白痴(2) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ロシアのイメージというと、なんとなく冷戦時代のアメリカ映画が造り上げた、仮想敵国としての厳格な雰囲気、というのがあるんですけど、ドストエフスキーはまったく異なるロシアのペテルブルクを描きますよ。時代も違うんですが……ドストエフスキーは、エパンチン将軍を紹介するのにこう書いています。
 

彼は自分の頭の中に専制的な気持をもった人間としてよりは、むしろ他人の理想を実行する者「お世辞なしに他人に従順な」、あまつさえロシア人らしく人なつこい人間という風にさえも自分を見せかけるのが好きであった。
 
ドストエフスキーによれば、典型的なロシア人って、人なつっこい人なんですねえ。
 
  
現代ロシアにも通底していることが書いてあって「ロシアには、死刑ってものがない」と記されている。と言っても作者のドストエフスキーは死刑宣告を受けたことがあるんですけど……。
 
 
ドストエフスキーが生きたのは1821年から1881年。調べてみると、ドストエフスキーが生まれる70年くらい前に女帝エリザヴェータが死刑を禁止(1744年)してこれで20年間死刑が執行されなかった。ところがドストエフスキーの生きているころは暗殺や死刑がおおくって、彼の死後1910年ごろや1920年ごろには死刑執行が激増し、1940年前後のスターリン時代がもっともひどかったそうです……。で、現代ロシアでは死刑が禁止されている。ドストエフスキーは死刑のことについて、こんかい作中でこう書いています。
 
死刑たるや魂の凌辱りょうじょくにほかならない、ただそれだけだ。『殺すべからず』と聖書には書かれています。それだのに、人が人を殺したからといって、その人を殺してもいいものでしょうか? 断じて、そんな法はない。僕は死刑の場を見てから一か月になるけれど、いまだにまざまざと眼に見えるようです。もう五度も夢みたほどです
 
 
それから「宣告文を読んで人を殺すのは、強盗が人を殺すことよりも、もっと、比べものにもならないほど恐ろしいことです。」とムイシュキンに言わせているんですけれども、ロシアのドストエフスキー後の歴史をちょっと調べてみると、この文学の射程がとても長い……100年以上読者を魅了しつづける文学の魅力を感じました。
 
 
あとギロチンの話題などがありました。wikipediaと同時に読んでいると、なんだかすごい人類の歴史を学んだ……ような気分になりました。ムイシュキンは死刑にされる者の苦しさについて、ついに「キリストもいっています」とさえ言ってしまう。このあたりの饒舌は、聖なる愚者という気配があって迫力がありました。
 
 
物語はこう進展します。「将軍の三人の娘たち」は「三人が三人とも美人」で「娘たちについては賞讃すべきことが、数かぎりもなく伝えられている」……ドストエフスキーは、ベタなところも深いところも、両面を備えているのが特徴で、主人公ムイシュキンは、こういった家族のところに「お近づきになろうと思って」やって来る。主人公ムイシュキンとエパンチン将軍夫人は、とおい親戚なんです。
 
 
ムイシュキンは、初対面でもしょうじきにいろいろ話してしまう男で、「おめでたい人」だと思われてしまったり、かなり好かれつつイライラさせもする性格をしている。ムイシュキンは、エパンチン将軍にはじめて面会することになった。次回に続きます。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  
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白痴(1) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その1を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今日からドストエフスキーの「白痴」を読んでみようと思います。ペテルブルグの鉄道の中から物語がはじまるわけなんですが、これがどこにあるかというと、世界地図でみると、こちらがペテルブルグの場所です。ロシアは広いですから、日本のすぐ近くにもロシア領のオホーツクがあるし、フィンランドのすぐ近くのサンクトペテルブルグもあって、こういう遠い異国の物語を読めるのは嬉しいなあと思います。時代の違いのみならず、地理の違いがすごそうで、wikipediaによれば、意外と夏は暑くなって35度を超えることもある。しかし真冬はマイナス30度を下回る極寒の地です。日本の平均的な場所なら真冬でも0度に行かないくらいです。
 
 
熱を持つイメージが、ドストエフスキーが好きなのは、こういう地理的な理由があるんだなとか思います。ドストエフスキーは作中にこう記していますよ。
 

……灰色の、小さいながらも、燃えるような眼をしていた。
 
……この顔を見て眼につくのは、死人のように青ざめた顔色で、それがこの青年に、かなりにがっしりした体格をそなえているにもかかわらず、疲憊ひはいしきったような風貌をあたえていた
 
