今日は和辻哲郎の「巨椋池の蓮」を紹介します。
つい先日、日食というのがテレビでさかんに中継されていて「あれなんか変だな」と思いました。日食というのはけっきょくのところ、月が雲に隠れるのと、たいした違いは無い、とぼくは思ったのです。じっさい地球上ではあらゆる場所でほぼ毎年日食が起きていますし、日食が起きても辺りはまっ暗にはなりませんでしたし、歴史書に記されているらしい「日食となって動物が騒ぎたてた」なんてことはウソだったですし、やや日光が遮られているだけで、曇りの日よりははるかに明るかったし、肉眼ではそのありさまは察知できないほどの些細な変化なのでした。たしかに遮光ガラスなどを通してみれば日食はきれいに映し出せるわけで、テレビ局はその映像を映し出していたんですが、ぼくにはその意図するところがさっぱり理解できませんでした。それよりも台風や洪水のほうが大きな出来事です。
ちょっと考えてみると、なぜ日食がそれほど注目されるのかというと、それは科学や技術の就労者がその事実を誇張してきたからだ、と思ったんです。ふつうに考えれば、日食は、ただ月が雲にかくれるのと、ほとんど同じ。「日食=単に日光が一瞬さえぎられるだけ」そういうあたりまえのことに気付きにくくしているのは、変な技術を誇張する人が居るからなんだと思います。
歪な社会のなかで生きるのなら「自然を師とし、自然を手本とすることが大切だ」と石田梅岩は説きました。和辻哲郎のこの随筆を読むと、今はもうすべてが田んぼとなった巨椋池の美しい情景をまのあたりにしたように思えて清々しい気持ちになりました。巨椋池があった場所へ行ったことがあるんです。一面の田んぼと、古い家が幾つか残っていて、桜並木や神社がありました。そこには洪水があったことを伝える石碑が残っていて、かつてここが猟師たちの村だったことが記されていて、自然のことを忘れずに記して残してありました。蓮がなぜ美しいのかというとそれは泥の中にあり、それでも真っ直ぐに伸びて咲くからだ。

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牛若と弁慶 楠山正雄
今日は楠山正雄の「牛若と弁慶」を紹介します。
ぼくは日本の乱世についてはほとんど知らないのでなにも書けません。二十世紀の戦争史を先に読み込んでしまったので、それ以前の戦争物語についてはほとんど読むことができなくなってしまいました。戦争を表現する人と平和を表現する人は、ちょうど世代ごとにきれいに分かれることがある、と思います。それが顕著にあらわれている師弟関係を紹介します。画家平山郁夫とその師前田青邨です。
平山郁夫は、日本画家であり、教育者である方です。シルクロードの絵画や、仏教、日本の古典風景を描いていった有名な方です。平山郁夫氏は広島で被曝されて闘病生活をしながら長生きされた戦後を代表する日本画家です。その師匠というのが前田青邨という人で、この人は戦国時代の武将や、湯浴みする女たちを描いていった、たいへんに自由な思想を持った画家なんです。
縮小した画像では何がなんだか判りませんが、画集や原画を見るとこの完成度の高さが判ります。前田青邨は黒沢明の映画「七人の侍」の美術を担当していたりもするのです。純粋に、絵の技法だけを追求して見比べてみた場合、前田青邨は絵画としての完成度が非常に高いです。とくにデッサンを見比べてみると、前田青邨はほんの一本の線をひくだけでも、見事にもののかたちの要点を捉えていて完璧な技法を体得しておられます。デッサンを長年やっている人ほど、前田青邨の技法に魅入られると思います。画力の神様みたいなもんだと思います。デッサンをするのなら、前田青邨に倣うのがもっとも上達の早道なんじゃないかと思います。前田青邨の随筆を引用してみます。
前田青邨
私の現在は写生を離れて決して画作することが出来ない。写生を拠り所としなくては私の絵は生れて来ない。ある時芍薬を描こうと思ったがちょうど自分のスケッチ帳がなかったので、人のスケッチを借りて描こうと思ったことがあった。そのスケッチは実に克明に微細な点まで写生してあったが、私には何の力ともならなかった。つまり急所が描けていなかったのである。たとえ簡単な線書きだけでも、自分の写生ならば一本の線から無限の真が浮き上がって来る。(中略)しからば写生のみで、画業の進歩は得られるかというとそうではない。同時に古画の研究が大切である。(中略)自分の心持に感じた名画を克明に模写してみると大いに悟るところがあると思う。
