白痴(39) ドストエフスキー

今日はフョードル・ドストエフスキーの「白痴」その39を公開します。縦書き表示で全文読めますよ。
 
 
今回から最終章なんです。あと11回で完結します。ドストエフスキーが今回言及しているゴーゴリの『結婚』というのはこの本です。
  
 
ドストエフスキーは……ごく普通で、平凡すぎる人を、物語に登場させないというのが、小説空間から「真実らしさを失うことになる」し「奇怪な、架空の人物のみによって満たすのは嘘らしくもなり、しかもおそらくは、おもしろくもなくなるであろう」と作中で言及しはじめるんですけど、僕が読んだ範囲では、ドストエフスキーの登場人物はみんな奇怪きわまりないと思います。
 
 
とくにぼくはガーニャという男が異常なんだ、この異常さはちょっとえげつないと思ってたんですけど、作家ドストエフスキーはなんと、ガーニャが普通で平凡すぎて魅力の無い男なんだと明記してるんですよ。ウソでしょと思いました。wikipediaの人物評にも、ガーニャのことを『イヴォルギン将軍の長男。エパンチン家の秘書。腹黒く欲張りで、癇癪持ちの羨望家。7万5000ルーブルを手にするためナスターシャと政略結婚をしようとしている』って書いてるんですよ。本文には、もっとひどいことを書いていたり、意外と男らしいところがあってかっこ良かったりして、おもしろい男なんですよ。
 
 
おそらくドストエフスキーの人生では、完全に破綻した男(死刑囚や賭博負債者)というのが近くにほんとうに居たんだろう、と思いました。ガーニャや美女アグラーヤというのは、いつの時代にも居る、なんというか自滅しないで生きていける人間だとは思うんですよ。だから友人にガーニャそっくりなところを見出すことはありえると思うんです。
 
 
主人公ムイシュキンや暴漢ロゴージンや、ヒロインのナスターシャは、どうやっても普通には生きられないところがある。そういう点でオリジナルな人間性がある。ドストエフスキーは今回、最終章の冒頭なのに作者として登場して一人語りをしているんですけど、破綻していない普通の人間への批判として、彼らは「偏狭」である、ということを言ってるんです。ハッとしました。平凡な人のうちですてきな人には聡明さがあって幸福を掴みうるけれども、いっぽうで偏狭な人は、自分では持っていない非凡さや独創的人間性を発露しようとして、よりいっそう思想の無い偏狭な、ニヒリストの人生になってしまう。うわー、辛辣な指摘だと思いました。ドストエフスキーみたいな独創的な創作を出来るわけが無い自分たちとしては正論すぎて反論できない。ドストエフスキーによる無思想な人への批判はこうなんです。
 

心の中に何か人類共通の善良な気持を、ほんの露ほどでも感ずれば、社会発展の先頭に立っているという感じは自分以外の人にはわかるまいと、すぐに思い込んでしまう。また、何かの思想をほんのちょっとでも聞きかじるとか、何かの本の一ページでもほんのちょっとめくって見るとかすれば、もうこれは『自分自身の思想』であって、まぎれもなく、自分自身の頭の中に生まれたのだとさっそく、信じてしまう。
 
こういうことを思うことはたしかにあるよなあと、恥ずかしく思いました……。ゴーゴリもこういう男のことを描いているんだと、ドストエフスキーは述べます。ガーニャは「偏狭でニヒリストな普通人」というよりかはもっと良い「聰明な普通人」なんだそうです。
 
かような人たちは非常に長いあいだ、若いときから相当の年輩に至るまで、時おり、実にばかなまねを続けたりする

長いこと、これからもばかなことをしてゆかなくてはならない自分には才能がないという深刻な、絶ゆることのない自覚と、同時にまた、自分はきわめて独立的な人間なのだと信じようとする押さえがたい要求は、ほとんどまだ少年のころからひどく彼の心を痛めつけていた。
 
ドストエフスキーの述べる平凡で普通な人って、ロシア全土くらい範囲が広いんだなと思いました。壮大すぎてワケが分からないんですけど、ドストエフスキーにとって非凡というのはどういうもんなんだよと思ったら、ダイナマイトを発明するノーベルかアメリカを発見するコロンブスみたいな人だそうです。ガーニャは、地位の高い女性と結婚をして、貧困の人生から抜け出したいと思っている。しかし卑劣なことを実現してまで先に進もうとは思っていない。

アグラーヤが自分のような身分の低い者のところへ来ようなどとは、いまだかつて本気になって考えたこともない
 
ぼくはガーニャが、ナスターシャから押しつけられた不正な金というのをもらった時に、これを苦渋の決断をして受け取らなかったことに感動をしたんですけど、本人はこう思っています。

公爵にこの金を返したことを、あとになって彼は何百ぺんとなしに、後悔した。そのくせ彼はこのことを絶えず誇ってもいたのである。が、あのときペテルブルグに公爵が残っている間の三日間というもの、彼は本当に泣き通し……(略)……彼は職務をすてて、悲哀と憂鬱とに沈むばかりであった。
 
さらには同情してくる公爵を、憎んだりもした。けれどもけっきょくは自分の生き方をちゃんと続けられる。ガーニャには気の強い妹ワーリヤがいるのですが、彼女は家のためにエパンチン家で仕事をしているんですけど、そこで諍いが起きていて、さらに悲しい兄妹ケンカに発展している。妹はどうもほんとにムイシュキン公爵が、エパンチン家の娘と結婚することになりそうだ、という噂を聞く。ガーニャはこう考えている。父は「泥棒で、酔っ払い」で、自分は「乞食」で「妹の亭主は高利貸し」。ワーリヤは、アグラーヤがどうしてムイシュキン公爵と結婚しようとしているのか、そのことをこう読み解いています「あの人は公爵のことで、家じゅうの者を悩ましているだけでも楽しいんです」
 
 
ガーニャは家族や他人への悪態しかつかないし、作者のドストエフスキーから平凡で普通の能力しか持っていない人間だと批判されているし、良いところが無いように思うんですけど、どうも読んでいて共感するんです。彼は破滅しかねないギリギリのところに、辷り落ちかねない。そこでなんとかまっとうに生きていこうとしているように見えます。
 
 
ガーニャの行く末が妙に気になるんです。彼には華々しい成功はたぶんありえない。破滅もしない、地味な人生になりそうなんですけど。なんだか気になります。悪人ほどの行動力や意思はなくって、悪いことばっかり考えている。病者イッポリットに対しても不快な心理を抱いているし、もっとも愛すべき存在のはずの妹にも悪い感情ばかりを吐露している。読んでいて良いこと無しなのに、ぼくはどうもこのガーニャが好きなんです。そのガーニャの居所に、災いを抱えた人々が次々に押しかけてきた。次回に続きます。

 

 
 
こちらのリンクから全文読めます。白痴は第50回で完結します。縦書きブラウザの使い方はこちら
https://akarinohon.com/letters/dostoevskii_hakuchi39.html
(約30頁 / ロード時間約30秒)
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