スイスからやって来た、病持ちの男ムイシュキン。彼は病人でありながら旅をしている放浪者でもある。療養できる地を探して、スイスにしばらく滞在して、行き場のあても無いのにロシアはペテルブルグにやってきた。地主貴族ニコライ・アンドレーヴィッチという遠い縁者をたよってこの地を訪れた主人公ムイシュキン。
 
 
それと縮れた黒髪に浅黒い顔をした体格のいいロゴージンという、成金みたいな怪しい男が現れる。この男が父から譲り受けたと噂される250万ルーブルの遺産は、そうとうな大金なんです。まあ噂だからそんなに金持ちじゃ無い。野蛮なロゴージンの恋愛話のなかで、ナスターシャという美人が登場する。これが今回の物語のヒロインなわけなんですが……次回に続きます。
 
 
鉄道で出会ったムイシュキンのことを、ロゴージンは妙に気に入ってしまった。主人公ムイシュキンも、この荒々しい男ロゴージンが好きになった。それで、ロゴージンは、ちょっと家まで来いと言うんです。これは……いったいどうなるんでしょうか。
 
 

 
 
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痴人の愛(3〜4) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「痴人の愛」その(3〜4) を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回の「痴人の愛」はすんなりと読んでゆける文体なんです。言文一致運動から、皆が読める小説の文体が作られはじめて、誰でもほぼ確実に読める小説の基本形ができあがったのは、谷崎からだったような気がするんです。でも内容はドストエフスキー並にえげつないところもある。小学生でも読めるけれども、小学生には刺激が強すぎるだろう、という内容なんです。日常の延長線上にある危機が描かれているので、ダンテ地獄篇よりも危ない内容かもしんない。
 
 
パッと読めちゃう本を書いた谷崎自身は「陰翳礼賛」で、じつはこのように語っています。
 
 
  私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂ののきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。
 
 
谷崎本人は、けっしてあらゆる子どもに、自分の文学作品を広く読んでもらいたいわけでは無かった。でも大正時代にこんなにもさらっと読めてしまえる現代語で描かれた小説というのは、他に存在していないくらい、とても読みやすい平明な文体なんです。谷崎が読みにくいとしたら、それが長編作品で、読み終えるのに時間がかかるということだけで、文章自体にむつかしさは無いんです。
 
 
谷崎が『痴人の愛』を描いたのは1924年(大正13年)で、「陰翳礼賛」を発表したのが1933年(昭和8年)。それ以降もしかすると、「陰翳礼賛」で追及された文学観に近づいた、奥深い作品が記されていったのかもしれないです。こんご後期作品も読んでみたいなと思います。
 
 
それで今回の第3章冒頭で、洋風建築のおとぎの家に住みはじめた「私」とナオミは、友だちづきあいするみたいに(というか恋人同士で同棲するみたいに)二人暮らしをスタートした。なんだか現代のテレビドラマで出てきそうな設定ですよ。大正時代っつーたら、丑松が草鞋をはいて旅をしていて、竹の皮に巻いたおむすびをほおばって、別れぎわに飲んだ緑茶のあたたかさに涙するような、そんな時代のほんの数年後のころですよ。谷崎潤一郎は、世界を一挙に現代化してしまった。
 
 
今ゲームとかで、自分の家をデコレーションして遊ぶというものが多いですけど、谷崎はそういう趣味的なことを小説の中に書いている。15歳では昔も今も、自由に出来ないことが多いわけですけど、谷崎はそういうフリーダムな世界があるよということを描いています。
 
 
屋根裏部屋にしつらえた寝具で、2人ちょっと離れて眠るなんていうような、なんとも10代の頃の夢想をかき立てるような設定が次から次に出てくるんです。屋根裏部屋ですよ屋根裏部屋! 現代ならロフトにベッドをしつらえる感じでしょうか。そういえばドストエフスキーの「罪と罰」も主人公は屋根裏部屋に住んでいた。
 
 
朝食は気が向いたほうが交互に作ろうかとか、美味しいものを食べたいなら近くの洋食屋に行こうかとか……。大正時代なのに、じつにオシャレな文学があったもんだと思いました。こんな生き方をしてみたい。 
 