写生と古画研究 大正15年(1926年) 七月
ぼくはこの文章をいつもPC内のノートに貼付けていて、ときおり読み返しています。前田青邨は幼少の頃から天才的な画力を持っていた美術界のエリートです。いっぽうで今でこそ平山郁夫は歴史に名を残す日本画家として認識されていますが、その初期段階では、かなり困難な事態に直面していました。戦後七年目に東京芸大を卒業した平山郁夫を大学の副手としてやとい、日本画を続けるように勧めたのが前田青邨なのです。
平山郁夫は師の前田青邨について「もし先生との出会いがなければ、また私の人生は大きく変わり、今日とは別の道を歩んでいたことだろう」と述べています。師匠が居ない、ということを悩んでいる方は、ぜひ古い人のなかから私淑する人を見つけてみてください。本を通して、出会いがあると思います。
さいきん、平清盛のドラマが人気らしく、ちょっとそういう時代の小説を探していて、この「牛若と弁慶」を見つけました。弁慶と牛若のような、そういう絶妙の関係性というと、ぼくがすぐに思い浮かんだのは、平山郁夫と前田青邨という二人の偉大な画家でした。

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忘れられたる感情 小川未明
今日は小川未明の「忘れられたる感情」を紹介します。
小川未明は子どものために童話をたくさん作った方です。それで、子ども時代をすごく大切にしています。ぼくは最近、いろいろな本屋や図書館やを巡っていて、それでハッと気がついたことがあります。大人のためのコンテンツよりも、子どものための創作物と言うのは、作り手が本気で伝えたいことをかなり熟考して書き直している場合が多いので、読んでいると本質的なことが書いていて参考になります。親が子の世代のことを考えて書いているという本が好きなのであります。
記憶力の良い人なら、暗記したことを忘れないのでしょうが、ぼくは記憶力があまり良くないので、しばらくするとものごとを忘れてしまう。それで、それを思い出すために久しぶりに子ども時代に読んでいたものを読み返すと、かなり参考になるところが多いのです。

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竜潭譚 泉鏡花
今日は泉鏡花の「竜潭譚」(りゅうたんだん)を紹介します。
躑躅(つつじ)の花と遊ぶ子どもの姿が描き出されています。この物語は普段古典を読み慣れていないぼくにはちょっと読みにくいものだと感じたのですが、しばらく読んでいるとむしろこの文体が読みやすく感じるようになりました。この小説はやや難読の文体なので、あらかじめストーリーを知ってから読んだほうが良いかと思います。やや長いですが、物語全体を紹介してみようと思います。
ちさと、という少年がこの物語の主人公です。ちさとは、幼い頃に神隠しに遭うんです。躑躅の花が咲き誇る坂道を歩く少年。幼子は自然界のあまりの美しさに息をのんでいます。本文を引用しますね。
ゆふ日あざやかにぱつと茜(あかね)さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅(くれない)の雪の降積めるかと疑はる。
そこに、五彩の耀きを放つ美しい虫がいる。少年はこれが毒虫であると気付くのですが獣のようにこれを追って自然の中へと分け入ってゆく。そこから見知らぬ領域へと入りはじめる。泉鏡花は、自然界を厳かなものとして描き出しています。人の知性とか人工組織よりも、遙かに優れたものとして自然のありさまを描き出している。自然の使者であるところの毒虫を殺した少年は、この鴻大な自然の中で迷い、帰り道を見失います。本文を引用します。
われは涙の声たかく、あるほど声を絞りて姉をもとめぬ。一たび二たび三たびして、こたへやすると耳を澄せば、遥に滝の音聞えたり。
滝の音に混じって、遊ぶものの声が聞こえる。これに引きよせられて、少年は神社に辿りつく。神社を見つければもう自分の家は近いだろうと、幼子はほっと息をもらします。
かくてわれ踏迷(ふみまよ)ひたる紅(くれない)の雪のなかをばのがれつ。
さっき泣きながら姉を呼んでいた自分自身が気恥ずかしくて、少年は見知らぬ神社の境内で一人たたずんでいます。童たちが少年のすぐそばで遊んでいる。彼ら童は貧しき者たちである。自分のムラでは貧しい人間は無視しろと教えられてきたのだが、今いる村ではどうもその貧しき者たちが尊ばれている。少年は童たちと遊ぼうとし、隠れん坊をするのですが、とたんにあたりはひっそりとする。
