彼岸過迄(14)結末 夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(14)結末」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回は、タイトルは「結末」なんですけど、結末と言うよりも、「あとがき」みたいになっています。でもあとがきとはまた違っていて、やっぱり創作で、登場人物たちの行く末がさらっと描きだされている。
 
 
今回の漱石は、語り手と主要人物との距離、ということに意識を集中して、物語を転じていったと思うんですが、その遠景のカメラワークや、接写のコントラストが美しかったように思うんです。遠いところに居る人の感情と、ごくごく近くで起きる事態への感情の対比がみごとでした。
 
 
今回のこの「結末」は、小説に附属していなくても、じゅうぶん物語が完結していたと思うんです。でも、登場人物たちとは異なる視点でこれを描きだされているとなんと言うんでしょうか、文学賞の選者が、受賞作を講評している内容にかなり似ていてですね、というか「漱石・子規・鴎外」でやる俳句の寸評みたいで、なんともおもろいんです。蛇足とはまったく思わない、内容なんです。
 
 
小説を、始めから最後まで、短編小説として書き直す感じで、全体を流れるように描いています。次ぎに何を書こうか、というのを思いつつ、漱石はこの「結末」を書いたんじゃなかろうかと思いました。小説と小説の間にある繋ぎ目の何かみたいに見えました。
 
 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。(縦書きブラウザの使い方はこちら
http://akarinohon.com/letters/higansugimade14.html
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山羊の歌(44) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その44を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回で「山羊の歌」は完結です。中也は旧約聖書を読んでいて、今回、ソロモンと太陽について、まず描きだしています。
 
 
中也の詩集は衰えるところがなく、始めから最後までずっと新しい表現を作りつづけたんだなあ、と思いました。中也の詩集は終わることの無い問いとでも言うべきエネルギーに満ちていて、あと100ページくらいこの詩集を読んでゆきたいと思うような内容でした。
 
 
中也の詩には終着駅が無くって結論を急かさない。中也の詩は循環する問いに満ちていて、問うことそのものが詩になっている、と思ってたんですけど、中也はそのことを、今回具体的に書いていますよ。おわりの詩が、明るいんですよ。何度でも読める詩集だなあと思いました。
 
 
詩集のさいごの一行がすごい。こういう感覚ってじつは言葉にすることが出来たんだなと衝撃を受けました。中也は、詩を読む人々への語りかけが本当に上手いと、遠いところにいる人に言葉を届かせる詩人だと、息をのむ終わり10行でした。
 
 

 
 
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好奇心 織田作之助

今日は織田作之助の「好奇心」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
これは1分で読める掌編小説です。詩よりも短いショートショートなんですけど、ちょっとおもしろかったです。オチがすてきでした。「好奇心の病気!」というのがなんか忘れがたいセリフでした。1946(昭和21)年10月というのが、こういうふうに活写されるのかと。ぶつ切れというか細切れになった言葉が逆にリアルだなと思いました。
 
 

 
 
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彼岸過迄(13)松本の話(後編)夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(13)松本の話(後編)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
いよいよ次の第14回で物語が完結します。今回が実質的には最後の章なんです。これから彼岸過迄を読み終える予定の方は、やはり以下の文章は読まないほうが楽しめるかと思います……。ご注意ください。
 
 
須永市蔵は、卒業後の旅行に出かけるのも、義理の母を心配している。漱石が、あいまいな状態の青年を描くときにそれを見守る親類のまなざしで「責任」という言葉を書くんです。これが、説得力を感じる言葉に思えました。
 
 
須永市蔵という若者に、隠されていた家の事実を教えたわけで、彼のその後に責任を感じていて、心配をしている。旅先から市蔵がハガキをよこしてくると、僕(松本)は妙に安心する。責任があるからどうするのかというと、ただひたすらに見るんです。忘れずに青年につきあって、じっと見てゆく。
 
 
旅先から届いた手紙の内容が、なんだかちょっと須永市蔵という若者の言葉というよりも、漱石の言葉になっちゃってるんですよ。一人旅の卒業旅行なのに、朝日新聞の友人を訪ねて接待を受けたりしていて、変に老成している。登場人物の心境を書くというよりかは、漱石のごく普通の心境を、ついうっかり書いちゃってるんじゃなかろうかと思いました。
 
 
この手紙に「野趣」という言葉が出て来ます。意味を調べてみたんですが、なんともすてきな言葉でした。
 
 
中野重治という作家の随筆に、こういうことが記されているんです。
 
  だいたい僕は世のなかで素樸そぼくというものが一番いいものだと思っている。こいつは一番美しくて一番立派だ。こいつは僕を感動させる。こいつさえつかまえればと、そう僕は年中考えている。僕が何か芸術的な仕事をするとすれば、僕はただこいつを目がける。もちろんたいていは目がけるだけだが。…………(中野重治/素樸ということ/ちくま日本文学全集39より)
 