 
谷崎潤一郎の最大の特徴は、起承転結の転の、このやたらな転がりぐあいが強烈で、そこが魅力だと思うんですけど、物語のはじまりの、「起」のガッチリとした設定の妙に舌を巻きました。谷崎はまるで魔法使いみたいに、美しい幻を見せるもんだと、思いました。はい。とうじは映画よりも、小説こそが、みごとな幻を見せるヴァーチャル空間の、最前線の現場そのものだったんだなと感じました。
 
 
どうでも良いことなんですが、大森海岸というのがみすぼらしい海水浴場として大正時代から有名だったようですが、これいま現代ではどうなっているかちょっと調べてみたら衝撃でした。「大森海岸駅」という駅があるんですけど、肝心の海岸はもはやどこにもない……。海岸と銘打っているのに、海岸じゃ無い。自由奔放なナオミじゃなくても、この海岸はイヤだと思いました。
 
 
自由な世界にも、上には上が居るもので、バカンス中に、もっとよりハイカラな人々に巡りあってしまって、2人はちょっとかなり、とまどってしまった。どうも自分たちの手にしているフリーダムと言うのは、比べてみるととても安っぽいもののようである…………。
 
 
作中でナオミが歌っている「サンタ・ルチア」というのは、どうもこの歌のことのようです。それからハイネ詩集に登場した「ローレライ」という19世紀にかなり有名になった歌は、これです。この歌を、ナオミは海辺できげんよく歌った。
 
 
谷崎潤一郎は、漱石をもっとも尊敬しているわけなんですけど、こんかい漱石「草枕」のこの箇所に言及していました。漱石の原文はこうです。
 
 
  「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹いちまつの淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋白石とんぼだまの空のなかにまるき柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高くそびえたる鐘楼しゅろうが沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏きせつの苦しみを与う。男と女は暗き湾のかたに眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らかにゆらぐ海はあわそそがず。男は女の手をる。鳴りやまぬゆづるを握った心地ここちである。……」
 
こう続きます。
 
  「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰めることばなんです。――真夜中の甲板かんぱんに帆綱を枕にしてよこたわりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手をしかりたる瞬時が大濤おおなみのごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、いられたる結婚のふちより、是非に女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は眼をずる。――」
 
 
谷崎は上述の箇所を引用しつつ、こう書き記します。谷崎の原文は以下のとおりです。
 
 
  …………その時思い出したのはかつて読んだことのある夏目漱石の「草枕」です。そうです、たしかあの中に、「ヴェニスは沈みつつ、ヴェニスは沈みつつ」と云うところがあったと思いますが、ナオミと二人で船に揺られつつ、沖の方から夕靄ゆうもやとばりとおして陸の灯影を眺めると、不思議にあの文句が胸に浮んで来て、何だかこう、このまま彼女と果てしも知らぬ遠い世界へ押し流されて行きたいような、涙ぐましい、うッとりと酔った心地になるのでした。
 
 
海で遊びつかれた「私」とナオミとの、風呂場での奇妙な関係性がとても印象に残りました。
 
 

 
 
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彼岸過迄(14)結末 夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(14)結末」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回は、タイトルは「結末」なんですけど、結末と言うよりも、「あとがき」みたいになっています。でもあとがきとはまた違っていて、やっぱり創作で、登場人物たちの行く末がさらっと描きだされている。
 
 
今回の漱石は、語り手と主要人物との距離、ということに意識を集中して、物語を転じていったと思うんですが、その遠景のカメラワークや、接写のコントラストが美しかったように思うんです。遠いところに居る人の感情と、ごくごく近くで起きる事態への感情の対比がみごとでした。
 
 
今回のこの「結末」は、小説に附属していなくても、じゅうぶん物語が完結していたと思うんです。でも、登場人物たちとは異なる視点でこれを描きだされているとなんと言うんでしょうか、文学賞の選者が、受賞作を講評している内容にかなり似ていてですね、というか「漱石・子規・鴎外」でやる俳句の寸評みたいで、なんともおもろいんです。蛇足とはまったく思わない、内容なんです。
 
 
小説を、始めから最後まで、短編小説として書き直す感じで、全体を流れるように描いています。次ぎに何を書こうか、というのを思いつつ、漱石はこの「結末」を書いたんじゃなかろうかと思いました。小説と小説の間にある繋ぎ目の何かみたいに見えました。
 