声したる方(かた)をと思ふ処(ところ)には誰(たれ)もをらず。ここかしこさがしたれど人らしきものあらざりき。
そして少年は、うつくしい人に出逢います。うつくしい人は幼子を呼びます。少年はこの人に連れられてゆくのです。
何処(いずく)より来(きた)りしとも見えず、暗うなりたる境内の、うつくしく掃(は)いたる土のひろびろと灰色なせるに際立ちて、顔の色白く、うつくしき人、いつかわが傍(かたわら)にゐて、うつむきざまにわれをば見き。極めて丈高(たけたか)き女なりし、その手を懐(ふところ)にして肩を垂れたり。優しきこゑにて、
「こちらへおいで。こちら。」
といひて前(さき)に立ちて導きたり。
神社と山とのあわい、というのを見たことがあるでしょうか。人の住処と、自然のままの領域とが入り交じって、境界線が溶けてしまった場に、少年は連れてゆかれます。そこに小暗い穴がある。うつくしい人はその穴をそっと目配せして教えている。その瞳がまるで自然そのものを映し込んだかのように潤んでいる。
瞳(ひとみ)は水のしたたるばかり斜(ななめ)にわが顔を見て動けるほどに、あきらかにその心ぞ読まれたる。さればいささかもためらはで、つかつかと社(やしろ)の裏をのぞき込む、鼻うつばかり冷たき風あり。
あたりは暗がりに包まれている。少年は、落葉や朽ちた葉や腐葉土がうずたかく積み上がった大地を見る。
身の毛よだちて、思はず呀(あなや)と叫びぬ。
女は自然のありさまを少年にまざまざと見せて去った。少年はその深奥を覗き見たように思い、足を震わせ、立ちすくみ、息をひそめて、茫然とした。哲学上の停滞、とでも言うのでしょうか。静止衝動、あるいは一つの瞬間が永遠にくり返すような、そういう瞬間を、少年は体感した。そうしてそれはとほうもなく美しかった。美しい異性と自然との記憶がない交ぜとなって、少年の心に焼き付いた。幼子は「きっとあの人はぼくを助けようとして、ここに隠したんだ」と想像する。
さきの女(ひと)のうつくしかりし顔、優(やさし)かりし眼を忘れず。
少年は村人たちが探しに来たのに、なぜだか出てゆこうとしない。姉が呼ぶ声が聞こえてくる。なぜだか少年は助けを呼べずにいた。姉さえも疑うようになってしまったのだ。ああ、あわれ、あらゆるものが怪しく感じられ迷うのは、眼を曇らせる何かに心をさえぎられているからであろう。少年は姉に出逢うが、姉は逃げ去ってゆく。
あはれさまざまのものの怪(あや)しきは、すべてわが眼(まなこ)のいかにかせし作用なるべし、さらずば涙にくもりしや、術こそありけれ、かなたなる御手洗(みたらし)にて清めてみばやと寄りぬ。
漫々たる水面やみのなかに銀河の如く横(よこた)はりて、黒き、恐しき森四方をかこめる、大沼(おおぬま)とも覚しきが、前途(ゆくて)を塞(ふさ)ぐと覚ゆる蘆(あし)の葉の繁きがなかにわが身体(からだ)倒れたる、あとは知らず。
眼を覚ますと、少年は柔らかい布団に包まれていた。そこに美しい人が生まれたままの姿でいた。
眼のふち清々しく、涼しき薫つよく薫ると心着く、身は柔かき蒲団の上に臥したり。やや枕をもたげて見る、竹縁の障子あけ放して、庭つづきに向ひなる山懐に、緑の草の、ぬれ色青く生茂りつ。その半腹にかかりある厳角の苔のなめらかなるに、一挺はだか蝋に灯ともしたる灯影すずしく、筧の水むくむくと湧きて玉ちるあたりに盥を据ゑて、うつくしく髪結うたる女の、身に一糸もかけで、むかうざまにひたりてゐたり。
性と自然の二つが、みごとに融合した描写が続きます。
「気分は癒(なお)つたかい、坊や。」といひて頭(こうべ)を傾けぬ。
うつくしい人は、幼子を看護しながらこう言います。
「お前あれは斑猫(はんみよう)といつて大変な毒虫なの。もう可(い)いね、まるでかはつたやうにうつくしくなつた、あれでは姉様(ねえさん)が見違へるのも無理はないのだもの。」
うつくしい人に言われるとおりに頷いて、幼子は話を聞きます。
「ぢつとしておいで、あんばいがわるいのだから、落着いて、ね、気をしづめるのだよ、可(い)いかい。」
うつくしい人は、幼子に添い寝します。幼子にいくつかのおとぎ話を話して聞かせると、幼子はもうひとつ、もうひとつとせがむ。
背に手をかけ引寄(ひきよ)せて、玉(たま)の如きその乳房(ちぶさ)をふくませたまひぬ。
幼子の最愛の人は三年前に亡くなったのです。
母上みまかりたまひてよりこのかた三年(みとせ)を経(へ)つ。
