ハイネ詩集(2)

今日は生田春月訳の「ハイネ詩集」その2を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ハイネのことを調べてみると、ドイツからフランスへ向かった詩人だということが明らかになるんですけど、詩を読んでいても、これはドイツ文学と言うよりも、フランスっぽいぞと言う感じがしてくる気がしました。ドイツというと、ニーチェとかトーマスマンとか……。
 
 
はじめの詩は、ハイネが大学時代の20代に記されたもので、甘い恋を描きだしています。恋人との戯れと、それから悪魔たち、という描写が新鮮でした。ハイネは新しい詩人というわけでは無いんですが、現代にも日本近代詩人にも無い感覚を表現していて、読んでいてうっとりしました。夢魔に恋人を奪われるという暗黒童話のようなところを詩に描きだしているんです。やっぱり生田春月は、初期の詩でいちばん良いのを冒頭に持ってきたのかなと思いました。
 
 
サーカスのピエロのように鮮やかな衣装を着た、竹馬に乗った小男というのが、とても印象深かったです。
 
 

 
 
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万葉歌のイチシ 牧野富太郎

今日は牧野富太郎の「万葉歌のイチシ」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
牧野富太郎は、植物学者なんですが、万葉集に書き記された、イチシという植物の謎をこの随筆に書いています。壱師、というのが消えてしまった言葉で、どのくらい消えているかというと、岩波国語辞典にも新明解国語辞典にも明鏡国語辞典にも、wikipediaにもデジタル大辞泉にもマイペディアにもデイリーコンサイス国語辞典にも漢字源にも記されていない言葉です。
 
 
で、自分でもいろいろ調べてみたんですが、広辞苑にはこの消えた言葉「イチシ」の解説が載っていました。こう記されています。
 
 
  いちし【壱師】 ギシギシの古名。また、エゴノキ、クサイチゴなどとも。万葉集11「路のべの―の花のいちしろく」 [岩波書店 広辞苑 第五版]より
 
 
言語の専門家によれば、ギシギシの古名らしいです。ただ、植物学者の牧野富太郎は、どうもそうじゃない、と書くんです。
 
 
タケニグサのように思えるが、どうも彼岸花らしいと。
 
 
山の畑のあぜ道に、鮮やかに咲く彼岸花って、ぼくも見たことあるんですけど、あれこそ「灼然いちじろく」に相応しいだろう、と言うんです。
 
 
ところで、この「灼然いちじろく」という言葉、調べてみると、三省堂 大辞林によれば「灼然しゃくぜん」 ① 輝くさま。 ② あきらかなさま。明確なさま。判然。という意味なんですが、灼然いちしろにふさわしい花が、なんの花なのかよく判らず釈然しゃくぜんとしない……。
 
 
灼然しゃくぜんなのに釈然しゃくぜんとしない、というのはじつに意外な事態だなと思いました。
 
 
自分でも調べてみて、やっぱり牧野富太郎の言うとおり、【壱師いちし】は、彼岸花の可能性が高い、と思いました。
 
 
ところで、wikipediaによれば、棚田などで彼岸花が咲きほこる理由は、どうも田畑の穀物を守るための害獣対策として、根に毒を持つこの花を、農家の方々が、田んぼの畔に植えているから……なんだそうです。牧野富太郎とwikipediaを同時に読むと、曰く言いがたく面白いんですよ。
 
 

 
 
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陰翳礼讃(1) 谷崎潤一郎

今日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回から10回くらいに分けて、谷崎潤一郎の随筆を読んでゆこうと思います。谷崎は日本の美について記しています。電気や電灯が一般の家に入り始めた時代に、どういう生活美があったかというのを書いています。
 
 
池と庭と縁側と障子と畳がぜんぶシームレスに繋がっているのが、そもそもの旧来の和室の、風通しの良い構成なんですけど、今の旅館でこれはあり得ないですね。開けっ放しでは蚊も入ってくるし。
 
 
和室に電気製品をどう置くかという問題は、見た目上は現代のほうがもう解決してしまっていて、クーラーもコードも全部天井裏や壁の中に入ってしまっていて、どこにも隙が無い和室が、今はあるなあとか思いながら読んでいました。でも構造はぜんぜんちがう。現代のはガラスの密室になっている。
 
 
谷崎潤一郎は、紙障子が好きなんですけど、嵐や冷気の問題でどうしても不便で、外側にガラス窓を設えて二重にするしか無く、これがなにか別ものだと言うんです。谷崎潤一郎は、鎧戸は使っていたんだろうかと思いました。
 
 
なんだか「トポロジー的には、トーラスはどれだけ伸縮してもいい。有名な例は、ドーナツとコーヒーカップは同相である、というものである」というまったく関係無い話しを思いだしました。
 
 

 
 
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ハイネ詩集(1)

今日は生田春月訳の「ハイネ詩集」その1を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今日から、ハイネ詩集を読んでゆきたいと思います。今回は、詩集の冒頭にある、翻訳者生田春月の前書きです。ハイネは、ゲーテやリルケのように有名な詩人ではなくって、日本ではとくに、ここ30年くらい、大手出版社から詩集が出ていないようなんですが、ハイネの祖国やまた日本でも、長らく読みつがれて来た詩人なんです。
 