 

 
 
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彼岸過迄(13)松本の話(後編)夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(13)松本の話(後編)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
いよいよ次の第14回で物語が完結します。今回が実質的には最後の章なんです。これから彼岸過迄を読み終える予定の方は、やはり以下の文章は読まないほうが楽しめるかと思います……。ご注意ください。
 
 
須永市蔵は、卒業後の旅行に出かけるのも、義理の母を心配している。漱石が、あいまいな状態の青年を描くときにそれを見守る親類のまなざしで「責任」という言葉を書くんです。これが、説得力を感じる言葉に思えました。
 
 
須永市蔵という若者に、隠されていた家の事実を教えたわけで、彼のその後に責任を感じていて、心配をしている。旅先から市蔵がハガキをよこしてくると、僕(松本)は妙に安心する。責任があるからどうするのかというと、ただひたすらに見るんです。忘れずに青年につきあって、じっと見てゆく。
 
 
旅先から届いた手紙の内容が、なんだかちょっと須永市蔵という若者の言葉というよりも、漱石の言葉になっちゃってるんですよ。一人旅の卒業旅行なのに、朝日新聞の友人を訪ねて接待を受けたりしていて、変に老成している。登場人物の心境を書くというよりかは、漱石のごく普通の心境を、ついうっかり書いちゃってるんじゃなかろうかと思いました。
 
 
この手紙に「野趣」という言葉が出て来ます。意味を調べてみたんですが、なんともすてきな言葉でした。
 
 
中野重治という作家の随筆に、こういうことが記されているんです。
 
  だいたい僕は世のなかで素樸そぼくというものが一番いいものだと思っている。こいつは一番美しくて一番立派だ。こいつは僕を感動させる。こいつさえつかまえればと、そう僕は年中考えている。僕が何か芸術的な仕事をするとすれば、僕はただこいつを目がける。もちろんたいていは目がけるだけだが。…………(中野重治/素樸ということ/ちくま日本文学全集39より)
 
 
この中野重治の言っている素朴ということを、漱石も描きだしていたような気がしました。漱石の文章はこうです。
 
 
  友人は僕をかえりみて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気のんびりした心持がしました。僕はこういう心持を御土産おみやげに東京へ持って帰りたいと思います
 
 
ここから、旅の手紙が幻想的になっていって、なんだか「夢十夜」みたいでおもしろい描写でした。そうして漱石の「こころ」序盤の描写のような場面がはじまる。始まりなのか終わりなのかなんだか判らない、漱石の物語の渦の中心を描きだしているような文学描写でした。
 
 

 
 
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彼岸過迄(12)松本の話(前編)夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(12)松本の話(前編)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
須永と千代子はけっきょく、夫婦にならないし恋人同士にならないし敵対するまでいかないし、堂々めぐりの平行線をたどる人生となってしまった。これに対する漱石の文章が秀逸すぎてうなりました。本文こうです。
 
 
  取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対いっついを形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸をかもす目的で夫婦になったと同様の結果におちいるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのとえらぶところのない不満足を感ずるのである。
 
 
それで僕(松本)はどう考えるかというと《たった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、やさしいものか、を見出さなければならない。》と記している。浮気でもしない限りは、こういうものは見つからないだろうと考えている。えーと、それから本文にこう記されています。
 
 
  もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔をながめていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖いふというと仰山ぎょうさんすぎるし、同情というとまるであわれっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手をあきらめてしまわなければならない絶望に、ある凄味すごみやさをつけ加えた特殊の表情であった。
 
 
亡友の子規に対して、お前はなぜ一人だったんだ、お前の恋愛はいったいどこに消えていったんだ、という漱石の声が聞こえるような気がしました。
 
 
須永市蔵はこう言うんですよ。

  「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。
 
 
自分がどうして完全に行き詰まってしまったのか、その理由をいちばん信用できる人に聞いて学びたいんだと、須永は訴えるんです。僕(松本)はそれで……。詳しくは本文をお読みください。日本の文化と西洋の文明がまだらに入り混じりつつ自我が目覚めてゆく社会や、漱石の子ども時代の苦悩が描きだされているように思いました。須永の母は、血が繋がっておらず、ただ育ての母として子に尽くしてきたんです。本文にはこう記されてあります。
 