 
この中野重治の言っている素朴ということを、漱石も描きだしていたような気がしました。漱石の文章はこうです。
 
 
  友人は僕をかえりみて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気のんびりした心持がしました。僕はこういう心持を御土産おみやげに東京へ持って帰りたいと思います
 
 
ここから、旅の手紙が幻想的になっていって、なんだか「夢十夜」みたいでおもしろい描写でした。そうして漱石の「こころ」序盤の描写のような場面がはじまる。始まりなのか終わりなのかなんだか判らない、漱石の物語の渦の中心を描きだしているような文学描写でした。
 
 

 
 
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山羊の歌(43) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その43を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
 …………
 そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
 此の世は、海のやうなものであると。
 
 
ではじまる一連の詩の言葉が印象に残りました。
 
 
ここ半年くらい自分の考えていたことを、なぜ中原中也はこうも的確に言い当てられるんだ? というように思う詩でした。魔法を見ている気分で読んでいました。もしかしてその前の40いくつの詩を読んだことが、自分の無意識レベルにまで影響を与えていて、詩人に心を読み解かれたような、あり得ない感覚になるのかもしんないと思いました。
 
 
中也の『山羊の歌』には、悲壮感がほとんど無いように思いました。なにかこう、太く長い期間にわたって染み込んでゆくような詩集だと思いました。次回で山羊の歌は、最終回です。こんどは、西洋の詩集を読んでゆこうと思います。
 
 

 
 
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ボントクタデ 牧野富太郎

今日は牧野富太郎の「日本で最大の南天材」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
牧野富太郎は植物学者で、この随筆とwikipediaを同時に読むとミラクルにおもしろいんですけど、今回はタデの話しです。『たで食う虫も好き好き』ということわざがあって、子どもの頃これをおぼえてしょっちゅう使っていたんですけど、そのタデなんです。もう何十年も『たで食う虫も好き好き』というのは、田んぼにはいろんな虫がいるので、その恋愛や趣味も人それぞれ、だと思い込んでましたが、じっさいには、たでのように苦い植物を好きこのんで食う虫も居るんです、という意味らしいです。

 
植物は、人間にとって食糧だったり、空気や環境の調整役だったり、服だったり、美そのものだったり、毒や薬や幻想だったり、デザートだったり、パフュームだったり、科学に役立ったり文学の中心にあったり、いろんな意味があると思うんです。
 
 
牧野富太郎はボントクタデを見ながら言葉の歴史を考えてみたり、句作をしてみたりするんです。wikipediaによれば「ポンツク」というのは方言で「間抜けな所があるが、愛嬌があって憎めない人」という意味らしいです。これが地方によってはボントクとかボンクラとか呼ばれることもあって、ボントクタデ。タデはおしなべてカライ。しかしボントクタデは、タデなのにカラくない。それでボンクラタデとかボントクタデと言われているそうです。
 
 

 
 
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彼岸過迄(12)松本の話(前編)夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(12)松本の話(前編)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
須永と千代子はけっきょく、夫婦にならないし恋人同士にならないし敵対するまでいかないし、堂々めぐりの平行線をたどる人生となってしまった。これに対する漱石の文章が秀逸すぎてうなりました。本文こうです。
 
 
  取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対いっついを形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸をかもす目的で夫婦になったと同様の結果におちいるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのとえらぶところのない不満足を感ずるのである。
 
 
それで僕(松本)はどう考えるかというと《たった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、やさしいものか、を見出さなければならない。》と記している。浮気でもしない限りは、こういうものは見つからないだろうと考えている。えーと、それから本文にこう記されています。
 
 
  もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔をながめていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖いふというと仰山ぎょうさんすぎるし、同情というとまるであわれっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手をあきらめてしまわなければならない絶望に、ある凄味すごみやさをつけ加えた特殊の表情であった。
 
 
亡友の子規に対して、お前はなぜ一人だったんだ、お前の恋愛はいったいどこに消えていったんだ、という漱石の声が聞こえるような気がしました。
 
 
須永市蔵はこう言うんですよ。

  「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。
 
 
自分がどうして完全に行き詰まってしまったのか、その理由をいちばん信用できる人に聞いて学びたいんだと、須永は訴えるんです。僕(松本)はそれで……。詳しくは本文をお読みください。日本の文化と西洋の文明がまだらに入り混じりつつ自我が目覚めてゆく社会や、漱石の子ども時代の苦悩が描きだされているように思いました。須永の母は、血が繋がっておらず、ただ育ての母として子に尽くしてきたんです。本文にはこう記されてあります。
 
 
  「僕を生んだ母は今どこにいるんです」
  彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。
 
 
須永市蔵という青年は、養子として血の繋がらない両親に育てられた漱石に、少し似た幼少時代を過ごした。彼はいったいどうなるんだろうかと、いうところで、次回に続きます。いよいよ最終回です。
 
 

 
 
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