放浪記 第二部 林芙美子

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今日は林芙美子の「放浪記 第二部」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
放浪記の第一部では、「お父つぁん、俺アもう、学校さ行きとうなかバイ……」と言っていた少女が、炭坑の町で行商をしていたことなどが描かれ、東京に一人出てきて新宿の町で貧しさにあえいでいた話が記されていたのですが、第二部ではいよいよ作家になった林芙美子の姿が描かれてゆきます。
 
 
林芙美子は恋愛中の心理よりも、それが去ったのちの心情を描くんです。これにしびれます。良い思い出と言うよりも、どちらかというと悲しい思いなんですけど。こういう内容なんです。「あんなにつくした私の男が」良いところの大学に入って良いところで働いて、おちぶれた自分のことは忘れてすましている。そういう事実に涙が出てしまう。
 
 
東京の新宿と、広島は向島という地方とを行き来する女の姿が描かれているんですが、瀬戸内海の島に住む惚れた男とはうまくゆかず、好きでも無い男には言い寄られるという、戦前の恋愛模様が描かれます。
 
 
田中一村という画家が、中心的画壇の世界を捨てて奄美大島へと移住したんですが、林芙美子の美意識と共通するところがあるなあと思いました。林芙美子はこの作中で「ゴオガンだの、ディフィだの、好きなのですけれど、重苦しくなる時があります。ピカソに、マチイス、この人達の絵を見ていると、生きていたいと思います」と書いています。田中一村は都会暮らしの全てを捨てて奄美大島へ行くときに、ピカソの画集一冊だけを手に持って旅立ったんですよ。新しい生を求めるときに、ピカソの絵が想起されるというのが二人に共通しているんです。
 
 
林芙美子は、自分自身や家族や友人らの生活が、苦しい生活の連続だったと告白します。作家として有名になってお金が入ってきても、生活が安定しない自分たち家族のことを、放牧の民のようであったと記します。この自伝に登場する、恋した男は頼りにならないんですが、親子愛と言うのの描写が美しくて、「お君」さんという女とその子どもや、作家自身と母との描写が美しいです。
 
 


 
 
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(約100頁 / ロード時間約30秒)
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