うつくしい人は幼子の背をなでる。外は強い風が吹いている。
軽く背(せな)をさすられて、われ現(うつつ)になる時、屋(や)の棟(むね)、天井の上と覚(おぼ)し、凄(すさ)まじき音してしばらくは鳴りも止(や)まず。
幼子は外界を怖がるが、それは怖いものでは無いのだよ、と教える。
「何が来てももう恐くはない。安心してお寝よ。」とのたまふ
うつくしい人はすやすやと寝入っている。幼子も柔らかい布団につつまれていた。幼子は同じふとんの中で、この人に触れたいと思う。このあたりの描写は、性と生のありさまをみごとに活写していて読み応えがあります。守り刀と血の描写もあり、処女の流す血か、胎児の血かなにかを暗示させているようですが、じつはうつくしい人の赤くほてった肌の、鮮やかな色なのです。ぼくはこの泉鏡花の温かいまなざしがどうしても忘れがたい。
その血汐にはぬれもこそせね、こころづきて見定むれば、かいやりし夜のものあらはになりて、すずしの絹をすきて見ゆるその膚(はだ)にまとひたまひし紅(くれない)の色なりける。
幼子は喪失感を抱きながら、目を覚まします。すると空は青く高く晴れわたっていて、木も草も一切が、幼子を包み込むようにしてある。幼子はもう、もと来た本来の道へと帰ってゆくのです。力強い老翁が、幼子を道案内します。うしろでは、うつくしい人が見守っている。幼子の胸中を、すべて見透しているうつくしい人へはもう、なにも言わずともよかった。
松柏(まつかしわ)のなかを行(ゆ)く処(ところ)もありき。きき知らぬ鳥うたへり。褐色なる獣(けもの)ありて、をりをり叢(くさむら)に躍(おど)り入りたり。
幼子は老翁と共に小舟に乗ります。うつくしい人は笑みを見せて、彼を旅立たせます。
うつくしき顔の臈(ろう)たけたるが莞爾(につこ)とあでやかに笑(え)みたまひしが、そののちは見えざりき。
「泣くな、もうすぐ、おまえの家に辿りつく」と、老翁は幼子を励まします。幼子はついに、平生の暮らしへと帰りつきます。村人や医者や叔父や姉が幼子と再会し、神隠しの物語は完結します。姉は言います。
「ちさや、どうぞ気をたしかにもつておくれ。もう姉様(ねえさん)はどうしようね。お前、私だよ。姉さんだよ。ね、わかるだらう、私だよ。」といきつくづくぢつとわが顔をみまもりたまふ、涙痕(るいこん)したたるばかりなり。
幼子は閉じ込められ、大人たちからあらゆることを言われ、怪しまれ、たべものも怪しく思われのどを通らず、不安な日々を過ごします。そして村に暴風雨が襲い、雷鳴が轟きます。
すさまじき暴風雨(あらし)なりしかな。この谷もと薬研(やげん)の如き形したりきとぞ。
人々は洪水について憂慮し、堤防を作りあげたのです。自然の猛威を認め、驕りを捨て去った人々が、生きるための技術を積み上げていった跡にも、草木が生い茂ります。幼子は成長し、船乗りとなって、かつての荒れ狂った自然のことを折に触れて思い出すたびごとに、大地と海の厳かさを心に刻みます。
薄暮暗碧(はくぼあんぺき)を湛(たた)へたる淵(ふち)に臨みて粛然(しゆくぜん)とせり。

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愛 宮本百合子
今日は宮本百合子の「愛」を紹介します。
これは憎悪と愛ということについて作家が思索した、ごく短い随筆です。
創作物を食い物だと考えた場合、ヘドロや汚物にしか見えないものは食べない、と思うのですが、でも外国人には理解できなくても、ぼくは納豆を食べるのが好きだし、鯛のお頭の目玉のところも美味しく食べる。ある土地の人は「土」を食べたりするそうです。土ですよ。土。フランスの高級料理としても出されるそうですよ。調理法を知らないぼくたちが食べたら、100%体調を崩します。でもその土地の人は土の採取方法と調理法を知っているので、土を美味しく食べる。人によっては毒物にしか思えないものでも、他の人にとっては良薬であったりする。でも食べたものって確実にその人に影響するわけで、例えばぼくの場合具体例を挙げるとここ最近、推理小説との食い合わせがすごく悪くなっています。十年前はほんとうに好きだったんですが、ある時から急に、まったく受け付けなくなってしまって、それで、そっちのほうがぼくの暮らしにはちょうど良いなと思うようになりました。それで古典やルポルタージュをよく読むようになりました。
