きになるようにと」
それからしばらく、公爵はグロテスクな話しをするのでした。

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ゲーテは詩心についてこう記します。
わたしがどんなに迷ひ、どんなに努めたか
どんなに悩み、どんなに生きたかは
ここなる花輪の花となる
さうして老境もまた青春も
徳も不徳も集めて見れば
また捨てがたい歌となる
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