 
  「僕を生んだ母は今どこにいるんです」
  彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。
 
 
須永市蔵という青年は、養子として血の繋がらない両親に育てられた漱石に、少し似た幼少時代を過ごした。彼はいったいどうなるんだろうかと、いうところで、次回に続きます。いよいよ最終回です。
 
 

 
 
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彼岸過迄(11)須永の話(後編)夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(11)須永の話(後編)」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
  僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。
 
  母はふところから千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。
 
 
と、いうように須永の過去の物語が語られてゆきます。親戚のよく知っている者どうしで連泊の旅行をする。そこで高木という家族を知る。明治時代なのに、高木の兄はアメリカに行っているそうで、裕福で行動的な家庭らしい。須永は、知らない人に会うのが苦手だから、みんなを残して旅の途中で帰るとか言いはじめた。この態度に、いとこの千代子は「変人!」と言って怒ってしまった。本文こうです。
 
 
  彼女は僕をつらまえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。
 
 
須永は、いとこの千代子のことを「小さな暴君タイラント」とひそかに呼んで、タイフーンみたいな女だと思って、年下なのに尊敬している。それでやむをえず、彼女たちについてゆくことになった。「要するに僕は千代子の捕虜になったのである。」と本文には記されています。
 
 
高木は性格も容姿も好青年だった。ひがみっぽくて変な性格をしている僕(須永)の性分にあわない。漱石は、家族や親戚の明るくむつましいところを描くんです。
 
 
親戚みんなで船釣りに行く。高木はとにかく明るくて礼儀正しくて、好青年すぎるので、「僕」はどうしても彼から逃げたい。漱石は、家族や親戚から独立してゆく青年を、さまざまに描きだしていったと思うんですが、今回の高木は、その良き親類の象徴みたいなところがあるんじゃないかと思いました。
 
 
須永の性格がなかなかひねくれてて、良いんですよ。世に出たがらない男とか、欲しがらない男とか、こういう人物像を読んでゆくのが楽しいんだと思いました。須永の恋愛観がなんともすごいんです。本文こうです。
 
 
  僕には自分になびかない女を無理にく喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕きずあとさみしく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。
 
 
漱石は《嫉妬心しっとしんだけあって競争心をたない僕にも相応の己惚うぬぼれは陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎かげろったのである。》と書くんです。漱石は、みごとになにかを言い当てているような気がするんです。これはなんだか、現代的な人物像だなと思いました。「僕」は勝とうという意志がまったく無い。千代子と結ばれようというように考えない。じゃあどういうように生きるのかというと、漱石はこう書きます。《僕は始終詩を求めてもがいているのである。》
 
 
作中、こんな場面があるんです。
 
 
  「……僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう」
「じゃ卑怯の意味を話して上げます」と云って千代子は泣き出した。
 
 
こういう場面もあります。
 
 
  「…………なぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……」
彼女はここへ来て急に口籠くちごもった。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まださとれなかった。「御前に対して」となかば彼女をうながすように問をかけた。彼女は突然物をき破った風に、「なぜ嫉妬しっとなさるんです」と云い切って、前よりははげしく泣き出した。
 
 
読んでいてやっぱりこう、須永はほとんど許嫁みたいに深い仲であった千代子に、結婚を申し込めばいいじゃないか! ぐずぐずしすぎたのだ! 言い訳がひどい、たしかに千代子の言うとおり「卑怯」なところがあるなあーと、思いました。どうも振られるのがすごく怖いようです……。
 

千代子に良い未来をもたらしそうな好青年の高木に対して、僕(須永)は嫉妬していて卑屈になっている。それに対しての千代子の批判がこうです。
 
 
  ……高木さんは紳士だからあなたをれる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」
 
 
この投げっぱなしジャーマンのような、須永の物語の終わり方に、痺れました。あと2回で完結です。
 
 

 
 
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 幼かった頃の夢想のことを、ゲーテは「黄金の空想よ」と記します。ゲーテの詩には、神話的なものと理知的なものが混在していて、これが魅力のように思います。ゲーテはゲルマン神話と、とくにギリシャ神話の影響が色濃いようです。
 この詩集は生田春月が翻訳をした作品です。ゲーテは政治家としても活躍し、かのナポレオンからも尊敬されていた作家で、その言葉を詩で楽しめるというのは、なんだか嬉しいように思います。

  

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