 
じつは宮沢賢治も、ハイネ詩集を愛読していたんです。キツネが恋人の樺の木に、このハイネ詩集を貸して、木は夜になるとこのハイネ詩集を愛読した……というシーンが印象的な童話があるんです。
 
 
調べてみたんですが、どうもハイネはひとことでは言いあらわせない詩人で、いろんなことが起きているんです。祖国ドイツを政治的な問題で追放されたり、いっぽうでドイツという祖国への愛を歌った詩が数多に残されていたり、世界文学者としてフランスを愛していたり、詩人としての名を抹消されたり、逆に祖国にハイネ大学という、詩人の名が刻まれた大学があったりするんです。ハイネは、恋愛詩をおもに書いたそうです。これから約80回くらいかけて、この詩を読んでゆこうと思います。
 
 
生田春月は、この詩集を1919年(大正8年)に発表しています。賢治が物語の中でハイネ詩集について書きあらわすのが1923年(※推定だそうです)で発表されたのが賢治が亡くなった翌年の1934年。はたして生田春月訳のこの詩集を、賢治が愛読していたのかどうかは、僕が調べた範囲では謎なんです。
 
 

 
 
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メールストロムの旋渦 エドガー・アラン・ポー

今日はエドガー・アラン・ポーの「メールストロムの旋渦せんか」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
ポーはこういう文章を冒頭に置くんです。
 
 
  自然における神の道は、摂理におけると同様に、われら人間の道と異なっている。また、われらの造る模型は、広大深玄であって測り知れない神のわざにはとうていかなわない。まったく神の業はデモクリタスの井戸よりも深い。 / ジョオゼフ・グランヴィル
 
 
これが記憶に残りました。ポーはこの自然界のことを考えつつ、どういうように物語を展開させるかというと、「ノルウェーの海岸 / ロフォーデン地方」つまりロフォーテン諸島のことなんですが、その海で起きる巨大な渦巻の”メイルストロム”について書いています。 
 
 
メールストロムの旋渦せんかこのすぐ側を通りぬけて、命がけで漁をしてきた老翁が、ある事件について語るんです。いつもはすんでのところでこの渦に飲みこまれずに、魚を釣って帰ることができたのに、その日は突然やって来た台風に全てをもってゆかれてしまった。ここから先の描写が凄まじかったです。くわしくは本文をご覧ください。
 
 

 
 
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彼岸過迄(14)結末 夏目漱石

今日は夏目漱石の「彼岸過迄ひがんすぎまで(14)結末」を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回は、タイトルは「結末」なんですけど、結末と言うよりも、「あとがき」みたいになっています。でもあとがきとはまた違っていて、やっぱり創作で、登場人物たちの行く末がさらっと描きだされている。
 
 
今回の漱石は、語り手と主要人物との距離、ということに意識を集中して、物語を転じていったと思うんですが、その遠景のカメラワークや、接写のコントラストが美しかったように思うんです。遠いところに居る人の感情と、ごくごく近くで起きる事態への感情の対比がみごとでした。
 
 
今回のこの「結末」は、小説に附属していなくても、じゅうぶん物語が完結していたと思うんです。でも、登場人物たちとは異なる視点でこれを描きだされているとなんと言うんでしょうか、文学賞の選者が、受賞作を講評している内容にかなり似ていてですね、というか「漱石・子規・鴎外」でやる俳句の寸評みたいで、なんともおもろいんです。蛇足とはまったく思わない、内容なんです。
 
 
小説を、始めから最後まで、短編小説として書き直す感じで、全体を流れるように描いています。次ぎに何を書こうか、というのを思いつつ、漱石はこの「結末」を書いたんじゃなかろうかと思いました。小説と小説の間にある繋ぎ目の何かみたいに見えました。
 
 

 
 
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山羊の歌(44) 中原中也

今日は中原中也の「山羊の歌」その44を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回で「山羊の歌」は完結です。中也は旧約聖書を読んでいて、今回、ソロモンと太陽について、まず描きだしています。
 
 
中也の詩集は衰えるところがなく、始めから最後までずっと新しい表現を作りつづけたんだなあ、と思いました。中也の詩集は終わることの無い問いとでも言うべきエネルギーに満ちていて、あと100ページくらいこの詩集を読んでゆきたいと思うような内容でした。
 
 
中也の詩には終着駅が無くって結論を急かさない。中也の詩は循環する問いに満ちていて、問うことそのものが詩になっている、と思ってたんですけど、中也はそのことを、今回具体的に書いていますよ。おわりの詩が、明るいんですよ。何度でも読める詩集だなあと思いました。
 
 
詩集のさいごの一行がすごい。こういう感覚ってじつは言葉にすることが出来たんだなと衝撃を受けました。中也は、詩を読む人々への語りかけが本当に上手いと、遠いところにいる人に言葉を届かせる詩人だと、息をのむ終わり10行でした。
 
 

 
 
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