新しいものに手を出す時は、それなりに下調べというかレシピを見て、それはいったい誰のために作られたものなのかを考える癖ができたんです。《自分のような人のため》を思って作られたものなのか、あるいは自分が尊敬している人と関わりがある創作物なのかどうかを考えてみるんですよ。自分の環境は自分で整えるしか無いので、良い影響があるものを選べる、という力をつけてゆきたいです。
宮本百合子の随筆を少しだけ読んだのですが、この方は書くことに迫力がありますね。読んでいて恐ろしくなることがあります。

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幻の園 豊島与志雄
今日は豊島与志雄の『幻の園』を紹介します。
豊島与志雄はユーゴーのレミゼラブルの翻訳をした人として有名です。これはごく短い随筆なんですが、内容が好きだからかもしれないのですが、すごく読みやすいというか、文章に人の気配を感じるというか、言葉遣いが美しいように感じます。文字を読んでいるだけで作者の祖母の印象が、鮮やかに浮かんでくると言うか、自分にもこれに似た記憶はあったのだということに気付くわけで、忘れていた記憶を呼び覚ますようなエッセーだと思います。良い記憶というものが祖母に映し込まれ、悪い存在というものが「お化け」という言葉に集約されていて、それから広くて美しい庭の描写がある。少年は空想の中で「同胞」のことを思い描く。生まれてじきに亡くなってしまった兄という存在があって、それがきっかけになって少年の空想の中にまだ見ぬ親友の姿が思い浮かんでいる。なにか良い可能性について考えていて、それが美しい空想に結実しているというか。これ、一つ一つの空想が、1本の映画になるような奥行きがあるように感じます。たぬき遊びとか、ぼくたちは姉弟かもしれない、とか。子どもの頃の友人との記憶が神秘的であると思うのですが。そのような子どもらしい空想が崩れる瞬間の描写も印象的です。

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風呂を買うまで 岡本綺堂
今日は岡本綺堂の「風呂を買うまで」を紹介します。
関東大震災後に人々がどういうことを記していったのか、ということを幾つか紹介してゆきたいと思っています。ぼくはPCをよく使うようになってから、なにかを忘れないようにするために、さまざまな事柄をメモしておくという癖をつけるようになったのですが、記憶というのはとても不思議なもので、絶対に忘れないはずだ、ということが完全に抜け落ちてしまうことがあるんです。1年前の3月11日に何が起きたかを忘れている人はほとんど居ないと思います。しかしもっと時間が経つと記憶は薄れてゆくので、なにか忘れないようにするための工夫が必要になるんだと思います。
4年前の5月12日に中国で何が起きたのか、ということは数年前なら誰もが覚えていたと思うんです。5月12日のことはその当日の被害の規模から言えば311以上の事態が生じたもので、それはぼくたちが日本で、もっとよく覚えておいて、自分たちの地域に当て嵌めて考えてみて、我がことのようにとらえておくべきだったはずだ、と今も思います。日付を覚えていないから悪いということは無いと思うのですが。記憶していさえすれば、大きな危機を避けるための重要な方針を持てると思うんです。たとえば原発という仕組みがどうして良くないのかという問題は、他人のことを我がことのように考えるか否か、の違いで判断が大きく分かれてくるんだと思うんです。人によって記憶すべきものや忘れるべきものは異なるのだと思うのですが、なんらかの方法でよく覚えておいたほうが良いことがあって、それはデタラメに放置しておくと、忘れるはずがないと思っていたことを忘れてしまうことは、やっぱりあるんだ、とぼくは思います。
岡本綺堂は震災後に、無料で銭湯が解放されていたことを鮮明に覚えていて、風呂に入れることの幸福について書き記しています。家屋が無くなり風呂にもなかなか入れないという厳しい時期に、岡本綺堂は自身の趣味や道楽についてを大切にしていて、心穏やかに過ごそうとしていたというのが判ります。夏目漱石は、満州事変が起きる数十年前の、世が戦乱へと進みゆこうとしていた時代に、道楽を通して自分をたいせつにすることの意義を説いています。「道楽と職業」という講演を、一度読んでみてください。

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青猫(3) 萩原朔太郎
今日は萩原朔太郎の「青猫」その3を紹介します。大正時代の憂鬱を描いた詩人萩原朔太郎が自然のことを描いていて、厳かで迫力があります。
最近山へと入った6人のグループが遭難し、雪山で亡くなってしまったという新聞記事を読みました。この6人の方と最後にすれ違った登山家の女性は、その装備があまりにも軽装すぎた、ということを言っておられました。自然を畏れたり、生命を畏れるということは、生存に必要な感覚なんだと思います。ぼくはむかしバイクに乗っていてけっこうでたらめに乗り回していたのですが、何度か事故に巻きこまれそうになり、今思いかえすととても無防備だったように思います。
静まりかえった風景を描く画家の方が、自然界の深奥に到達しようとして幾度も森へ入り、それでそのまま川と巌と木々の中で行方不明になった、という実話について聞いたことがあるのですが、いっけん安全そうに見える環境であっても、危機は存在しているんだと思います。
女の子が自転車で2人乗りをして遊んでいて、そのそばで見知らぬおじいちゃんが怒っている、という場面に遭遇したことがあるんですが、よく聞いていると、交通事故にあっちゃうよ、ということを言っていることに気付いて、いっけん変なことを言っているように見えたおじいちゃんがじつは、見知らぬ女の子の安全について注意していたのだと気付いて、じゃあおじいちゃんの言っていることが正しいのかもなあと思ったことがあります。萩原朔太郎の詩を読んでいると、自然界や生に対する畏れを、忘れないで思い出させてくれるように思います。
どこに私らの幸福があるのだらう
泥土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。

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雨情民謡百篇 野口雨情
今日は野口雨情の「雨情民謡百篇」を紹介します。
野口雨情は、1882年の茨城県生まれで、大正時代から昭和初期に活躍しました。有名な童謡を数多く残した詩人です。創作民謡(新民謡)というものがあって、ずっと昔から郷土で歌われてきた民謡とは違って、民謡を詩人が創作したものがこれにあたります。声に出して読んでみたい詩、というように読むこともできると思います。テンポ良くよめます。雨情は日本各地へ出かけて、その郷土文化を体感して民謡を作りました。
波浮(はぶ)の港という民謡がとても有名なのだそうです。
波浮(はぶ)の港
磯の鵜の鳥ヤ
日暮れに帰る
波浮の港にや
夕焼け小焼け
明日の日和は
ヤレ ホンニサ 凪るやら
船もせかれりや
出船の仕度
島の娘達ヤ
御陣家(ごぢんか)暮し
なじよな心で
ヤレ ホンニサ ゐるのやら
1928年にこのレコードが発売されて、日本中で大ヒットとなったそうです。この創作民謡というのは、ラジオとレコードの普及によってもたらされた一つのジャンルであるようです。日本のラジオ放送は1925年からはじまっています。印刷物を安価に大量出版できるようになった昭和後期にマンガが大流行したのと同じで、科学の進歩によって創作の形態が新しく生まれ、その時に郷土愛を歌った詩が数多く創作されていったようです。
ラジオの放送の開始は、ちょうど関東大震災のころに重なります。その頃に、皆で正しい情報を共有することの必要性を感じて、政府も科学者も大会社もこの、新しいラジオというのを盛んに発展させようとした。雨情はここで、郷土愛ということを日本に広めたいと感じたんじゃないかと思います。文化ってなんのためにあるのかというと、やはり危機に対応してゆくための重要な技術であるのだと思います。危機意識が無い時には文化の必要性は感じないと思うんです。

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子供の言葉 片山廣子
今日は片山廣子の「子供の言葉」を紹介します。子どもは大人より知っていることが少ないはずなのですが、子どもが書いたことを読むと、まるで哲学者のようだとか、天才だとか、心が洗われるような気持ちになることがあります。どうして大人の言葉とちがって「正しさ」ということが胸を打つのかというと、これはじつは子どもの話を熱心に聞く大人がいるからなんじゃないかと思います。こどもの言葉がすばらしいのは、親の「聞く姿勢」が素晴らしいからでもあるんだと思います。
せめて子どもが遊ぶ場を奪わないような大人に成長したいです。

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